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ダメだし先生

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「糖質はがんの餌」というのは迷信だそうですよ。
糖質ががんを悪化させたり、糖質を取らないことでがんが治ったりするエビデンスはない、
と米国国立がん研究所。



主治医と初めて会ってまもない、抗がん剤治療を始める直前の、
入院して輸血やら検査やらをしていたときのことです。

強力な下剤を処方されたおかげで、まあみごとに体内の不用品?が
どかんどかんと便器にあらわれいでて、
その量たるや見たことのない自分史上最大最強破壊的な大量さ。
体がもっているエネルギーというエネルギーが「出す」行為に集中して使われた感はなはだしく、
そのあとしばらくは、灰になった力石レベルに燃え尽き、貯蔵体力ゼロで、
肝心の薬の投与が一日延期されたというくらいでした。

体はそういうわけでへとへとでしたが
心の充実度とやりきった感がものすごくて、
顔はかってに希望に燃えて笑顔になってくるのをとめられず、

「わたし、このぶんだと、なおっちゃいますね!」

と、いつものように、考えもなく頭に浮かんだことを浮かんだ瞬間に、主治医に言いましたら

「は?」

と主治医。

「なにが治るんですか」

「・・・・がんが」

「治りませんよ。便秘は治るでしょうが」



さすがエビデンサー(エビデンスのないことは一切意味がないと言い切るひとたち:わたしの造語)押川先生は、無駄なことをいいません。

「治りません」

言い切って躊躇なし。
患者がひさしぶりに希望をもった瞬間に、その小さな希望の芽を足でフミフミフミ。


人によっては恨みを感じ、SNSに「医者にこんなことをいわれた」と投稿、お友達から「ひどーい」と同情を集められるかもしれないですが、
私はこのとき、押川先生のキャラクターに何の理解もなかったにもかかわらず、
いやなこと言うなーとは思いませんでした。


「ぜったい治るよ!」と友達には言われたいけど、主治医に同じこと言われたらぞっとするかも。

「治りません」と断言するのは、主治医の過去の診療歴に治った人がいないからではなく(実際いるそうです)、

私が受ける予定の治療で「治る」というエビデンスがないからそう伝えるのだと理解しています。

科学的でない医師は、数人の成功例をさも、万人に通用するかのように語るのですが、幸い主治医は科学の子。


とは申しますものの
「科学は自然のことを何も知らない」「すべての自然科学は研究途上。わかってることしかわからない」
と思う私は、主治医にダメだしされるようなことを、その後もしょっちゅういってます。

「水素水飲んでるから、抗がん剤の副作用がほとんどないんですね」

「副作用は何百とあります。どの副作用に効くんですか? 水素水が副作用を軽減するというエビデンスはありません」

(あなたもバカですね)と言いたげにお言葉がかえってくるわけですが。

「陶板浴いってます」

「行くのはかまいませんが、効果があるというエビデンスはありませんよ」

(どこまでバカなんですか)と書いてある顔を隠しもせず言われるわけですが。


水素水は、大量に飲むと副作用が軽減する効果を実感するので、エビデンスがあろうがなかろうがやめませんが、
陶板浴は、変化がないと感じるのでそろそろ行くのをやめるかも。回数券がなくなったら。


筋力をつけること、太ることは、抗がん剤の効きをよくするというエビデンスがあるそうで、主治医推奨の治療法。

水を飲んでも太る、と昔は思ってたのに、今は太ることが難しい。
毎日じみちに努力してます。
フライドチキンとケーキとお好み焼き(←すきなもの)ばかり食べていれば太るのわかりますが、
まんべんなく栄養を摂取しようとすると、バランスのとれた食事になってしまい、
太れない。

太れなくてもいいから筋肉つけるように

そっちに指導方針変更してもらいまして、
最近は夜の読書タイムも筋トレしながらです。




ぶどうの収穫・発送毎日してます。栗も始まりました。ゆっくりお待ちくださいませ

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さくらももこさんのこと

乳がんで亡くなられたというニュースを聞きました。
どすん、と音がするようなショックでした。
年齢が一緒なのがショックに輪をかけました。
(学年は私が上です)

彼女の漫画はアニメでしか存じ上げないのですが、エッセーはいくつか読んでいます。
その内容から察すると彼女も私と同様、自然療法でがんに対応しようとしたかもしれないと思いました。
尿療法など自然療法への果敢なチャレンジもされているようだったから・・・・。

このごろ私がこういうブログを書いているせいでしょうか。
がん患者でかなり重篤なところにきているのに、病院治療を拒否している人の家族や友人からの
「困っている」話を伝えられることが増えています。

そういう話を聞くと、とても心が痛みます。
なんとか説得して、病院に行くようにしてあげて、と思います。

自分の決めたチャレンジをやりぬくことが、病気を治すことより重要なことになってしまうと、
自然療法から病院治療に進路変更することは、「負け」に思えて、
苦しくても方向を変えられない心持ちになってしまうの、わかります。

