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「治療は医者と患者の共同作業である」 by 押川先生

定期的な「ヤク注入」のために宮崎の病院に行ってきました。
治療後は薬剤の影響で眠くなるので自分で運転ができず、毎回おっとの貴重な(!)一日を奪って運転させ、朝7時出発、夜に近い夕方に帰宅しています。

点滴しながらふたりで食べるためのお弁当を、塗りのお重につめて病院に持参しています。
昨日はおっと作の肉じゃがをメインに卵焼き、きゅうりの和え物、らっきょう、うめぼし、たくわん、おにぎり、柿をいれて。

血液チェックでは過去最高にいい数値でした。

病気になるうーんと前から、強度に貧血でたんぱく質も低いのが私のあたりまえでしたが、今では十分に高い数値。
一生懸命、肉を食べてるせいかな。鉄剤はとっくに止めてます。
白血球も人並み。肝臓系の数値も良好。

「あなたより数値がいいんじゃない?」なんてオットにじまんたらしく言いながら診察室をあとにしました。

<診察室での会話>

「心配する理由が何もないです」

私「来週から東京いくんですけど、毎日スケジュールぎっしりで。こんな生活ながらくしてないので、ちょっと心配」
押川先生「(データ見ながら)心配する理由がなにもないですね」
私「そうですね。そうなんだけど・・・」
押「ま、ものすごく悪くなったらとりあえずエチゾラム飲んでみてください」
私「ああ、その手でいけますか」
押「やってみるということですね」
私「(まだ心配)」


「いい思い出作ってください」

押川先生「がん治療というのはいいときもあれば悪いときもある。これまでがんばったから今の調子のよさがあるわけで。
悪いときにいいときのこと思い出して力にするためにも、元気なときにいい思い出をたくさんつくっておいてください」

(診察室を出て)

私「押川先生ったら、そこまで言わなくてもいいじゃんね~」
夫「そういう意味じゃないよ。いいときも悪いときもあるんだから、元気なときは元気なことを一生懸命たのしんで、悪いときはよかったときのことを思い出して、あんなふうになりたい、早く治りたいって思うことで、また養生に力が入るっていう意味だよ」

なるほど! やっぱり私は、ヒガミっぽくなってるんですね。
コミュニケーションの行き違いが医療現場でいっぱい起こっているのは、患者と患者家族ならではの潜在的な負け犬感(私だけかもしれませんが)を加味して医療者が話してくれないからというのもあるかも。望みすぎかしら。

「横ばいですね」

私「あ、腫瘍マーカーはどうですか」
押川先生「ああ(←毎回催促しないと教えてくれない)これですね」
私「(身をのりだして凝視してから)いいじゃないですか~」
押「横ばいですね」
私「横ばいって、こんな底辺で横ばってるならいいってことでしょう」
押「ま、そうともいえますかね」

※あまり知られてないことですが、腫瘍マーカーは腫瘍が小さくなっても数値が高くなったり、腫瘍が大きくなっていても数値が小さくなったり、人によって出方が違うのでおおざっぱな目安にしかなりません。
しかし、CTなどの画像に比べて素人でもわかりやすいため、私のようにマーカー値に一喜一憂する患者が多く、それは場合によっては治癒のさまたげになるので、押川先生はぜったい腫瘍マーカーを自分から教えません。

体調記録グラフ

押「(私の提出した「体調記録グラフ」を見ながら)今回は体調に問題がなかったみたいですね」
私「そうなんです。イリノテカンやめたおかげとスインプロイク飲んだおかげで。でもちょっと最後のほうお通じ悪くなりました」
押「それでもピコサルファートは飲んでない(記録を見ながら)。よっぽど悪い記憶があるんですね」
私「そうなんです~。でも悪いといっても出てないわけじゃないから。ほら見てください(記録をさし示して)」
押「出なくなる前に予兆を感じた段階で飲んでみる、試してみる、というのが大事なんですよ。試してみると、ひとつ結果が出て、次の指針になるじゃないですか。結果がどう出ても、試したことは無駄になりません」
私「次からそうします(毎回言っているがしてない)」
押「それにしても、調子がいいとグラフの書き方が雑になりますね」
私「あらそんなことないです。項目は同じです。特記すべきことがなかっただけです」

※体調記録グラフとは、先生に毎日の日記をつけるようにいわれて、日々の体重、お通じ、痛み、食欲、体調、薬などを記録し、それをグラフ&表化したもの。受診のたびに持参している。


もっと医者に伝えないと

私「ちょっと関係ない話していいですか」
押「どうぞ」
私「友人のPさんのことですが、副作用の吐き気が止まらないらしいんです。先生前に言ってたでしょう。今は吐き気を抑えるいい薬が開発されているから、抗がん剤の副作用で吐き気できついというのはありえないって。どうして彼女のは止まらないんですか?」
押「主治医とちゃんとコミュニケーションしてないんじゃないですかねえ。どれだけ自分がきついか伝わってないんだと思いますよ」
私「そんなことないですよ。点滴で吐き気を抑える薬とか入れてるそうだし、でもだめみたい」
押「つまり伝わってないんです。(彼女にも)口で言うだけじゃなくて、記録をとって医者に伝えるようにとは言ったんですけどね。医者は言うだけじゃ伝わりませんよ。オランザピンを使えばいいんじゃないですかね。これが効かないなら脳の転移を疑ったほうがいいかもしれない」
私「えー。そこまでいってたらいくらなんでも主治医にはわかるでしょ」
押「わかりませんよ。患者がちゃんと伝えることを全部伝えて、それから医者が動くんですから」

※友人Pさんの副作用は抗がん剤のではなく放射線によるものであったとあとでわかりました。その場合、オランザピンは使えないのでした。

<診察室の外で>

もっと医者に伝えるために

押川先生と出会って5ヶ月。「病気治しは医者と患者の共同作業」であることをマンツーマンで教育されております。
とってもラッキーです。

先生がいうには、患者側がすべきことは主に以下の2点。

①患者の状態を正確にあまさず伝える。伝えたつもり、にならないように「文章化」「紙に書く」が大切。
②ネットなどで新薬の販売開始情報などを得ることができるので、自分の薬は自分でみつけるつもりで、正しい情報を取得し、医師に提案する。そのためにも自分の使っている薬剤を正しく把握しておく。


①について、まず忘れてはならないのは、口で言ったから医療者に伝わったと考えるのは患者の傲慢である、ということ。

私が何度言っても忘れてる、または誤解されてるまま、ってこと、押川先生にもありました。
こういう病気にはこういう症状っていうのが頭にあり、その前例の中から私の話にあう部分を抽出しようとする聴取のクセが、失礼ですが医者側にあるのではないかと想像します。

そういうことは全医師にあると思ったほうがいいのかもしれない。たぶんそうです。
先生から教わった方法をこのたび、実母にも実行しました。
つまり、母が通っている大病院の主治医にお手紙を出したのです。

母が診察室で主治医に、言うべきことを言ってないことがわかったので、「これをいいなさい」とメモ書きを渡しました。
しかし、待てよ。押川先生は「手紙がいい」と言ってたな。と思い出して母に渡したメモ書きを没収。
母の病院の主治医あてに手紙を書いて、投函しました。

「手紙が送られてくると医者も無視できません。カルテにファイリングされるし、次に診察日までにその情報から医者側に準備できることがあるかもしれません」

手紙なんて書いたら忙しい先生からうざいと思われるかも、と思う必要はないみたいです。

「むしろ、この患者(の家族)はしっかり勉強しているから、こちらもちゃんと対応しなければって対応が変わる効果があります」


病院のPCからメールが発信されることはないようですから(ネット事故を防ぐため)、メールアドレスより携帯電話番号を書いておくとよいかもです。
私は母が以前がんになり、同じ大病院のお世話になったとき、説明を受ける機会にはすべて出席しました。

私の質問が治療法の細部にわたり、おまけにしつこいせいでしょうか。主治医は二回目から「娘さんがこれる日」にアポをいれるようにしてくれました。母からでなく、先生から直接都合を聞く電話をもらったことも。

自分のことだとここまでしつこく質問できないのです。
なぜでしょうね。自分のことだと頭がぼーっとして冷静さに欠けるのかも。論理より感情に支配される気もします。
母のことだと、どこまでも冷静に対処出来るのが不思議です。
「医療関係者ですか」と聞かれました。「医療本の執筆をしていただけです」と答えました。

退院しても定期ちぇっくに母は通っていました。3年後、その主治医が病院を辞めることになり、それを母に伝える際に、
「娘さんによろしくお伝えください」と言ってくださったそう。
コミュニケーションできてたのねと思いました。

ちなみにおっとは私がいくらぼーっとしていても、この2年、いっさい医師に説明を求めたり質問したりしません。
病院とは黙って話をきくところ、黙ってうなずく、受け入れるところ、と思っているのかも。
そもそも誰が相手でもしゃべる言葉数が極少ですけど。
「あんたもしゃべろ!」といっかい私が診察室の外でキレれたので、一言だけ発言したことがありましたっけ。
しゃべらないけど私以上に注意深く後ろで聞いてくれて、解釈の補足をしてくれる役割なんだと、最近気づきました。


ところで。
今日はわたしの手術記念日。がん患者という新しいステイタスで人生を生きるようになってまる2年たちました。
シャンパン抜いてお祝いだ~~~! 嘘です。


押川先生が月に一度東京でやっている公開セカンドオピニオンライブ!
ハイパーサーミア詐欺にあっている奥さんのためにご主人が相談に!
何分からかわかりません
↑をクリック。またはhttps://www.youtube.com/watch?v=Svy1Z6siMmk&feature=youtu.beをコピペ。
みなさんディープに勉強されていて、説明のしかたが知的で、東京のひとは頭がいいなーと感心させられます。

※ハイパーサーミアとはだいぶ前に保険認可されたものの効果を得た患者は少なく、この療法を詐欺まがいのおどし商法でがん治療に用いる医師が多いため、そろそろ保険認可も取り下げられるんじゃないか、と一部でいわれている温熱療法のこと。


小川さんのお米もいよいよ新米に変わりました
錦自然農園フルーツストア
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野菜のもんだい