私の周囲では、男性にこのような方が多い。
仕事ができたり、自分のやりかたをまっすぐ貫いて生きることがこれまでできていた人。
だから病気も、病院や医師にでなく、自分に信をおいてがんばりぬきたいと思うのですね。


自然療法やがんを自分で治すことを推奨する人たちのネット情報は
がん患者以外の人の、病気じゃないからいえる無責任な声にあふれていて、
孤独な闘いをしている彼らを追い詰める。


もしわたしが3ヶ月前の5月に主治医に出会ってなかったら
抗がん剤をはじめてなかったら、
今頃、死んでいた可能性も大いにある。
さくらさんのニュースで受けたショックは、
私も歩き方が一歩違ったら、同じ運命だった、
と思ったところからきています。


自然療法をやることも、推奨することも個人の勝手ですが
病院の治療を受けるのが、もの知らずであわれである、というような書き方をしている
販売サイトの運営者は、その言葉を消してほしいです。


病気のひとやその家族が、わらにもすがる思いで、その商品を買い、
「調子が悪くなった」といえば、
「もうすこし我慢してください。好転反応です」というのもやめてください。
グルのかわりに、グルのファンたちが先に言うケースが多いのかもしれませんが。


こうした販売方法、
つまり、先生(あるいグル)づらをして(ことばが悪いですがそうとしかいえない)
病院治療を否定することをベースにした身体論・健康論をかたったり
ネットからかき集めた最新情報とは名ばかりのエビデンスの薄いラット実験レベルの珍説をかたったりして、
製品の購入へいざなう販売方法を取り締まる規制を、厚労省はそろそろ打ち出して欲しいものです。


「リズ&マリー」というユーチューブで有名になった二人組を知っていますか。

リズは肉や動物性油脂、砂糖を一切摂らないことで、乳がんを3ヶ月でかんかいさせた人。
姪のマリーは、そんなおばの手作りのジュースを紹介したり、インタビュー動画を公開することで、
1万人以上のファンをえていたとか。

ところがリズのがんが骨と肺に転移。
しばらくは食事療法で治そうとしたけれど、病状は悪化の一途をたどり、
放射線と抗がん剤治療を始めたものの、時すでに遅く3ヵ月後に亡くなったそうです。

この話の悲劇的なところは、
おばのリズは、転移がわかったとき、これまでの動画を消して欲しいと姪に頼んだのに、姪は削除を拒否したこと。
リズの気持ちがわかりすぎて、かわいそうでなりません。
自分と同じ轍をふまないで!
最後にそれだけは、自分を信じ応援してくれた人たちに伝えたかったのだと思う。
それができないなら、せめて削除してほしいと。

ユーチューバーとして野心に燃えているリズは削除するどころか、
おばの死は抗がん剤治療のせいだ、という声明をユーチューブにあげたそうです。


自然療法でうまくいった人が何人いても、それが誰のがんにも効くことの証明にはなりません。

予備校にいかず東京大学に受かった人がいたとしても、誰にでも同じことができるわけではないのとまったく同じです。


自然療法でがんを治せないのは、性格がねじれているせいでも、
カルマがひどいせいでもなく(そういうことを大真面目にがん患者に言う人がいるんです)

あなたのがんのタイプが自然療法に向いてないからです。

百人のがん患者がいたら、がんのタイプは百通りあります。




そろそろ栗の収穫がはじまりそうです。ぶどうと栗を同梱でご注文の方、もう少々おまちください
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「24センチのがんが消えた」話を聞きにいきました

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ぶどうの収穫、今日もやってます


友人Yくんから

「24センチのがんを抗がん剤で、鉛筆の芯くらいにちっちゃくした人がいる」

という話を聞かせてもらったのは、先日の水上村の野焼きの日。
それは会いに行かねば、と連絡先を教えてもらおうとしたら、

「毎日きゅうり畑にいるから、畑にいったらいいよ」とのこと。

りょーかーーい!!

でもその前に、わが主治医押川先生にメールでおたずねしました。
がんにまつわる「大盛り」話はちまたにあふれていますから。

「そんなことってホントにあるのでしょうか。どこか誇張があるんですかね?」

とメールしたら、先生からお返事がきました。

「通常、腫瘍が大きいほど抗がん剤は効きにくくなりますが、消失することはたまにあります。
といっても芯が残ることが多いです」

おー、話が符合してるではないですか!
これは行くしかない、とおっととともに、きゅうり畑にいってみました。


「すみませーーん」

立派なハウスが並んでいるそこから、まさに軽トラで帰ろうとしているところにぎりぎりで間に合いました。

「はあ、なんですか?」

うわ、めちゃかわいい。40代のつやつやピカピカしたいい男が軽トラから出てきてくれました。

「Yさんから聞いて錦町からきたんですが・・・・」とこちらの趣旨を説明すると、

破顔一笑とはこの顔をいうのね、と思わせる、ますますかわいい顔で、

「そーーなんですよ、鉛筆の芯くらいの大きさになったんですよ」

奥さんはいないのかな?