2018Mar4_4.jpg
里芋は無農薬・有機栽培のものを販売予定です。


野菜セットの販売をやめることで、ご愛顧いただいてきたお客様にはたいへんご迷惑をおかけしましたが、
やめたことで迷惑をこうむっているのは私もおなじです。

野菜セットをやめたせいで自分たちの食べる野菜も、スーパー等で買うことがほとんどになりました。
(すこしは畑で作っているんですけど)
そうすると、おいしい野菜にめったに出会えないということに改めて気づいて、困り果てています。
ご近所なんだからちょっと足をのばして、かつて選び抜いてお客さんにお送りしていた野菜の生産者さんを訪ねて、野菜を売ってもらえばいいのに、と思うものの・・・そのちょっとの手間を日常のスケジュールに組み込むことができなくて、結局スーパーで買うことになっています。

いっちゃなんですが、普通の野菜っておいしくない。
ご近所にお住まいで、うちの野菜セットをご愛顧いただいていた人から
「もーほんとに困ってるんですから!」と抗議されたことがありました(笑)。

「無農薬野菜を買いたいんです。どうすればいいんですか?」
「道の駅とかスーパーでも無農薬の野菜出してる人いるから連絡先と名前を教えるから買いにいくというのはどうですか」
「売ってくれるんですか?」
「それはもう、個人的な関係をつくっていくしかない。面倒くさいことさせてすみません、と思いながらやってたのは私も同じです」

「一ケ所の農家にまとめて送ってくれるように頼む方法はあるけど、それはいやなんですよね」
「無農薬とかってたいてい高いじゃないですか。送料が加わるとまた・・・」

「無農薬じゃないとダメですか? うちのセットも無農薬ではなかったですよ。ご存知でしょうけど」
「うーん、そうですけど、えみこさんのはえみこさんが選んだから大丈夫って思えたけど、自分ではできないから、無農薬のなら大丈夫かなと」

「私は農薬を使うかどうかより、肥料を使いすぎてないかを一番大事にしてましたけどね。
農薬は洗えば落ちる場合がほとんどだし、皮むけばすむ、というものも多いけど、肥料は洗っても落ちないから。
化学肥料がぜったい悪だとも私は思ってないけど、使いすぎは味に出ます。
化学肥料使わないからいいと思って、動物性堆肥を使いすぎの人もいますから。そっちもこわい。
肥料使いすぎの味ってあるから、それを覚えておくといいと思いますよ」

「私にわかるかな」

「なんだか大きすぎるとか、なんだか緑すぎるとか、なんだか苦いとか。おいしい野菜との味くらべをするとわかる。
無農薬だけど堆肥をやりすぎている農家もあるから。無農薬ばっかり気にしていると、だめかも」

「むずかしい~」

「とにかく雨量が多いし台風が多いし、日本みたいな亜熱帯の国で農薬使わないで野菜作るのがそもそもハードル高すぎるんですよ。私、無農薬の大豆でお味噌作ってたけど、今年はいつも頼んでいる農家が二軒とも不作で、大豆売ってもらえなかった。
結局ネットで無農薬のを探して大豆買いましたけど。

温暖化してるというのは陰謀で、風評だと言う人いますけどね、年々温暖化してるって農家は全員思ってるんじゃないかな。
激しく熱帯化していく気候風土で農業するだけでたいへんなのに、虫食いも病気もないきれいなもの作らないと値引きさせられるし、あんまり無農薬無農薬って攻め立ててると、無農薬ならいいんでしょって遺伝子組み換えて無農薬作物つくるようになってしまう。農薬使わなくても虫もつかない、病気にもならない作物ができるようにタネを遺伝子操作すればいいんでしょ?って」

「やあだ~~」

「適度に農薬使ってください、必要ならば使ってください、って姿勢でいいんじゃないのかなって思うんですよ」

「そうはいっても、無駄なこだわりかもしれないけど、こだわりたくなるんですよ」

「有機JASだって無農薬じゃないのは知ってるでしょ?」

「そうなんですか?」

「有機JASでも使っていい化学農薬はたくさんありますよ。だからうちの野菜リストには「無農薬」「有機JAS」「低農薬」という区分けで野菜送るときにつけるリストに書いてましたよ」

「そうか・・・」

「有機JASは農薬使ってない場合もあるし、農薬使っている場合もあります」

「うーーん」

「よくネットなんかでアメリカは無農薬が進んでいるのに、日本は無農薬が進まないからダメだ、とかあおっているサイトがあるけど」

「はい」

「アメリカのオーガニック認証だって、使っていい農薬があってそれを使いながらオーガニックしてるわけで、みんながみんな無農薬って意味じゃないですよ」

「そうなんだ」

「去年アメリカのセドナに行ったときに、オーガニック農家ばかり出店している週末のマルシェにいって、一軒を選んで畑見学させてもらいに行ったんです。
新規就農した若い男性で、ひとりでオーガニックにこだわって野菜を作っているんだけど、やはり彼も、無農薬では作ってないって言ってました。オーガニックの認証のとるのに使っていい農薬を選んで使っていると」

「無農薬とオーガニックは同じじゃないってことですか?」

「もちろん同じじゃないですよ。オーガニックってなんなのか、その答えは人によって団体によって違いますよ。
オーガニックコットンは無農薬綿花の割合がたったの5%でもオーガニックコットンっていえるのは知ってますよね」

「しりません」

「農薬使わないで生活なりたつ農業をすることが比較的しやすいのは稲作ですけど、それは稲作が日本の風土にあっているからで、野菜はそうじゃないですもんね。品種改良をかさねて研究室で作られている作物の多くは、つまり市販されているほとんどの野菜は、農薬使うことを前提にしているんですよ。

そうじゃない日本で古くから作られている野菜をよく若い農家が作ってますね。それを買った人が「おいしくない」って言うことが多いそうですよ。品種改良のベクトルは、虫害や病気に強いようにとかもあるけど、より食味がよいように進化していきますからね。食べなれてないものをおいしくないという人多いですよね。そんなこと言わなくてもいいのにね。せっかく苦労して作ってるのに」

「けっきょく・・・・自分で食の基準つくったほうがいいですね」

「そうですそうです。農薬だけじゃなく。

添加物がダメとか砂糖がダメとかいったって、そんな生活無理でしょ。添加物があるおかげで食べられる、普及している食品はいっぱいありますし、砂糖は調味料とかお菓子以外にも、いろんなものに入ってる。

無農薬の砂糖を使ってますか、とお客さんに聞かれたことありますけど、無農薬の砂糖は高価だから商品の価格をうんと高い値段にしないとウチは使えない。無農薬の砂糖なんて高すぎて日常に使い続けるの無理だし、わたしは自分の日常に使わないものを農園の加工品に使わないですね。

そういう質問をするひとに、パンもお菓子もビールも日本酒もみりんもワインも無農薬の素材オンリーですか?っておたずねして、もっとお話聞かせてもらいたくなるけど、そういう取材モードは最近控えてるんで(笑) 」

「てんさい糖ならいいんでしょ?」

「農薬使ってないって? なんでそう思うのかわからないんですけど。てんさいは北海道で作っているし、ホクレンだし、農薬使って作っていると考えるのが普通だと思いますけど。電話して聞いてみたらどうですか? 最近は北海道も温暖化してるし、寒いわ暑いわで農薬使う量は全体に増えているんじゃないかと想像しますけど。

さとうきびも農薬使ってないと思っている人多いけど、普通は使ってると思います。電話して聞いたわけじゃないですけど」

「えみこさんはどういう野菜がいいんですか」

「おいしい野菜です。私の場合、農薬も肥料も使わないで作ったものをおいしいと感じることが多いから、そういう野菜が欲しいです。でも結局作るしかないかあと思い始めているところです」

「作って売ってください」

「いや、それは無理です。うちが大根つくるから、そっちはにんじんつくって、とかみんなで違うものつくって提供しあうのがいいんじゃないですかね」

「アイデアはいいけど、わたし作れない」

「わたしもです。実母が庭に作っているピーマンや南高梅は農薬使わなくてもとってもきれいにできるんですけど、うちは全然ダメ。カメムシにピーマンはやられるし、梅はきれいじゃない。たぶん場所が向いている、いないがあるんですね。カメムシのたまり場が近くにあるとか、湿気のたまり場に梅の木があるとか」


無農薬にこだわって、失敗しても、なんとかできた小量を、無農薬が好きな人に買っていただくという方法もありだけど・・・すこしだけ農薬使えばもっとたくさんの人に食べてもらえるなら使ったほうがいいと思うのが錦自然農園の考え方です。

だってそのほうが楽しいから。太秋柿は無農薬・無肥料に挑むことが楽しかった。でもこれをウチが続けても意味ないな、と確信できたので来年から農薬と肥料を復活させます。

うちの桃はすこしだけ農薬を使っているけど、周囲の人から果樹だから農薬使ってもしょうがないといわれます。果樹は特別だと。でも、そうかなあと思います。野菜だって米だって、難しいし、苦労してるし、すこし農薬使ったからといってどういう問題があるわけじゃないのもいっしょ。苦労もいっしょ。おいしいも一緒。なんにせよ問題は「使いすぎること」。
欲でふくらんだ作物がもつ肥料の味っていうのがあります。

まごころを注いで、おいしい野菜を作ってくれる人にはそれ相応のリスペクトを価格に反映させていかないと、ほんとに食べるものがなくなってしまったときに慌てても遅いですよね。

わかっているんですが・・・・・・。


参考にしてください

★有機JASで使っていい農薬や肥料を掲載
www.maff.go.jp/j/jas/jas_kikaku/pdf/hajimete-2601.pdf

★地球は温暖化してないというひとを論破できます、というひとのお話を書いてくれている「ほんもののたべもの日記」
https://hontabe.blog.fc2.com/blog-entry-637.html



でも最後に↓をくりっく。無農薬の米も、低農薬の米も販売中。両方おいしいお米です
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「おかーさん、それは頭わるいんじゃないの」

いきなりなタイトルですが、先日母にこういうことを言ったというおはなしです。

実家に帰った日は福岡の中央区を都会ならではの寄り道をたのしみながら歩き、
翌日は実家ちかくで住宅街ならではの寄り道をたのしみながら歩き、最後によったケーキ屋さんでは思いがけず親切なサービスもしていただき・・・。

この二日間は今年最も長く歩いたうえ、連日おいしいものを食べた幸せもプラスされて、幸せが身からあふれてこぼれて困るくらいでした。

とそこへ母(81歳)が、

「あーたのしかったね。やっぱり歩くのはいいね」と言ったので

「うんそーね。毎日歩けばいいよね」と言いましたら

「うーーん、あんたとしゃべりながら歩くならどんだけ歩いても疲れんけどひとりで歩いてもつまらんもーん」

というのでした。

え? つまらん? そんなこという?