「あんまり元気になりすぎて、今はAとBのかけもちで今日も働いてるんです」

AとBはスーパーの名前です。会えないのか、ちょっとがっかり。

「どれくらいの期間、抗がん剤を受けられたのですか」

「半年かな。何週間かにいっぺん病院にいって。そしたらどんどん小さくなって」

「すごいですねえ」

「そうですよ。小さい芯を最後に手術でとりましたけど、あっと言う間に手術終わったし、入院も5日しかせんかったですよ」

「薬がものすごくあってたんですね。どこの病院に行かれたのですか?」

「あそこです、人吉総合病院です」

え? とわたしとオットの顔には書いてあったはず。

「しっとりますか? すばらしい病院です。設備も最新式でねえ」

「いや、もちろん、知ってます」

キュウリ農家さんの人吉総合病院(正式名称 人吉医療センター)賛美は、しばらく続いたと思います。
地域がん診療連携拠点病院ですから、
がんになったらここで、というのはこのへんの住民にとっていちばん普通の、あたりまえのせんたくです。

が、

です。
じつはその前日、うちにきた友人Yちゃんから

「人吉のあそこはひどい病院だ」話をたっぷり聞いたところでした。

いや、Yちゃんに限らず、

「どこの科もひどい」
「医者だけでなく、看護師の質もひどい」
「せめて普通にしてくれ。すばらしいとかまで求めないから」
「人としてどうなの、って先生ばっかりなんですよ。そういう人ばかりよくぞ集めたと拍手したい」

これまで、何人の人から鋭い批判の数々を耳にしてきたことでしょう。

キュウリ農家さんに聞いてみました。

「主治医はどなただったんですか?」

「院長先生です!」

キュウリ農家さんの顔がますます輝いたのが目に見える、というかんじでわかりました。

「名医です。すばらしい先生です」

「あの、じゃあ、抗がん剤を処方されたのも院長先生で?」

「うーん、それは、おぼえとらんです」

「だけど、ものすごい確率で奥さんのがんにぴったりあうのを選ばれたんですね」

「そうですよ! いくっつもあるのに。抗がん剤たってひとつや二つじゃないですからねえ」

「遺伝子検査とかして選んだんですか?」

「いやそれはしとらんです。先生が選んでくれたとです」

「すごいですね」

「名医ですよ。あなたはどこの病院ですか? 人吉がいいですよ」

・・・・・・言葉を、どうつなげればいいのか迷いながら聞きました。

「奥さんは、抗がん剤がいやとかそういうのは最初からなかったんでしょうね」

「それはぜんぜんないです」

即答でした。


「ぜんぜん?」

「はい。予防のやつも受けたし、だからもう、あいつはほかのもんより元気なんですよ」

気のせいかもしれないけど、ご主人は抗がん剤治療を受けた奥さんをうらやましがっているように聞こえました。

「予防のやつ」は、ぜったいカンペキな予防をしてくれそうだ。
薬が血管やリンパ管にのって、ハイスピードで体中をかけめぐり、余計なガン細胞をぷっちんぷっちんつぶしていく。
そんなイメージがご主人にある。
て、ことは奥さんにもある。

半年の抗がん剤でがんがみるみる小さくなっていく経験をしてしまったら、
ふつうはそうなるでしょう。

奥様は片方の乳房を切除し、抗がん剤治療ののちに、鉛筆の芯となったがん腫瘍を切除し、
最後に術後補完療法としての抗がん剤治療を受けられたそうです。

最後のこれがつらくて抗がん剤嫌いになる人は多いそうです。
私もつらくて逃げ出したくちです。
術後補完療法は、がんを小さくするための療法より一般的にきついそうです。

奥さんはそんなこと感じなかったかも。

「副作用はなかったですか?」

「いや、髪は抜けましたね。あと少し吐き気とかあったみたいです」

「ああ、そうですか」

「でも!」

キュウリ農家さん、がぜん元気になっていいました。

「今は副作用を抑える薬がすごいいいのがあるんですよ!
だからちょっと気持ちがわるいかなあ、ってくらいで、たいしてきつい思いはしとりません」


知ってます・・・。


お礼をいって帰りました。
びっくりしすぎてお礼として用意していたぶどうをお渡しするの、忘れていたことに気づいたのは、車が動き出してずいぶんたってからでした。

車の中でおっとと盛り上がりました。


「彼らがラッキーだったのは、近藤誠さんとかの本を読んでいる人が周りにいなかったことよね」

「抗がん剤とか病院とかに、悪い印象がなんにもなかったってこと」

「名医って言葉、テレビ以外で初めて聞いた」

「ネガティブな話をいれてくるのは、親切でやっている人がほとんどだろうけど、
親切でもなんでもないね」

「知らなきゃずっと素直に治療受けられる人、けっこういるかもね」

「だって昔はそうだったんでしょ? 効かなくても。今は抗がん剤が効く人がいっぱいいるんだもん」



最近の抗がん剤がどれだけ進んでいるか(それは事実)
最近の抗がん剤による副作用を抑える薬が進んでいるか(これも事実)
院長先生からとくとくと教えてもらったのでしょうね。

あんなに心が抗がん剤や、治療を受け入れていたら、効く威力が倍増しても不思議じゃないかもしれない。

病院のファンになれるっていうのは、治療に必要な要素だと改めて思いました。

キュウリ農家さんがほめそやしている人吉医療センターは、
日本じゅうにいちばんたくさんあるタイプの病院だと思います。
お客さんが多すぎて、スタッフの手がまわらず、毎日毎瞬、「人としてどうなの!」といわせる対応が起こっている。
(じゃなきゃ、こんなに病院を批判する声が日本じゅうに巻き起こってないでしょう)

どうせこの病院で、この先生から受けるしかない状況なら(地方ではありがち)、
キュウリ農家さんのご主人みたいに、まるごと病院の大ファンになってしまうのも治療法のひとつかもしれません。

もちろん治療に関して病院に丸投げするのではなく、参加する意識でのぞむことは前提。
そのうえで、「名医にかかってよかった。わたしはラッキーだ」と思うこと。


ちなみにわたしはおんなじこと思ってますね。
いい病院、いい先生にかかってよかった。わたしはラッキーだ。
おかげで抗がん剤治療はじめて3ヶ月で腫瘍が縮小して、できなかった手術ができるようになり、
腫瘍マーカーは最悪時の9割減。


そりゃーえみこさんが運がいいからだけでぇ


といわれそうだけど、でも、ほんとうに病院が選べない、医師が選べない状況だったら、
状況を嫌がったり逃げ腰になったりするよりも、
キュウリ農家療法、やってみる価値あるんじゃないですかね

自分を治してくれようとしているスタッフのすべてにラブラブ光線を送る療法です。


自分の気持ちに嘘はつけない? そうですか。そういう人はそういうことでりょーかいでーーす。


追記

そういえば主治医も、私が「どんなときに抗がん剤が効くか」を聞いときにあげた条件のひとつに、
「主治医と相性がいいとき」というのをあげていました。あと二つくらいあったな。なんだったっけ?

相性っていうのは宿命的なものではなく、変えられるものです。
知人で、主治医と相性がよくなるように努力しているひとがいます。
かかりはじめた当初は病院&医者批判が多く、
聞いていると病院スタッフへ向ける言葉がちょっとシビアだったけど、
「お医者さんだって人間だから、自分のこと頼りにしていると思わせたほうがトクよ」
などとアドバイスしていましたら、言動を変えたようで、関係がよくなっているようです。
そのほうが入院生活も心地よいにきまっているし。
病院変える気がないなら、自分変えるしかない。オトクなのはどっち? です。


ぶどうがどんどんきてまーす
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今が人生でいちばんしあわせ☆

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農薬散布なし7年目のぶどう、毎日収穫発送中。


こういうことをずっと思っていまして、
気がついたのは4月かな。


この時期、先行きがまっくらでした。まっくらの理由の最大要因は、いったいどこまで迷惑をかけ続けるんだろう、という不安です。
おっとも、困惑のきわみにあるだろうな。口で言わないだけで。そう思ってました。
横になっている時間が長くなっていって、犬の散歩にもいけない、ごはんも作れない、なんにもできない時期。

ある日、ふとんのなかにいる私が

「こんなのが10年も続いたらたいへんだな」

どういう意図もなく、頭に浮かんだ瞬間にそんな言葉をぽんと口から出していました。10年も続くという想定がすでに間違っていると自分でも思いながら。


するとおっとが、間髪おかず言いました。けっこう元気な声で。

「それはいいね。いいね、ってぼくが勝手に言ってるだけで、きみはたいへんだから、いいねもないけど、ぼくはそれでいいな」

あたまが空白のまま数秒経過。返す言葉がみつからない。
彼はものすごくシャイなので、退散するというかんじで、部屋を出て行きました。

治療を受けないなら宇宙に帰還するのも時間の問題と医者には示唆されていまして。
私は葬式プランをネット検索したりしはじめてました。

でも、おっとがこの時期としては、めったに出なくなっていた元気な声でそれを言ったとき、

「このひとは、私がこのまま役立たずで、面倒かけっぱなしでも、生きてたほうがいいって思ってるんだ」

という認識のバクダンが。
それは時間とともに、しょわしょわと少しずつ脳内に溶けていきはじめ、溶けきるのに何日かかったのかわかりませんが、以来、わたしの精神的なモードがかわりました。
体の具合が悪いくらいでは消えない。
特にひとりでいるとき、小さいことで際限なくしあわせになれるモード。