わたしの説教スイッチがしずかにオンされました。


「ちょっと、おかあさん。つまらんてことはないでしょう。つまらんってことは。

お母さんが昨日3時間歩いて、今日も2時間近く歩けるって、これがどれだけ恵まれているかわかる?
世の中には30分でも、いや10分でもいいから外を歩きたいと思いながら寝たきりの人がどれだけおるか。
お母さんはただ運がいいだけで、今日歩くことができたんだから。それはものすごくありがたいことなんだから」

「そうねえ。そういうふうに思ったほうがいいんやろうねえ」

は?
私の説教スイッチ、パワー強へ!


「思ったほうがいいって、それはつまり思ってないってことよね?
思ってないっていうか、わかってないってことよね?
それはお母さん、めちゃ頭悪いんじゃないの?

●●さん(83歳)は朝の散歩してただけで近所の犬にとびかかられて腰から転んで、以降の人生、ずーっと腰が痛くて長く歩けなくて、犬と犬の飼い主をうらんでるんだから。
お母さんがそんな目にあわなかったのは、運がよかっただけよ。

バスに乗ってただけで、窓から火炎瓶放り込まれて死んでしまう人とか、
隣近所にヘンタイが住んでいただけで切り殺された人とか、
運ひとつでどんなことも起こるのに、お母さんは自分がひとりで歩けること、1時間でも2時間でもお散歩できることがどれだけ恵まれているかわかってないってこと?

がんになるのは天からやりが降って来た場所に、たまたまそこにいたからあたってしまったようなものだ、という人がいるけどね、わたしはたまたまそこを歩いていた人だからね。

ちょっとのずれで人生にはなんだって起こるのに、今日お母さんが元気なのは、誰かがお母さんを守ってくれてるからなのに、ものすごくありがたいことなのに、それをまあ、なんと、お母さんは、ありがたいと思ったほうがいいんやろうねえと言うわけ?
それってお母さんはものすごくバカってことじゃないの?」

ちょっとだけ黙っていた母が言いました。

「坂道をねえ、このあいだ自転車のブレーキがこわれてそのままいって、壁にぶつかって止まったのに怪我ひとつせんかった・・・」

「ほら。そういうことの繰り返しでお母さんの今日はあるわけよ。天神まで歩いてデパ地下でアイスクリーム食べて帰ってこれるわけよ。自分がどれだけありがたいものをいっぱいもらってるか。わかる?」

「わかりました」

「わかった? ほんとに? お母さんは恵まれてるんだからね」

「そうかねえ・・・・恵まれとるとは思ったことないけど」

「まだ言うか。・・・・だいたいねえ、わたしのお父さんはガミガミうるさい面倒なお父さんだけど、あなたのお父さんは穏やかでみんなに好かれるいいお父さんだったでしょうが。それだけで人生がどれだけ違うか」

「それはそうね」

そこで納得するな!


がんになると幸せになる、とは多くの人が言うところですが、こういうことなんだと思います。
とくに私の場合は、すんごくつらい時期を経由して、今日こんなふうにQOL(生活の質)高く暮らせているので、散歩するのも掃除するのもおっとの横に座ってテレビを見られることも、

うおおお、しあわせだあああああ

と思ったりしてます。
べつにつらい時期が過去のものになったわけではなく、いつそれがまたやってくるか、明日の保障はない世界です。
それは病気をもっていようがいまいが、誰でも同じはずなのですが、わたしの場合は保障なき世界で事なきを得ているしあわせに敏感、いえ過敏になっておりますゆえ、1日の終わりに日記をつけるとき、ありがたさに打ちのめされることがあります。


がん患者でしあわせを感じている人って多いのですが、嘘でも無理してるのでもなくこういうこと。
人のことは知らないですが。



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ただいまの食事療法

周囲から「元気になった」と目を丸くされることが続いています。

抗がん剤の中でも副作用がちょっときついイリノテカンを今回は抜いてもらったせいでしょうか。
はたまたオキシコンチンの副作用の便秘対応の薬をはじめて使ったせいか。
その薬は、2017年から販売開始されたそう。
新薬は副作用が強くでる可能性もあるそうで、ちょっと心配でしたが大丈夫でした。
もともと薬に対する嫌悪感が強く、ほとんど信頼感をもったことがない人でしたが、最近は薬に助けられることが続き、嫌悪感なんてとんでもない。薬に救われる経験をしないと感覚は変わりませんですね。

というわけで2018年になって一番元気な今日このごろです。
おとといは福岡の実家に帰りまして、大濠公園から天神まで歩きました。
ん? 意味不明ですか。代官山から渋谷まで歩くより長い距離歩いたってことですよ。もっと意味不明ですかね。
81歳の母とふたり、水炊きの名店でおいしい鶏料理にまんぷくし、テーラーメイドの帽子屋さんでお買い物し、親戚の事務所にお邪魔して、ゆっくりゆらゆらお散歩を楽しみました。
こんなに長時間歩いたのはセドナ以来でした。
二人とも熟睡できないほうなんですが、その日は朝まで完全熟睡した!
「歩くってすごいね」と朝ふたりで感心してました。

まず歩く→おなかがすくから食べる→動きたくなるからもっと歩く→眠れる

このサイクル重要ですね。

5分も歩けないとか、そもそも外に出る体力がないとか、そういうどん底の時期が今年の前半。
5月半ばすぎにはじめた薬のおかげでついにここまで!

薬に全面依存してますので、薬をやめたらひょろろんと元通りに弱ってしまう可能性は大ですが、
薬のおかげで食事ができるようになり、食事のおかげで筋肉がついてきたおかげで得られた今日のげんきです。

主治医の押川先生は、「油でもいいからカロリーの高いものをとれ」という考え。
そうやって栄養状態をよくすれば、薬のききがよくなり、副作用が弱くなるそうです。
たんぱく質もヘモグロビンも白血球も健康な人なみなのは、油のんでるわけじゃないですが、「とにかくカロリー」主義で食に必死で
くらいついた(どういう表現だ)成果かもしれません。

何も食べたくない、食べれない、という時期に、マクロビオティックだの玄米菜食だのをしたのは無謀でした。
食べれないのに食事制限していると、一日に「ひとくち」しか食べられない、という悲惨な日々になってしまいます。
食べれない自分でごめんなさい、と暗くなりながらおっとが用意してくれるものを全部のこす・・・・


こんなのまちがっとる!!
と気づいていろいろな制限をはずしました

まず

チーズなら食べられる

と気づいて乳製品OKに

玄米も白米もダメだけどパスタは食べられる

と気づいて小麦粉ざんまいへ

パンも全粒粉とかダメ、くるみ入りとかダメでした

白くてふわふわした食パンが食べられる

何にも入らないときに胃が受け付けてくれるのは
オレンジジュースだったので
最初は「なんだこの天然もどきのまずさは」と拒絶したけど、一日たったら、やっぱりこれしか胃がいれてくれないわ、とオレンジジュースを毎日飲むように。
大腸ダメな人はジュース厳禁、ってセツもあるんですけどね

オレンジジュースが開いてくれた胃が受け付けるのはプリンだけだったりする日も多かった。
あと森永のクッキーだけが入る、という日も。
そうして、もともと甘いものへの愛着が薄いのですが毎日お菓子を(駄菓子系を)食べるように。
食べられるのはクッキーだけ、って日もけっこうありました。

パスタソースはこの人生、百%自分でつくっていましたが、今回の食欲不振に際しては手作りよりもすでに加工された、温めるだけになっているソースじゃないと食べたくない! ってこともありました。
パッケージされた、お湯にいれたら食べられるソースを何食も食べました
せっかくオットが作ってくれるトマトから作ったソースなのに、「食べたくない」と拒否したことも。

そういうふうにして、食べたいものは何かと一つずつさぐっていって、
食べたくない、食事はいらない、となりがちな自分を、食にむかわせていったんでした。

3日間オレンジジュースだけでもおなかすかないって自分でも不気味でした。ふらふらしながらトイレいくんです。
いやですよね。体は食べないとすぐ弱る。

それでもチーズが入るようになったらすこし違う。
パンに雪印のプロセスチーズを厚切りに切ってはさんで、フライパンにバターをおとして上下を焼くチーズサンドは、幼いときに母がよく作ってくれた「健康によいと母が信じているおやつ」でしたが、40年ぶりくらいにそれを自分でつくって食べて・・・

「これなら食べられる」と何日も連続で食べてました。

がん患者に推奨される食事の本をよむと、なるべく無農薬の野菜、とか書いてありますが、そういう「左脳」で考える食事は私の弱った食欲が跳ね返すのです。

「添加物を食べないように」とかも跳ね返しますね。頭で食事するの無理でした。

もともと添加物を嫌悪するとか、無農薬へのこだわりとかはまったくないのですが。

でも牛乳は飲まないようにしてから数年たっていました。
いまは飲みます。
牛乳は体に悪いという考えに不信感を抱くにいたっております。


今、ようやく何でも食べられるようになったので、
ただいまの食事療法の方針は、
おいしいものしか食べないようにしよう、です。


もうオレンジジュースもプリンも温めるだけのパスタソースもいらないですが、弱りきったときに助けてもらった恩は忘れません!


それにしても私はついてます。
薬たって抗がん剤は何百もあるのに、いくつかの選択肢からワタシにはこれだ、と選んでいただき、それが功を奏しているのは、とてもラッキーです。やってみないと効くか効かないかわからないんだから。

ラッキーといえば、今日は福岡からの帰り道、美術館で長谷川利行展を見たあと、最寄の高速バスのバス停でバスを待ったのですが、予約もせず時刻表もみずタクシーでかけつけたのに、二時間に一本しかないバスが15分遅延したおかげでワタシの到着の3分後にやってきた。
そして予約もしてないのに最後の一席があいてたおかげで乗せてもらえた。

それに気がついたとき、ラッキーすぎる自分に気づいたとき、心臓がしばらくドキドキして止まりませんでした。

こんなことで運を使うのは運の無駄遣いというのだろうか。。。
私はいつも運がよいのだぞってふんぞり返っていていいのかな、とか考えてしまった



新堀さんのお米、新米にきりかわってます。小川さんのお米は来週からの予定。
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断食でがんが治る?