小学生のときからなりたい職業があって、中学のときは入りたい会社まで決まっていて、
つねに前傾姿勢で、職業婦人に向かってまっしぐらで、
金儲けに興味がないのは絶望的な欠陥でしたが、いつも「生産的」なことばかり考えている人でした。

なんにもココの農園の事情をしらずヨメにきて、仕事はやめたつもりが
時間がたつほどに「生産性」高いわたしがむくむくと入道雲のように湧いて出て、
人にこの農園を知ってもらうんだ、というミッションをかってにしょいこみ、
「生産」人生まっしぐらしていたら、ある日突然、パキッとだか、ポキツとだか、音がして、私の20代から続く生産ラインが突如ストップ・・・・!

役にたたないのは心地よくない。特にこれは「休憩」ではなく「ずっと」だと思われるときにはことさら。

先のことばを言ったおっとが怒った顔で戻ってきて、またひとこと。
「おれはきみが死ぬなんて思ってないから」
それだけ言うと、怒った顔のまま去っていきました。


もしももしも、治ったら、ずっと遊んでいよう。
くーちゃんと山にいって遊ぼう。ずっと役立たずでごくつぶしでいよう。とそのとき思いました。


おかげさまでこんな会話の翌月に、ご縁としかいいようのない縁をえて始まった抗がん剤がえらく効いて、
もはや遠慮なく普通の暮らしを送っています。


どんなに長く仕事をしていない時期があっても、その時間は、次の仕事タイムへの準備期間
という考え方が抜けないヒトだったのが、
それもどうやら抜けたみたいで、「今はこの時間が次の仕事への準備期間」という気持ちは全然なし。



ただ言ってることが矛盾するけど、
これも、役に立ちたいというのか生産意欲なのかもしれないけれど、どうしても残っているのが、
病気のひとが病院の治療を受けることを自分で選択できず、命を落としていくケースが少しでも減るように、情報を片隅から発信していきたいという気持ちです。

そのひとつ。
代替医療や精神的な治療を全否定しているわけではないのです。
だけど、それだけに絞らないほうがいい、と経験から思う。
代替医療や統合医療を推進する人たちが作る「物語」は、耳にここちよい素敵なストーリー。
未病のうちはまだいいけど、
数ヶ月先がわからない重篤な人がそんなストーリーに巻き込まれていると、最悪になる可能性があるということが知られていない。
代替医療などを推進するストーリーを拡散する善意のひとたちは、それがどんな罪なことかをしらない。


がんは5年とか10年かけて成長するという話がちまたでは信じられているけれど、がんにもいろいろありまして、あっという間に大きくなるものもあるのです。
いま代替医療に寄り道するのが大不幸につながるケースがあるということを、知るべき人に伝えていきたい。


そういう意欲もてつだって、やっぱり生まれてきて以来いまが最高にいちばんしあわせだという実感は毎日更新中なのでした。





農薬散布なしで育てて7年目のぶどう。毎日収穫、発送中。栗もあわせてどうぞ。栗は9月からです。
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大病をしないために健康なときにできること

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ぶどうのご注文承り中です。



友人が「息子のために長生きしないといけないから」といったので、
続く言葉はなにかな? とワクワクしてまっていたら、

「波動系のヒーリング施設に定期的に通ってメンテナンスする」

ということだったのでちょっとびっくり。

「長生きするためにそれをするのは、どっかちがうような気がするよ」といいながら、

じゃあ、長生きがあやぶまれるような大病を得てしまった身のわたくしだからこそいえる
長生きするために、元気なうちにできることってなにかな? 

考えてみることにしました。


「まず、ちょっと不調が長引くいても、ワタシの性格だと
病気かなと疑うことはあまりなくて、未病なんだとなぜか思ってしまっていた。

病気が発覚するまえ、1年以上貧血がひどかったけど、
周囲の友人は、オーガニック系の人が多くて、みんなたべもののアドバイスばかりしてくれた。
クリニックにいっても、貧血がひどいからって鉄剤くれるだけで、それもすこしも効かなくて。
効かないけど、貧血の薬は効かないんだと思いこんでいた。

あのとき、そういう状態なら一度精密検査を受けたほうがいいね、と周囲に言う人がいたらと思う。

だから私はいうけど、不調が長引いたときは、代替医療的なもの、ホリスティック医療的なもので時間をつぶさないで、
検査だけでもしっかり受けるのが先だと思う。それが大事にいたらせないコツかな」


すると友人が言いました。

「えみちゃんは病院にいくのがいやな人だと思ってた」

「私は病院嫌いでもなんでもないけど、医療というのが医者によってまったく違うということに無知だった。
A病院が異常なしというなら異常をみつけてくれるまで病院をめぐろうという気持ちがなかった。
はい鉄剤処方しときますから様子をみましょうね、なんていわれて流すのはダメ。
ちゃんと病気をみつける人は、みつかるまで病院をはしごするんだよね」