がんになったら断食で治そう。そう思っているヒトはけっこういるような気がします。
主に「抗がん剤なんかぜったい使わない」と思っている人に多いのではないでしょうか。

自然療法の中でも手が出しやすい療法のひとつ。
施設で医師のもとで行わないと危険で、ときに死に至ることもありますが、注意事項さえわかっていればできそうな気がするし。
デトックスやダイエットという人気の概念にもつながって、昔ほどいかがわしいイメージはないよう。

私自身が断食に初めて触れたのは、20年前、新潮社の「シンラ」という雑誌で取材したとき。
自分では断食をしませんでした。仕事が忙しかったのでとても一週間も施設にこもるなんて考えられなかった。もったいないことでした。
その後ニューヨークに住んでいる時期にコロラドあたりだったかホリスティック医療を標榜する施設に予約をいれたことがありましたが、やはり仕事の都合でドタキャンしたのでした。興味津々なのに、縁がありそうでないのはどこかで逃げているのかな。

私が断食に興味をもった理由は単純で、肉体を限界まで弱らせたときに出てくる神秘的な何かに期待したからです。

そのアイデアはどこから来たかというと、20年以上前、越智啓子先生が吉祥寺の井の頭公園の近くに精神科のクリニックを構えていたころ、雑誌の連載で定期的にクリニックにお邪魔していたのですが、私はそこで先生の非常に神秘的な断食経験を直接うかがい、断食への興味が突如ひらかれたのでした。

とはいっても、施設での断食経験は今もってないままです。
がん治療のために断食をやってみようと思ったのは昨年9月でした。
抗がん剤以外にできることはないと病院にいわれ、抗がん剤は副作用の強さに負けて逃亡した経緯から自分には無理だと決めてかかっていた時期です。実際には病院を変え、抗がん剤を変えたら、副作用は格段に楽になり、腫瘍マーカーは3ヶ月で8割以上激減したのですが。

当時の私にとって、できるることが他にないと病院に言われれば残るは自然療法しかなく、手が出しやすい順にいろいろやっていくなかででてきたメニューのひとつでした。まずは3日断食にチャレンジ。結果次第ではアップグレイドもありだとと思いながら。

で、結果はというと大失敗。
すでに十分弱っている、貧血も進んでいるからだで断食をすると、空腹はそれほど感じないのですが、体の弱り方がいちじるしい。こんなにだるいのはおかしいと、怖さを感じてやめました。
やめたあと、体が復調するのに4、5日かかりました。だるい、きつい、寝てるしかない。馬鹿なことをしたものです。
断食に思いいれが強すぎなくてよかったけれど、これを1週間や10日続けていたらどれだけからだにダメージを与えたか。
断食は健康なうちにするものです。

がんが悪化すると、食事がとれなくなるだけでなく、食事がとれていても痩せていく人がいます。疼痛があれば(私はありました)寝ている時間がおのずと長くなり、寝ている時間が増えると3日もあれば筋肉が落ちていくのがわかります。 
栄養状態が悪くなるのががんの悪化のプロセスです。栄養状態の悪さにどこまで対処できるかが、がん治療のポイントになるくらいなのに(対処できる病院は多くありません)、断食であえて栄養状態を悪くしてしまうのは、非常に危険な賭けになります。 

そうしたことが知られてないせいともいえますが、断食でがんを治すという考え方は、世間でけっこう人気があります。
いったいなぜなのでしょう。

病院の治療と正反対の場所に位置するから?
つまり、体ひとつで道具も費用もいらず、いつでも誰でもはじめることができるから? 
理論、理屈がシンプルだから? 

「断食は体が本来持っている自然治癒力を引き出す」
自然療法のほとんどのものは、「自然治癒力を引き出す」という説明がされます。

自然治癒力とはなにか? 転んですりむいても、ツバつけとけば治る、というやつです。
あ、違う? 現代医学の力を使わなくても病気が治るって話でしたか?

でも、おかしいですよね。
1950年より前には飢えて死ぬ人が日本を含め世界中に大勢いました。
断食を勇断しなくても、飢えて病気を悪化させ、死に至る人は珍しくありませんでした。
人類は発生以来、ずっと飢え続けていたのです。
しかし飢えは病気に立ち向かう方法になりえなかった。

断食は、飽食の時代だからこそ人の耳目を集めることができる、おもしろい物語にすぎません。
もし断食が療法として有効なら、飢える人の多いアフリカで医療の代わりに推進すればいいのにと思いませんか。

同じことで、菜食や自然塩の大量摂取や運動、都市的生活のストレスを取ることで病気が治るなら、20世紀より前に病気など存在できないことになってしまいます。


「断食」と「がん治療」で検索してみましたら、トップページにいち早くでてきたのがこのウエブサイトでした。

たいへん読みにくい文章ですが、書かれていることは「マウスを対象にして各種研究が行われている」「絶食は抗がん剤の副作用を軽減する可能性がある」というだけのようです。
にもかかわらずタイトルが「絶食は抗がん剤よりも効果的である」とは。
読解力がないのか? いえ、そうではないでしょう。こういうのを「つり」というのですね。

こうしたあからさまなショウバイ気は、「治癒よりビジネス」に重きをおくクリニックであることを露見していますが、それによるデメリットが問題視されていないのが不思議です。


断食ががん治療に有効だと多くの人が信じはじめたのは、ここ十年くらいのことだと思います。

酵素がちまたで有名になったことと関連がありそうです。
断食中に酵素を飲むことを勧める医師が複数いるのです。
酵素ったって家庭で作るアレじゃないですよ。メーカーが作った商品の購入を勧めているのですね。

酵素を有名にするの貢献した医師のひとり、鶴見隆史という医師には、『断食でがんは治る』 (双葉新書)という著書もあります。
がんに関する本にしばしば見られることですが、
非常にまれな治癒例を出して「治る」と言い切る本です
鶴見氏のクリニックはこちらです。

もう一方、 「断食でがんが治る」を推進して大きなムーブメントをつくったと思われるのは、ムラキテルミ氏。

こちらの場合は医師でないため、彼女が使っている有名断食医師の名前は、石原結實氏。
石原氏の断食施設のウエブサイトは最近刷新されたようですが、すこし前まで「ジュース断食でがんは治りません」という文言が躍っていました。「がんはがんの治療で治してください」というような言葉も。

ムラキ氏の自著『ガンは自宅で治す』(KKロングセラーズ)は不思議な本です。
私にとって不思議なのは以下のような箇所です。

●腫瘍マーカーが60を超え、「がんに間違いない」といわれた

そんな医師がいるのだろうか?
腫瘍マーカーをがんではない人が検査するとがんではないのに破格の数値が出ることはしばしば報告されるそうです。

●CTでゴルフボール大の腫瘍がみつかった。三ヶ月前はなかったのに。「このスピードだと間違いなくほかの部位に転移する。手術をしたら95%の確率で肝硬変になる。もし抗がん剤治療をしても3ヶ月から半年の命だ」といわれた。

いちいち乱暴な医師です。CTでみつかっただけで腫瘍ががんであるという確定を出すだけでなく、余命まで伝えるなんて。

●石原氏のクリニックに電話をかけると受診まで「三年半待ちになる」といわれた。

いかに医院長が著名でも、自由診療のクリニックを受診するのに3年半は盛りすぎでは? 


本には石原氏の話がずいぶん出てきますが、その石原氏が「がんは断食では治りません」と書いていたのです。
以前のホームページでは。

ムラキ氏の経験談としてつづられているのは、11日間の石原氏の施設で断食(人参りんごジュースを飲みながら)をするうちに、便が出るようになり、目やに等が出て、11日後には、腫瘍マーカーが施設に入る直前に3000を超えていたが60を切るまでになっていた、と言う話なのです。
今度は3000ですか? どこで計るかでも大きな差がでるそうですが、そこまで腫瘍マーカーってイイカゲンな数字なのだったら私の数値もたいした意味ないのかなあと思えてきますね。実際、私の主治医はマーカー値に一喜一憂しても意味なし、と数字の意味のなさを言っていますが。

私はこの本をじつは母ががんになったときに購入して読んでいました。
まゆつばなところだらけなので母に断食を勧めることはありませんでしたが、自分のことになるとすっかりだまされました。

頼るものがないときは、治った人がひとりでもいるなら、やってみる価値があるような気がしてくるのです。
その奇跡が自分にも起きてもおかしくないと思ってしまうタイプの人がいるのです(わたし)。

ムラキ氏の話がかんちがいに基づく「なんちゃってがん」であったかどうかは知るよしもありませんが、本につづられている大量の便が出る風景のカラフルさはたいへん印象的です。
自然療法で病気を治した人のウエブ記事にはこの描写に影響されているように思うのですが、「大量の排泄物=治癒」という文脈の文章に出会うことがあります。

便はただの便。汗はただの汗です。下剤で大量の排泄物を出すのと、断食中に出すものと違いがありますか?

排毒という言葉は、私自身は20年前に前出の雑誌で扱ったのが最初で最後。毒ということばに何の成分が含まれているかも明らかにできないのに、簡単に毒なんてよく使える、と取材した施設に対して思っていましたが、今ではあまりに多くの人が疑いももたず「デトックス」「排毒」という言葉を使います。
毒は肝臓で中和されており、汗から出ることはありませんが、「デトックス」や「排毒」の文脈で使われる「毒」の意味を問う人は、まずいません。

話がずれますが、この本に出てくる不思議情報のひとつに体温の話があります。
がん患者は体温が36℃以下で、39.5℃以上に体温を上げればがん細胞は死滅するというもの。
手術の直後から今にいたるまで私の体温はほぼ36.5℃以上です。
39.5℃で治るのなら莫大な費用をかけて抗がん剤の開発などしないで熱を上げるようにすればいいだけ。
実際病気のために高熱を出す人はいくらでもいますが、それでがんを治した人の話は聞いたことがありません。

がん患者35℃説、39.5℃以上でがん死滅説を信じている人はたいへん多く、本が売れていることと内容の正確さには何の相関もないことを明らかにしているいい例です。

なぜムラキ氏がこういうヘンなこと・・・失礼、不思議なことを書いているのかといえば、さっくり言うとビジネスになるからです。
講演会に人がおしよせ、本が売れるからです。

自分の体験からよくわかりますが、

少なからぬがん患者は、
高すぎない金額で提示される治療方法を
「実例をだして」
「治ると断言して」販売されると

じつに簡単に、お金を出してしまうのです。


鶴見氏のクリニックのウエブサイトに並ぶ療法はどれも、それでがんが完治した人が何人いるのかと思われる、根拠の薄い方法ばかり。
ほどのよい、支払えなくはない料金設定が、がん患者のココロをくすぐります。

「断食をすればあなたのがんなんかすぐ治る」
私自身、このせりふをある食養生の先生に言われましたが、「治らなかったら?」とは頭には浮かんだけれどいえませんでした。
すでに断食が自分を弱らせることを知っているので、お勧めには従いませんでしたが。
「なぜ、そんなに簡単に断言するのですか」
とくらい言えばよかったけれど、とりあえずすがるワラをキープしておきたいときに、敵を作るようなせりふはいえません。


自然療法でうまくいった人が何人いても、それが誰のがんにも効くことの証明にはなりません。
百人のがん患者がいたら、がんのタイプは百通りあります。
治し方が病態によって違うのは当然のことなのに、なぜがんだけが、「これでがんが治る」という言い方がされ続けているのか。

答えは簡単。

「あなたのがんを治せる」とシンプルに言い切ると、すがってくる患者が大勢いるから。ビジネスが成り立つから。

がんを幼稚に理解している医師免許を持ったビジネスマンが、
または医師の言葉を引用しながら体験談をかたる販売業者が、

「これでがんが治る」と明言します。

「これ」が断食であっても、保険がきかない免疫療法であっても、温熱療法や高濃度ビタミンC療法、音響療法、放射線ホルミシス療法、ケトン食療法などなどであっても、どうぞどうぞご注意を。




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プラズマ療法って何? 

プラズマ療法のことを教えてくれたのは東京の友人。
心ねのきれいさも人生や仕事への誠実さも、とても信用している。
この友人からの情報でなかったら無視したかもしれないけれど、彼女の推薦だったからちゃんと推薦書籍を読みました。
がん治療に関してやまほど入ってくる情報のなかでどう取捨選択するかは、誰からもたらされた情報によるかが私の場合大でした。このヒトがいうのなら検討しないわけにはいかない。そう考えました。

友人はこれについて詳しいわけではなく、情報として自分で検討してみてくれというスタンスでしたので、そのままにしておくこともできましたが、彼女がこれを教えてくれたのは、抗がん剤以外に手の打ちようがないと病院にいわれ、抗がん剤だけはしたくないと思っている時期。何かしらの手は講じないといけないと真剣に模索している時期でもありました。

というわけで読んでみましたプラズマ療法について。

農家が昔から言っていた「稲妻(かみなり)がなると植物の成長がいい」ということを裏付けるような、
「稲妻に生命力を活性化する力がある」という仮説に基づく研究が進んでいるらしいです。

名古屋大学の教授が「国際論文」を発表、熊本大学では「プラズマを人体に直接照射してがんを治そうとしている」、東北大学でもその研究をしている。こうやって国立大学の名前が畳み込まれるだけで、なんかよさそうと思ってしまうのは、かなりやばいと最近は思うようになりました。しかしこの頃はそうでなかった。東京大学でもなんでも、大学名をヒラヒラさせて人の警戒心を解こうとするビジネスの定石があることを知らなかった。

日本プラズマ療法研究所の田丸理事長はインタビューにこたえてこういいます。
「日本のがん医療はアメリカより数十年遅れている。世界の最先端をいくのはプラズマ」であると。

彼自身も「余命三ヶ月」と医者がいう胃がんになったが、それを自身で完成させたプラズマパルサーという機械で照射することによって、たった五ヶ月で消失させたそう。

それだけ効果があるのなら、学会発表して大きく世間に拡げ、世界中のがん患者を救ってくれ、と思うところですが、
田丸氏は「邪心のある人には販売していない」のでほとんど普及していないのだとか。

ちなみに田丸氏は某インク会社に勤務ののち、帝京大学医学部の研究員になり、その後、フリーランスの基礎研究者として企業の依頼に応え、がんになって5年目のときには東京大学で研究員をしていたそう。
プラズマパルサーを作ったのは東京大学の研究員時代です。

その時期に500万円あるから新たながん治療器を開発して欲しいと言われたそう。
がん治療の研究助成金に500万円はあまりにしょぼい金額ですが、
そのお金を使って田丸さんが完成させたのがプラズマパルサー。

「340人のがん患者のうち、なくなった人は33人」と田丸氏が言います。
「33人の半数はすでに余命1ヶ月という状態。余命が三ヶ月あれば治った」のだそうです。
その他の亡くなった人は、「途中でプラズマをやめて三大療法(手術、抗がん剤、放射線)に戻った人」だったそう。

この三行、どこかで同じことを聞いたことあると今思い出しました。
陶板浴の経営者がそれと同じことを言っていました。
「だからうちは抗がん剤をやっている人を受け付けないんです」と。

三大医療を否定している田丸氏は、陰謀論の人がいうようなことを言います。
「アメリカでは抗がん剤は使われていない」
「アメリカのがん治療の主流はミトコンドリア活性が主流だ」


プラズマ療法の説明をしてみましたが、どうですか。魅力的に聞こえますか。
それともなんという「うそ臭いハンパ研究者」か、と思いますか。


つかむワラもない、というときには、これで治った人がいるということと、熊本でも受けられるということが目に入るすべての情報になってしまいます。
とにかく話を聞いてから受けるかどうか決めよう。

失敗に対する恐れが少ないのを共通項とする私たち夫婦は、うさん臭いかどうかより実行して決めることに簡単に一致します。
それはけっこう夫婦として短所であることを、最近になってつくづく思うようになりました。

失敗してもいいというのは、未来が茫洋と開けているときにいえることで、あと半年とか1年もないとかいわれている身はもう少し慎重に考えようよ、と今だから思いますが、そのときは思わなかった。

前回のブログに書いた「放射線の可能性はやっぱりぜんぜんないこと」を改めて確認しにいった病院の帰り道にプラズマが受けられるというサロンに電話して、そのままそのサロンに直行しました。常にスピーディなのが私たち夫婦の得意技なんです。このさい得意技ということにしておきましょう。


行った結果、プラズマ治療は受けないことにしました。

1時間足らずの照射で6千円。それも毎日通わないといけない。
毎日できないなら週に何回かでもいいという提案もありましたが、オットにつれてきてもらわないといけない身ではそれも無理。

無理でよかった。

もし私たちが都会に住んでいたら、これくらいのお金なら出せると思ったでしょう。
出せないと思う金額でも、出してしまうのががん治療の恐ろしいところです。


しかし、プラズマ療法が本当にがんを治す効果があるなら、田丸氏はしかるべき著名な科学雑誌に論文を提出するでしょう。
それをしていないということは、効果がハンパだということです。
東北大学だの熊本大学だのの名前が並んでいるだけで、わけわからないけど、ひょっとしたらここに書かれていない、まだ解明されていない効果の理由があるのかもしれないという気がしてくるのです。


私にすすめてくれた友人がいうところによると、友人の知人がそれを積極的に推薦しているらしいのですが、その人の周囲で5人のがん患者が試し、みんなよくなったのだとか。

よくなったというのが、どのレベルの「よくなった」かを聞いていないし、
「よくなった」が一時的なことで、あとで悪くなったかどうかの追跡できる時間はたっていないし、
5人は病院の標準治療を受けていたかいなかったかということ聞いていないし、

私の友人からの情報収集はとてもとても不十分だったのですが、そんなことは「行って」「見て」自分で判断すればよろしい、と私は思いました。


そのリッチなインテリアのサロンに行きまして、3時間以上の長い時間話を聞き、健康診断的なもの(指から出る電波的なものを計測する)をやってもらって帰りました。

プラズマの話はほとんどしなかった。ま、受けないということがすぐに決められたというのもあります。
そのサロン自体が推しているのは、プラズマより別の機械だったのです。


それはAWGというがんを治したい人にはすこし名の知れた器具でした。
もちろん私たちはそれを知りませんでした


がんの治療方法を探し出すと、次々にころころと転がり出てきます。

どれも「高すぎない」「続けられる」「続けるとけっこうな金額になる」「効果のほどは不透明」

代替治療放浪記、おばかでかわいそうな夫婦だと思われるのはけっこうです。
こういうことにならないように、お使いくださいませ。

最低限の暮らしをしている無職の一人暮らしの女性で年間50万円をこえる病院治療費を8年間も出し続けた人を知っているし、余裕ない暮らしをしながらがんの免疫治療というこれまた効かないけど、わらをもつかむ人には光輝いて見える方法に1000万円以上の借金をした人もテレビで報道されていました。

すがるものをなくしたがん患者にとって、お金はあまり大事じゃなくなるのです。もっとだいじなものが目の前にリアルに見えているから。いのちのほうが、お金よりリアルでより大事。お金なんか生きていればどうにでもなる、という感じがしてくるのです。そんな気になったのはほんの一瞬でしたけど。

ちなみに昨日も病院にいきまして、抗がん剤をいれてきました。
腫瘍マーカーは3ヶ月で80%以上の減少となりひと安心していましたが、昨日とったCTでは肺への転移が見えなくなっていました。他の場所にはありましたけどね。




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尿療法は効かない

これをしていたことを今日まですっかり忘れていました。
去年の9月に希望をゼロにさせられる宣告を受け、そのときから二ヶ月間したのです。
このことはオットには言いませんでした。
パートナーがそんなもの飲んでいると知ると、気分よろしくないかもしれない。
私だったら知らせて欲しくないと思いまして、伏せておりました。

そもそも飲尿の世界を知ったのは今から十年以上前のこと。
友人がミャンマーの寺に出家するにあたり、「これから医療を受けられない世界に行くのだから飲尿の習慣をつけておきたい」と始めたことを話してくれて、その関連書籍を貸してたのがその世界に触れた最初でした。

本はおもしろくよみました。
本で知ったことをそのまま別の友人に話したら、その人は素直にやりはじめ、今15年たっていますが、いまだに続いているらしいです。

私のほうは、やってみればと勧められたときに、偏見だけでやらないと決めない、と決めているので、ものすごい心の葛藤を抱えながら2回だけトライしました。あまりにも精神的嫌悪感のあることをやってしまったせいなのか、飲んだ瞬間背中の骨をお尻のほうから上に向かって電流のようなものが走ったことを覚えています。

で、2回やったきりやめました。
私の友人にオーガニック系が多いせいだと思いますが、その道の経験者や実践者がその後の人生に次々と現われました。
その多くはなんらかの病気や不調を抱えている人で、やむにやまれず手を出した、という人ばかりです。
実践者はハンで押したように同じことを言うのです。
「慣れたらお湯を飲むのと同じ。自分の体調の変化が飲むことでわかるし、やめる理由がない」