「あと、睡眠。忙しくても睡眠けずれば時間ができるって勢いで、仕事しすぎた」と私。

「私、昼間、眠くて眠くて」

「それはまずいね。夜寝れないなら、昼ねでもいいみたいよ。短くても深く眠れる」

「それがなかなかねえ。でも寝ないと疲れをとる時間がないから、免疫力を回復させる時間がなくなるよね」

「私、今になって思うけど、よく眠ることって相当に重要だと思う。
何を食べるかはよく考えている人も、ちゃんと眠ることの大事さを考えてない人って多くない?
平気で睡眠時間削って、遅くまで起きて、家事や仕事してる。

でも眠ることは大事よね。ごはんは食べれているなら、何食べてもいいんじゃないかと思うくらい」



結論。
長引く不調を、「えたいがしれないけど皆がいいと言っている」代替療法で水を濁すのは、
多くの場合、時間とお金の無駄づかい。

それをするまえに、しっかりした機器を備える医療機関で、徹底した検査をして問題がないことを確認するが先。

知人はクリニックで脳のCT検査をして「異常なし」といわれた一週間後、くも膜下出血で入院。45歳で半身不随の生涯に。
行く医療機関がしっかりしていないと、検査に行くだけ無駄というよりデメリットになることもあるという典型です。

友人が元気で仕事しているときに、頭がいたいのが続いているからと、CT検査を受けにいったのは大正解だったのに、
選んだ病院がアホだった。


その友人は、食以上に、睡眠がでたらめな人でした。

どっちも大切だけど、睡眠をもっと大切にしていたら、と思います。

食と睡眠の両方を大切にすることが本当に自分を大切にするということかもしれません。
自分を大切にすることをしていないと、小さな不調を無視しがち。
結局、小さな不調を無視するメンタルこそが、大病のもとだとわが身を振り返り思いますので、どうぞ反面教師にしてください。




農薬散布なしのぶどう、お茶、米、無添加コチュジャンなどなどは
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ゾンビなぶどう園

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おいおい、ゾンビなぶどう園の写真とってきてどうするの
とおっとに言いたくなる写真ですが、「今朝のぶどう園とってきてね」と頼んだらこんなのがアップされていました。

ゾンビといえば、「カメラをとめるな」を見に行ったのは、
おっとが「おれ時間ない、しごとがたまりまくって時間ない」とゾンビのように言っていた日で、
「じゃ、無理ね、わたしだけいってくるわ」とそっけなく言いましたら
「おれもいく」と友人たちとの映画ツアーについてきたのでした。

行ったら、一番大きな声で馬鹿笑いしているのはオットで。
つれて行ってよかったと思いました。
映画の情報をなんにも入れず、なんにも知らず行くのがよいかと思います。

10代、20代半ばまで(仕事に時間をうばわれるまで)映画と演劇をやたら愛していて、やまほど見ていたときの気分を、久しぶりに思い出しました。
そのころ自主制作、低予算映画で人気を博したものはいくつかありましたが、ここまで突き抜けてなかった。
ある種、今の時代の余裕のなさがうんだ映画ともいえるかも。
余裕がある時代には、でてこないアイデアかもしれません。

関係ないですが、私があの頃好きだったのは・・・・
「星くず兄弟の伝説」「夢見るように眠りたい」「のようなもの」「ヒポクラテスたち」
とかが今思い出せる日本製低予算映画。
星くず兄弟はサントラも出てないのに(たぶん)当時かなり唄えて、周囲を驚かせてました・・・

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ところでゾンビなぶどう園は、ただいま毎日収穫をしております。

農薬散布をやめた7,8年前は、どんなふうになるのか、毎週毎月、ひやひやしていたのですが、
最近はなんにも心配しないで、安心してみていられます。


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きのうは、三年番茶の生産者である川上さんご夫妻が遊びに来てくれました。

ぶどうが大好きだという川上さんが、ニコニコして「おいしいですねえ」と食べてくださるのをみていて、こちらも幸せになりました。

「えぐみとかがないのはなんでなんですか」

と聞かれて、

「肥料をいっさいやってないからだと思います」とおっと。

「肥料をやると大きくなるし、味もよくなるといわれています。でも、どうしても、えぐみとか、苦味のようなものが出てくるみたいですね」

わたしも横から言いました。

「肥料をやって育てたぶどうもおいしいんだけど、ひとつ食べただけで、もういいって思うくらいやりすぎていることがたまにあるんです」

「肥料で大きくすると、農家的にはもうかりますからね」とおっとがいうと、

「うちのお茶も、ほとんど肥料をやりませんが、わかる人にはわかる、といわれます。肥料でつくってないおいしさだと」と川上さん。

「いちばん違うのは、子どもさんとか、わたしとか、ふだんそんなに食べないのだけど、うちのぶどうにかぎっていつまでも手が止まらないとこですね」

じつはきのうは薬の副作用がでて食欲がまったくない一日だったのだけど、
夜、「ぶどうなら食べられるからもってきて」とおっとにもってきてもらったらぶどう食べ怪獣「タベゴン」と化し、
あるだけのぶどうを食べてしまいました。
いつものことですがうちのぶどうだけは、ぱくぱくぱくぱくと、いつまでも食べ続けられるのです。