はあ、、、、、です。もうそんなの、聞くだけでうんざり。
がんになったことを伝えたとき、実践者の友人たちは全員、「やればいい」と勧めてきました。
「いやあ、ちょっと無理でしょ」と私は答えました。
「こんな局面になっても、やれないもんかねえ」とひとりはつぶやいてましたけど、無理なものは無理です。

考え方が一転したのは、腹部に大きな腫瘍が発見された9月でした。
化学療法をしないのなら1年もたない。半年かも、という話になってましたが、術後の化学療法でゼロックス療法というキツイのに耐えられず敵前逃亡してしまいまして、もう化学療法にもどる選択肢はないと思っていました。
結論としてゼロックスよりはるかに副作用のない薬で効果を上げている今日この頃ですが、少なくとも当時は「化学療法二度と無理!」と確信していました。

死刑宣告(!)を受けて病院を出た私たち夫婦がしたことは、自由診療のお医者さんを訪ねること。
なぜそこに行ったかというと、勧める友人がいたからです。
前からその人物を知ってはいましたが、はっきりいうとうさんくさいと思っていました。
その医師はマクロビの食事療法の指導とびわの葉温灸といくつかの健康食品を売っていました。
相談料2万円。
でもその時の私たちにそれがうさんくさいとか高いとか考えるゆとりはありませんでした。
病院に頼れない。でも誰かに希望のありかを指し示してもらいたい。望んでいるのはそれだけでした。

その医師から某病院の放射線は私にも適応される新技術のものだというガセネタを教えていただき、教えられた病院を訪ねましたが、絶望を深めるだけの結果に。
病院からの帰途、絶望の車中で、「とにかく笑おう」というオットの進言でユーチューブから探し出した漫才を聞いてみましたが、ひとつも笑いどころがわからないうちに終わってしまった。「あれ?おわり?」と言ったおっとのことばで初めてうすく笑いました。
漫才と落語と漫談と、とにかく笑えそうなものを片っ端から探していましたけれど、笑えないのでありました。

オットはネットで、私は本で情報をさがしはじめました。
そして私の足のつま先にコツンと触れたのが尿療法。
それについて書かれている本を絶版になっているものも含めて6冊くらい読みました。
代替医療の情報は、ネタが何であってもだいたいそうですが、成功事例集になります。
治った例を集めている。その方法が失敗した事例についてはまず書かれていない。

フランスのもの、アメリカのもの、日本のもの、いろいろ事例集は集められますが、どれも根っこは一緒。
尿でがんが治せる理屈はわからないけれど、治った人がいる。本当に治ったかどうか、最後まで追跡されてはいないので不明だけれど、少なくとも一時的には回復した例がある。それも複数。

複数というだけです。
その方法をためした患者数はどれだけあったか、それに対して成功数はどれだけあったのか、実績を正しく紹介し、比率を教えてくれる本はひとつもないのです。


だけど、無料でやれて、試すだけなら損はない、と考えるチャレンジ好きな患者はそれだけで試してしまうのです。


これだけエビデンスのない療法なのに、タダなものですから、おっとに内緒で初めてしまいました。
最初は50ccくらいからはじめて、じょじょに量を増やし、ある医師が推奨する量の一日800ccまで飲んだ。
これはもう狂気といっても過言ではないでしょう。

がんを自然療法で治そうとしている人たちが読む月刊誌にも、ときどきそれをやっている人が出てきます。
患者だけでなく、おおまじめで推奨する医師もひとりや二人ではないのでした。
医者が言っているのならそれもあるのかもしれない。
メカニズムがわかってないからといって否定してはいけないのかもしれない。

このころ、朝起きると朝いちばんで「それ」を飲まないといけないという規則を自分に課していました。
飲みなれてきたとはいえ、好んで飲んでいるわけではない。飲みたくないなあと思う。
それでも「飲まないと死んでしまう」という気持ちだけで、飲むために起き上がるのでした。

こういう行動を始めてみて、初めて、「死にたくない、生きる」と思っている自分に気がつきました。

「今しんだら、農家にとついで苦労したあげくに死んでしまった」というストーリーに自分がくくられてしまう。
それはいやだ、と思いました。

5歳のときから、肉体はただの肉体だと認識していました。
肉体にはいった魂だかなんだかわかりませんがその「何か」が私と合致するものであり、「肉」は私ではない。
そういう意識があったせいかどうか、死ぬことを日常的に受け入れながらその年齢になっていました。
がんの宣告も再発の宣告も淡々と受け入れられたのは、そこに関係があるような気がします。

しかし、そのうち死にますではなく半年後といわれるとそれはどうしてもいやなのでした。
まあとにかく、イヤでしょうがないことをするのも、何かの縁だからやってみる。
ネットを見てみれば、「飲尿をしていたに違いないあの有名人もがんで亡くなったから、がんに飲尿が効くというのは間違いである」などと書き込まれていました。そういう文言にはいちいち心がぐらつきました。
効かない人もいれば効く人もいる。
効かない人の話を頭に入れてはいけない。
今は効いた人の話だけを信じることにしよう。

とにかく、やり始めたことは少なくとも3ヶ月はやらないと結果がわからない。


そう思っていたのですが、2ヶ月で終了しました。
やめた理由は簡単です。

がんの代替治療を行うサロン的な場所で、正確な名前はわかりませんが、指から出る何かの電気的な信号で健康診断した結果が、二ヶ月前よりひどく悪くなっていたからです。

「何かしました?」

ときかれて、素直に「飲尿を」と答えました。
おっとも横にいました。

「あれはねえ、効きませんね」

とその人が言いました。

「うちの息子がひどいアトピーで、何をやってもよくならない。これをしたら治るから、と嫌がるのを無理やりやらせたんですよ。でも、ぜんぜん効きませんでした。息子にはいまだに無理やりやらされたことを恨まれています」


尿療法をしている人は周囲に多いけれど、「効かなかった」と断言されたことは初めてでした。
すぐにやめるかどうか迷った気がしますが、おっとが「やめるよね」と言ったとき、「はい」とうなずいていました。


この方はいってみれば、何の免許もなく、がんで行き詰まっている人に、こんな方法があるよ、と代替療法を教えたり、じっさいに施したりすることでお金を得ている人。
私はこの方には一度もお金を払っていませんが、情報をいただいたり、よくわからない方法で健康チェックをしてもらったりしました。
この方に連絡をとったのは、「プラズマ療法」というのができる場所だったからです。
プラズマ? わかんないですよね。
がんの代替療法についての話は続きます。




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26年目のセカチュー

このタイトルの本、映画、ドラマが流行ったときは、まったく興味がもてなかった。
白血病にかかった美少女が死ぬドラマが涙を誘うのは当たり前でしょう。
そういうのずるいんじゃないですか、と考えるタチなんです。

2004年、綾瀬はるかが普通の女優から人気女優に脱皮するきっかけになったドラマが「世界の中心で愛を叫ぶ」というドラマだったそう。
いまやアマゾンプライムでテレビドラマが無料視聴できる時代なもんですから、見てしまいました。
筋肉のしっかりした陸上選手の高校生が瀕死の姿になっていくプロセスが綾瀬はるかのかれんさとともにみごとに表現されていて、脚本も演出も演技陣も一流ぞろい。一度見始めたらとめるのが難しい。二日かけて全話視聴しました。

がんで死んでいくむすめっこのドラマなんか今見なくてもいいじゃん
と自分でときどき突っ込みをいれていましたが、見てよかった。
何がよかったかというと、わたしはついている、という実感を得ました。

何がついてるって高校1年生で発病して1年で死んでしまうというのは、実に悲しい。
自分をかえりみると、もう50年も生きている。ついてるな。
恵まれていることだなあと改めて思いました。

1950年なら50歳が平均寿命。もう十分に生きたでしょう、といわれたであろう年齢です。
最近は80歳でも90歳でもまだまだもっと生き続ける希望に満ちているので、50歳で十分ですなんていうと、なんと後ろ向きな、と叱られるかもしれません。
しかしやっぱりいってもいいでしょう。もう、54年も生きたと。

主人公と同じく私も絵本の編集者になりたいとその現実化をまじめに考える高校生でした。
恥ずかしいので人に話したことはほぼありませんが、高校生にして入りたい出版社も決まっていて、ふたつの出版社にはがきをだして入社条件を質問しました。
17歳で死ななかったおかげで、高校生のときの夢は半分以上かない(絵本編集者への道はあきらめたけど)
高校生の私が夢見た以上に編集の仕事は楽しくて、主人公が夢見たように仕事で世界各地を訪れることができた。

そしていくつか楽しいれんあいをへてこれ以上願いようのないオットを得られた。

テレビドラマ「セカチュー」をみて得た感想の最たるものが
自分はなんて恵まれているのだろうなあ、というのは普通かどうかわかりませんが、
このドラマをみた多くの人がちらりとは思うのではないかな。
人生に倦んでいる人は見てみるといいかもしれません。

私の場合、主人公の恋人が死んでいくシーンなんか見ると、「がん=死」の概念が刷り込まれてしまうかしらと懸念もしながらドラマが進んでいくのを見てましたが、まあ、結論はそのとおりでした(笑)。
映画バージョンは見るのをやめときましょう、と思います。

とはいうものの、死をネガティブなものにとらえることの極端までいっているこのドラマは、ネガティブのさいはてまでいって反転し、死のポジティブな側面をみるものに伝えてくれるのでした。

原作は読んでないのですが、映画も見てないのですが、セカチューのおもしろさの肝はここにあるのかもしれません。

死はとても普遍的で、つねにずっとあるものなのです。
死んだ人の記憶を周囲の人はのみこんで、体のなかに溶け込ませて、その先の日々を生きていくわけです。
なにも特別なことではなく、毎日すこしずつ死んだ人の記憶が薄れていき、そのうち思い出すことがまれになった、と気付く。


死を特別なものだと扱いすぎて、人生がこんがらがってしまった主人公。
恋人が死んだあと17年も、自分が生きたがっていることに気づかないというのは・・・・。
これは男女の違いなんでしょうか。
彼のような男は、その父親が指摘するとおり、ちょっとズルいなあと思いました。
セカチューの熱狂的なファンはたぶんほとんど男でしょうね。