ぶどうは、人間がつくった果物の歴史のなかで、いちばん古くて、いちばん広範囲につくられているそうです。
つまり、暑さ寒さへの順応度が高い。あるいは数千年かけて行われてきた品種改良の幅が広い。


おじょうさん育ちの真逆をいくうちのぶどう園。
これから先もがんばってくれ。



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がん患者の医者へのかかりかた

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おとといは、3週間に一回の通院の日でした。
朝、6時半に家を出て、8時半に病院につき、血液と尿とレントゲンと簡易CTをとり、20分後には診察室に呼ばれました。

押川先生とお話できるこの日を私は楽しみにしていまして、抗がん剤を入れにいくのに、指折り数えて待ってます。
「それって大丈夫なの~~」と友人に言われるほどですけど、
車の運転が不安な私なので、病院へは残念ながら毎度オットと行きます。

今日は診察室で、がん患者は、医師とどんな話をしているのかをレポートします。
「模範患者はこうするもんだ」という意味で書いてはいないですが、
スパルタ主治医に叩き込まれた患者学が
ひょっとしたら私の小さな頭にもすこしは入っているかもしれません。

>>>>

部屋に入ると、まず、3週間の私の状態をメモしたものを提出しました。

これは普段つけている日記をもとに、受診日の前日あたりに書いています。
先生から「見せて」といわれないと見せないけど、必ずもって行きます。
今日は自分から見せました。今回、初めて痛みが続いたから。
このように副作用が出たことじたいが、この三ヶ月で初めてだったのです。


●口でいうより、紙で見せる効果は絶大

先生「痛いのは前の受診日の朝からだったんですね」
私「抗がん剤いれる前からだって、3週間前にもいいましたよっ! 何回も!」


口でいうより、文字で見せないとわかってもらえないことがあるなあ、と思ってましたが、やっぱりそうですね。
私の言い方は失礼ですが、言うだけじゃ伝わらない。相手が理解できるよう伝えるのが難しい。
先生のおかげで深く理解しました。

●医師には、薬剤名と分量を正しく伝える

先生「オキシコンチンはだいたい一日40mgですか?」
私「自分の状態をみながら、自分で調節しなさいと先生が言ってたから、20mgの日も55mgの日もあります」
先生「(報告書をみながら)毎日変えるのはよくないです。三日は同じ量で続けないと、補助で飲むオキノームとのバランスを見ることができないですから。オキシコンチンとオキノームは内容が一緒ですから意味がない」
私「あ、そうなんだ。それ、わかってなかったです」


上の薬は麻薬系鎮痛剤の名前です。麻薬系鎮痛剤には誤解が多いですが、5月にこれを飲み始めてQOL(生活の質)が圧倒的に向上しました。麻薬系を飲むのは死ぬ直前というのは間違いですよ~

●医師の方針に納得しなければ反論する

先生「これ飲み始めるまで、痛みはどこにありましたっけ」
私「おしりです」
先生「いまは?」
私「痛みが、まったくないです」
先生「今痛いのは、どこがいちばんですか」
私「このへんです」
先生「薬の目的が最初と今とで違うものになっているんですね」
私「言われてみれば・・・」
先生「その痛みは、がんの痛みじゃないかもですね」
私「副作用の痛みですか」
先生「薬の量を百%にして二回目・・・、副作用がこれまではなかったのに強く出ている・・・。二回目で副作用が強くでるってことはよくあることではあるんですよね」
私「今日は抗がん剤を減らすんですか?」
先生「もちろんです!」
私「えー、減らすほどの痛みじゃないから、減らさなくてもいいんじゃないかと思うんですけど」
先生「いや、減らしましょう! 我慢したら治療は長続きしません!」
私「・・・今、ここが痛い理由ってなんなんでしょう?」
先生「わかりません」


私に抗がん剤は無理・・・と信じた3ヶ月前の自分は遠く、いまや抗がん剤に対してイケイケドンドンな私です。
結局、分量を減らすという医師の意見が通過。

●知りたい情報を医師が教えてくれなかったら自分からたずねる

私「腫瘍マーカーはどうでしたか?」
先生「これです(紙を渡す)」
私「うわ~、数値が5分の1になってるじゃないですか(早く言えよ~)」
先生「腫瘍マーカーっていうのは指標にならないんですよ」
私「そうなんですか?」
先生「上がったり下がったりするもんなんですよ」
私「でも、この場合は喜んでいいでしょう?」
先生「あとでがっかりするだけですよ」