飛行機が太平洋の上空で乱気流に巻き込まれたとき、大揺れが始まった瞬間に、両手のひらがしっかりとひじあてをつかむのを見て、「こいつは死にたくないらしい」と自分に思ったことがあります。

車がきてないか左右をしっかり確かめて道路を渡るとき、おなかがすいたらごはんを食べるとき、キュウリをきるとき包丁を乱暴に扱わない自分の手をみるとき、死にたくないという意思が発動して体を大事にいたわっているのがわかります。


死にたくないのか、死にたいのか、その意思は自覚されていないけれど一瞬一瞬の体の動きを通して発動されている。
死にたくないならちゃんと生きればよろしい。
死にたいなら死んでもよいという生き方をすればよろしい。


たとえば昔、女ともだちで自殺未遂の常習者がいたのですが、「死んでもいいと思っているんならカンボジアとか(当時は危険な国だった)いって、孤児をお世話するとかのボランティアしてきたら」と言ったことがありました。
言うまでもない話ですが死にたいと口に出し、ハンパ自殺行為を繰り返す人の多くは、ものすごく生きたいと思っている人なので、この提案は、よくわからない理由で却下されました。


セカチューで主人公の恋人は、高校生で死ななくてはならない身の上をゆっくり受け入れていきます。
この受け入れは、やすらかな死を迎えるために不可欠なものだと思います。

考えてみると映画やドラマでがんが扱われるときに、代替医療にすがっている人の姿はまず描かれません。
みなさん、標準治療を受けています。

標準治療だと、医療の限界が示されるので、患者はいのちの限界を受け入れざるをえないのです。

代替医療だと希望をつなぎ続けることができます。死にかけても、最後に息を吹き返し、がんを消滅させたストーリーも少なからずありますから。

代替医療に希望をつなぎ続けていると、最後の最後に奇跡が起こるストーリーが期待されているので、いつまでも受け入れ態勢に入ることができません。

死を受け入れざるをえないと気づくのは、代替療法で奇跡を起こせなかった自分の敗北を認めるときになります。

人生の最後の最後に、「私はできなかった」と思いながら「わたしは劣っている」「わたしは失敗した」「わたしは結局いつもこうだった」なんて思いながら、死の床にいることになるわけです。


奇跡のストーリーが自分にも起こると希望をつなぎ、死を受け入れていない末期がん患者の姿というのは、たぶん、がんでない人からみると、見苦しいものであろうかとおもいます。

がんでない人からみれば、末期がん患者には、死を受け入れて恬淡としていて欲しいのです。

がんというドラマを、鑑賞にたえるものにするのに必要な一要素が、「死を受け入れて死んでいく患者」です。
代替医療を選んだといううわさされる有名人に対して、非難が浴びせられるのがずっと不思議でした。
人の選択をどうして非難できるのかなあと。

ひょっとすると、死にいく自分を受け入れていない、そのジタバタさ加減が、がんに関係ない人には気持ちを落ち着かなくさせるのではないかと、疑っております。


それを裏付けるわけではないですが、

キキキリンの死後の、「彼女は死を受け入れて生きた」というストーリーに対する激烈な支持。
そんなに「死を受け入れる」ことは美談なのか、と思わせるほどです。


代替医療によってがんを治そうとする人たちの集まりをネットで見る機会は、なかなかないと思いますが、
そこにあふれているのは、

「死んでもいい」なんて思ったら負け!
「ぜったいに生きる」と思わなくちゃ!

という論調です。

私はそれにも疲れます。
だって人間毎日死に向かってすこしずつ前進しているのに。
そんな生命の自然に反することを望むのは難しいです。

奇跡のようにがんが消えてしまうことは、代替医療だけでなく、標準医療の世界にも存在します。
勤務医の忙しさで論文発表をしないだけで、おったまげーなことを経験したことのある医師は少なくないらしいです。

それでも
「奇跡なんかないですよ~」と口にするのが医者のふつう。
「奇跡はいつでも起こりえる」と口にするのが代替医療の世界。
どちらが患者にとってプラスなのか。

病気になる前は、ポジティブなことだけ頭にいれていればいいんだ!と思っていましたが、
そんな単純なものじゃないんです。
代替医療だけで完治するのはものすごく少数。完治どころか悪化していくのが大多数。

代替医療の指導者たちは、
結果が得られないかれらに対してこういいます。
思い方が足りなかったとか、考え方の根本がまちがっとるとか、もっと私の話を聞いてわが身をふりかえりなさいとか。
意見はいろいろありますが、どの患者さんもすさまじくがんばっています。
(代替医療で治そうとするあちこちのグループに所属しています)

代替医療のみに運命をかけると、死生観に大きな影響がもたらされます。
お金で希望が買えるなら、と代替医療にのぞみをつなぐ人を標的にしたビジネスがちまたにあふれています。
代替医療を売る人たちに、死生観を販売している自覚はないでしょうが。

「奇跡的治癒なんて自分には起こらないから私は標準治療以外考えられなかった」
といった友人がいました。
賢い人だなあと思いました。
私を含む賢くない多くの人は、自分には奇跡が起こるんじゃないか、とこっそり思っています。
病院の標準治療を避ける人の何割かは、奇跡が起こるのを邪魔するから、または奇跡が起こったときにストーリーがつまんなくなってしまうから病院治療を受けないと思っています。



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がんになったら代替医療か標準医療か

すこし前のこと、親しい友達と話しているとき、
「自分ががんになったらどういう治療を選ぶ?」と聞いてみました。
間髪いれず彼女が答えました。

「病院には行かないかな。自然療法で治そうと思う」

ちょっとびっくりしました。
「ちょっと」はいらないな。正確にいえば言葉を失いました。

彼女は私のブログを読んでいないし、私がこれまでに何を試し、どれほど効かなかったかを逐一話していないけれど。
いないけれど、私が代替医療一本で治そうとしているときは、歩くのも難儀なゾンビ顔を見ていた。
病院で治療を始めてからというもの週を追って元気になっていく様子を横で見ている。
玄関をヨロヨロと出てきた人が
玄関から走って出てきたよと、
目を丸くしていたのはほかならぬこの友人だった。

それでも、自然療法がいいと思う? 
ということは?
自然療法がそんなに素敵なものだと思っているその理由は何なのかな?
いや、聞いてないです。訊ねたところで不毛な議論になりそうだし。
こういうことは宗教と同じ。
自然、天然、オーガニック
こういう言葉にこそ真実がある、と信じている人は最近増え続けていて、わたしもその中のひとりだったといえます。
自分のことだからわかるのですが、そういう人たちには、現代医学ががん患者の寿命をすこしずつ延ばしている、なんて話は耳に入りません。

ちなみに自然療法という言葉は、代替療法と置き換え可能な意味で使っています。標準治療以外の方法を指します。

私の主治医がよく言います。
「内布さんと同じですよ。説得しなくても、ものすごく苦しい局面になればおのずと変わりますよ。自然療法をしている人は、まだ余裕があるということです」

ただですね。
手術してしまえばさっさとすむことも多いのに、そこで手術を拒否して、わざわざ悪化させるのは、もったいないと思います。
また早く化学療法を始めていれば大きくならずにすんだものを、わざわざ悪化させてから治療するのも・・・。
自然療法でいこう、と今の時点で決めているのはかまわないけど、万一ことが起こったときに、そういうもったいないことをしないでほしいな。

ひょっとすると彼女も、「がんはゆっくり大きくなる」と信じているのかもしれません。

がんの成長スピードは個々で違うんですよ。
すごく早いスピードで成長し、食事療法で治そうとしているうちにひどくなり、
クリニックから「病院にいけ」と放り出された人が身近にいます。
クリニックもやってくれますね。最初から「がんを食事では治せない」といって放り出してくれればよかったのに。

でもそうじゃない人もいますから可能性をはなから捨てるのが難しいですね。
自分のがんの状態を知って方法を選べたらいいですね。
悪いほうになってしまったときのことを考えましょう。

悠長なことをしているうちに、がんが大きくなってしまって最初のがんができたところからがん細胞が外に出てしまったら、コントロールするのがどんどん難しくなってしまいます。
それががんの面倒なところです。
別の臓器などにがんが飛び火してしまったら、最初のがんとはすでに違う種類の強さを手にしてしまうので、もう手に負えない。

一部のがんは切除が可能です。7回とか10回とか、転移のたびに手術で治した人の話もききます。
人は、そういう人の話を聞きかじると、「大腸がんは転移したって大丈夫」と思い込みます。
「●●さんも、●●さんも、転移したけどすぐ治って元気になったから」なんて言うのですが、がんは人によって違うので、がん種が同じだというだけで、みんな同じように考えるのは危険です。

たとえば女性のがん死因トップの大腸がんは、転移した場合、無治療なら8ヶ月、治療すれば2年というのが中央値として割り出されるところの余命です。
中央値というのは平均値とも違うのでわかりにくいですが、なぜ平均をとらないのか。
それは人によってあまりに違うから。平均とったところで意味がありません。

ひとのがんと自分のがんは必ず違います。
雑誌や本やSNSで紹介されている人のがんと自分のがんが同じなわけない。

ひとことで「標準治療」というものの、その標準治療もガイドラインに沿って個人にあわせた治療法を医師が患者別に選び、調節し、いってみればカスタムメイドしているのに(全ての医師がそれができているかは別にして)、がんというだけでおおざっぱに「この治療で治る」と言い切れるわけがない。

それにしてもまだがんにもなっていない友人に、「自然療法でがんを治すなんて考えないほうがいいよ」と反論するのは無駄なこと。わかってます。

「がんになったけど手術をすすめられたけど手術はしない。
これから食事療法と免疫療法とびわの葉温灸と波動療法と温熱療法と陶板浴と春ウコンとフコインダンとキノコ類とプロポリスで治す。
ちょっとお金かかるけど、初期にきっちりお金かけておけばあとで払わなくてすむし。
病院で治療費払い続けるよりずっといいから」

と、言ったときに
「ちょっとまってくれ」といえばいいだけ。そこから説明を開始しよう。

だけど、そのときに私がいなかったら話ができないので、今のうちに書いとかなくちゃ。


彼女は過去に体をこわし、自然療法によって元気になった経験の持ち主です。
自然療法を信奉する理由の大部分はその経験によるものと思われます。
私は友人に次のように言わないといけません。


「病院で診断が出ないような未病(まだ病気じゃないけど不調)は、食事療法やビワの葉温灸やヨガや太極拳でよくなる人がたくさんいると思うよ。それはそれで間違ってないと思うよ。
でもがんは違うよ。

自然療法で治った人もいるようだけど、それはがん患者の全体数からみるとものすごく少ない。
たちが悪いことに、成功したすこしの事例はメディアに取り上げられるけど、失敗した例がメディアに出ることはほとんどない。まったくないといっていいくらい出ないよ。

自然療法(代替療法)で治療して効果を出せず死んでいったたくさんの人たちの遺族は、がん患者さんの失敗談をめったなことで人に話さないよ。

そして自然療法で治ったという人の多くは、病院治療もしているんだけど、そのことがなぜかあまり言われない。病院の治療を受けたことは意図的に伏せられていることが多いよ。

さらに自然療法で治ったという人でメディアによく取り上げられる人の中には、
じつは本当は、がんじゃなかったのではないかと強く疑われる人たちがいるよ。
なぜ「元がん患者」という経歴詐称をするのかというと、「元がん患者」ステイタスで本もでっちあげられるし、講演会や講習会のビジネスも成り立つからみたいよ。
これはなぜか女性に多い。
女性+重病=はかなげでよいイメージ=だましそうにない
ってことかな?


病院治療の結果は残るけれど、自然療法でがんを治した人がいる、という情報がどれくらい確かなものかは、確かめようがないよ。

これだけ情報が不確かなのに自然療法で治療をするなら、病院治療を同時にしないと、自然療法だけでがんを治そうとするのは、宝くじを買ってあたりを待つようなことになってしまうよ。

もし自然療法だけでと思うなら、主治医をもって、病院で画像診断などの定期チェックもしながらにしてね。

標準治療よりこっちがいいですよ、というショウバイをしている医院(クリニック)の医師にだまされないでね。

これをすればがんが治る、といってる商品を買わないでね」


きりがないけど、もう一つ言うなら

自然療法(代替療法)を使うときは、「標準医療」を受けて、なお金銭的な余裕があるときにしてね。

「がんを病院で治すなんて」
「標準治療を受けてどうするの」
「抗がん剤、放射線、手術をするからがんが悪化する」
という主張をしているウエブサイト、本、広告、SNS(フェイスブックなど)からは大急ぎで立ち去ってね。



自然療法で治ったというストーリー自体に虚偽があると疑われる例のひとつはコレです。
この本が売れている理由はタイトルにあります。
「食べものだけで」がんを治せるものなら治したいとすべてのがん患者と家族が思っているところをついたタイトル。
でも宝くじレベルの少数をのぞいて、そんなことはできないですよ。
この本の著者も各種の治療を受けていて、けっして「食べものだけで」なんて無謀なことをしていません。


しつこく繰り返すけど、するんだったら病院の治療を受けながら食事療法をしてくださいね。

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福岡には二ヶ月に一度くらい行きますが、いつも突然思いついて行くので
短い滞在でさっさと帰ってきます。
数ヶ月前、その短い滞在中に東京から女ともだちが出張で来ていることがわかり会うことに。
ともだちネタが続きますがそのときの話。


ある雑誌の編集部で出会い、20年前からの飲み友達。
独身で、フリー編集者・ライターで、仕事が趣味で、鯉とグルメと本が大好物という共通項につながれて、お互いのすったもんだのじんせいを見てきた、まあ言ってみれば戦友。

5年ぶりにあった彼女は、
いつもそうだったように、カンペキにおしゃれで隙のないコーディネイトは変わりなく、
聞いててワクワクする楽しそうな仕事をしているのも変わりなく、
たばこを吸っているのもやっぱり変わりなかった。

話題はわたしの病気のことから、共通の友人たちの話にうつり、
カメラマンのだれさんとライターのだれさんが組んで飲食店を開いたとか、編集者のだれさんが地方再生のプランニングの会社を興したとか、逆にたいへんなことになってるだれさんとかの話とか、人のうわさ話で激しく盛り上がり、
何よりもいまやってる仕事がお互いにとって興味が尽きないから質問が尽きず、
時間制限あるなかでのつかのまの邂逅であるせいもあり、2人ともいつもの十倍のマシンガントーク。

そういうなかで、言う話じゃないよね

と最初は思ってました。
だけど、途中から気が変わりました。
今日言わなかったら一生言わない。そして言わなかったことを後悔し続ける。
私がおせっかいな性格なのは母ゆずりなんです。それはときに社会性が低いという域に達する最高レベルのおせっかい。
わかってます。自覚してます。
でも言うよ。言わせていただくよ。


「たばこ、やめないの?」

「うん。やめない」

「やめたほうがいいよ」

「・・・・・・・」

「こんなこと、誰にでも言わない。たばこやめてほしいよ。おねがいします」

「あのねえ・・・・」

「がんになる、って言われているものたくさんあるけど、たばこに比べたらそんなの屁だよ。

放射能がどうとかって移住してまで避ける人いるけど、福島に住むのとたばこ吸うのとどっちが発がん可能性高いかって、比べるまでもないよ。たばこ吸うことだよ。

マクドナルドがどうとか農薬がどうとかあれ食べたらダメとか盛んに言う人いっぱいいるけど、
何食べたって、たばこほど悪くない。

がんになる理由はたくさんあるし、ほとんどは事故にあうみたいなもんで避けがたいけど、タバコ吸うこと、そしてお酒飲むことが加わったら、リスクが凄く高くなる。

で、女性だとリスクはさらに高くなる。●●は、こんなこと知ってるとおもうけど」


「あたしねえ、死んでもべつにいいの。
好きなものやめて、長生きしようって考えがはなからないの。
だから、そうやって言ってくれてありがたいけど、いいんだよ。早死にしたいんだから」


「私、死んでもいいっていうことだったら●●よりずっとそうだった」

「だよね。原始仏教とか非二元(アドヴァイタ哲学)とか、あなたには頭にというより体に入ってるかんじしてたけど、そうじゃなかったってことなんだ?」

「つまり、ある意味、死よりも生に目覚めた。医者に何をいわれたところで、おっとに申し訳ないくらいオタオタとできなかったんだけど、今はそのときのわたしじゃない。それはどういうことかっていうと、生きてることのラッキーに気づいたっていうか」

「・・・・・・」

「今になるまで、この立ち位置にくるまでわからなかった。私毎日しあわせなの。夜、自分のしあわせさに興奮して眠れなくなるくらいしあわせ。

それはおっとがいるからとかじゃないよ。痛くなくて、元気で、呼吸して、歩いて、しゃべって、料理もできる。一日のいたるところで、しあわせだあって気づいてそのたび、うわあラッキーって感激してる。ヒデキだよ」

「・・・・・・・」

「どうでもよかった自分の生き死にが、どうでもよくなくなった。うーん、そのことば、ちょっとちがうな。
死に行く生命は全生命の宿命だから、そこに逆らう気持ちは相変わらず全然ないな。だけど、自分がたまさかの幸運でいただいているいのちを、可能性のある限り、ダイヤモンドを大事にするみたいに大事にしようって思うようになってさー」

「ダイヤモンドだったら大事にしないでしょうが、あんたは」

「そうだった(笑)。

まあ、こんなふうになってから自分のダイヤモンドに気づくのもありだと思うし、それは人それぞれだけど。
だけど●●は、わたしのともだちだから、わたしの話が今日耳に入ったんだから、今からダイヤモンドをだいじにしてほしいわけ。

だいたい、がんになったからって、簡単には死ねないから。

痛くてつらいとか、金がない苦悩とか、働けない寂しさとかを途中で通過しないといけない。

とりあえず●●はすぐにがん保険に入れといいたい。
がんになったとき、ひとりもんで、東京で、個人事業主でって考えたら、きついこといっぱいあるよ。
もし万が一、●●がわたしのような目にあったらと思ったら、かわいそうで今からでも涙でる。

いくら人間ドックしたってがん種はいっぱいあるし、全可能性をチェックできるわけじゃないから、避けられないものは避けられないし、なるときはなる」

「うそ・・・・」

「早期に発見したら大丈夫っていうがんばかりでもないしね。
発見が遅くなくても、できる場所が悪かったら人工肛門が避けられないこともあるんだよ」

「え! まじ?」

「まじです。膣の切除とかもわりと珍しくないみたい。がんはいっぱいあるからね、美貌が激しく損なわれるがんもある。
死ぬことと抗がん剤で吐き気が、とかしかテレビで取り扱わないけど、それだけががんの苦痛だと思ったら大間違い。

がんって早い時期から痛くなる人は痛くなるよ。死ぬ間際だけ痛いというのは誤解で。

病院行きません、治療受けませんなんて今だから言える。そんなこと言ってたらめっちゃ苦しい目にあって最後に駆け込む。あたしみたいに。駆け込めたわたしはまだラッキーで、かわいそうなことに駆け込む先がない人もいる」

「そうか」

「たばこ、やめてほしい」

「ありがと。なんであたし、知らなかったんだろ」


(この場合彼女が知らなかったのは、たばこのリスクじゃなくて、がんってどういう病気なのかメディアにさんざん書いてるはず、読んでるはずなのに、必要なことは知らなかったってことですね)


ほんとうは全員にいいたい。


がんになるのは一部の運が悪いひとだけ、たばこをガンガンすってたうちのじーちゃんは、天寿をまっとうしたから大丈夫

とか思っている人たちに。

たばこはやめなさい

って。


たばこくらいで、そんなもんくらいで大損するのは、愚かだと思わないかな。
友達や家族があなたのせいで泣くようなことになりたい? 自分からそうなる可能性拡げてるんだよ。
あなたがたばこをやめられないのは、ニコチン中毒だからですよ。
禁煙外来はどんな田舎でも都会でもやってるから、内科にいけばよいですよ。
私も行けばよかったよ。うちのおっとは行ったよ。三日で止められたよ。
ニコチンという化学物質に踊らされている自分をやめたら、なんでこんなことしてたのか過去の自分を理解不能って思うよ。


煙の出ないたばこなんか吸うくらいならスカッとやめて、リスクを減らそうよ。
喉のがんになったら、声が出せなくなったら、イヤじゃない?
(べつにイヤじゃないから。って声帯を切除してもたばこ吸ってる人を実際に知ってるが)


食道のがんになったら、食べれなくなってしまう。おいしいものを一緒に食べに行こうよ。
ずうっとそうできるわけじゃない。限られた時間しか生きられないのが私たち生命あるものの定め。
だからこそよ。今をだいじにしてよ。あなたにはやめて欲しいよ。




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