主治医は、初対面のときから、楽観的なこと、安易な結論、をぜったいに口にしません。
ちょっとくらいいい気にさせて~と思うけど、
エビデンスに基づく治療(EBM)を正しく世に広める啓蒙活動もしている先生らしいというべきでしょうか。


私が主治医の押川先生に、最初の受診のときに言われたのは以下の二点でした。

【1】 薬の名前は全部おぼえること。これは基本です。

薬の名前って長いものが多いし、めった飲まないものを含めるとたくさんある。無理です。
と思ったけれど、先生との会話の端々で、

「薬をのんだらこうなった」
など、私がイイカゲンなことをいうと必ず、
「なんていう薬ですか。名前でいってください」
と、スパルタ教師のように押川先生から返ってくるので、覚える努力をするようになりました。


【2】 日記をつけて、次の受診のときに報告してください。

病状が一日一日大きく違うので、先生に言われる前から、日記はつけているんですが、
薬の効き方、飲んだ回数、飲んだ量まで正確につけようと思うと、かなりめんどくさい。
一日の終わりにまとめてつけると忘れるので、キッチンカウンターに常置して、飲んだら書く、を実行しています。


今回、上記を書いたのは、これから書くことを書きたかったからです。

先日、国立病院機構関門医療センター(山口県下関市)で、抗がん剤による、起こってはならない事故が起こりました。
ヤフーニュースであがって来たのを読んだとき、
「これが日本の抗がん剤治療のあたりまえだと、また多くの人が思ってしまうな・・・」と暗い気持ちになりました。

その病院でなくなった患者の投薬を担当したのは外科医で、患者に対して5日間で終了すべき薬を39日間も投与したのだそうです。

薬を飲むことで起こる副作用を、患者は果てしなくどこまでも我慢しなければならないと、
患者や患者の家族に思い込ませたのはなんだったのでしょう。

医師と病院に百%の過失があったのは、間違いないですが、
患者と患者の家族に服用している薬の副作用に対し
医師からアドバイスを受けることができるという考えはなかったと思われます。

「先生、これ異常ですよ。いったんテモダールをやめてみたらどうでしょうか」

なんてせりふがいえる患者や家族であれば、状況は変わっていたのではないでしょうか。
いい医者にあたる確率はものすごく低いかもしれないけど、
自分がいい患者(いい患者の家族)になれる可能性はとても高いです。

勉強することができます。本もあるし、ウエブサイトも、講演会もある。

家族が病気になる前に、自分が病気になる前に、必要なことをしっておけたら、
少なくともどんな情報が必要かを知っておけたら、絶対的に予後が違います。
医療費がバカ高いアメリカでは何にお金を払っているかに対し患者はシビアにならざるをえず、
真剣に自分が受けている医療を勉強するそうです(主治医の受け売りです)。


9月1日に主治医が埼玉県越谷市で講演をするそうです。
ともに演台にあがるのは、たいへん有名な方々。
(宮崎県から登壇する押川先生も一部でもとても有名ですけど!)

病院で治療を受けるな、といいながら、すてきなストーリーでファンタジックな病気治しへ導き、
詐欺なお金もうけをする先生がたの情報は、いつでも手に入ります。

でも、この日、ここで手に入るような情報はそうそう手に入りませんので(おそらく)、
少し無理してでも行ってみればいいのではないかと思います。
押川先生は一日中会場にいて、無料でがんの治療相談にのってくださるそうですよ。

イベントを紹介した押川先生のブログ

ところで、
押川先生のいる病院は看護師さんも、押川先生にどんどん異見をさしはさみます。
「先生違いますよ!」的なことを患者の目の前で言う、あるいはカーテンの向こうで電話している看護師をみて、
風通しのいい病院だなあと、感心しました。

テディベアによく似た押川先生だから、看護師さんが遠慮呵責ないのかもですが。

建物の図体が大きいだけの、権威ぶった医師ばかりの病院では、
看護師からの声も上にあがらず、事故が起こりやすいような気がします。

ちなみに看護師さんたちが私のために先生に言ってくれたのは・・・・
「ウチヌノさん、下痢で弱っているから入院が一日長くなっても抗がん剤の投与は明日から始めたほうがいいんじゃないでしょうか」
「ウチヌノさんに、病院の帰りに陶板欲に行ってもいいって言ったそうですね。ダメですよ。体温が上がると薬剤が入るスピードが変わるんですから!」

こういうふうに看護師さんが医師にもの言える病院であれば、山口県の事件は起こりえなかったのではないかと。
そりゃ甘い、周囲の異見を無視するカルチャーこそが問題の根元の一つだ、かもですが。



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吉村医院と安保徹氏の共通点

2年くらい前だったか、友人から妊娠を伝えられて、
「よかったねえ」と祝福していたら、相手は不意に暗い顔になって、
「でも、病院で産むんです」と告げるのでびっくりしました。言葉に驚いたのではなく、暗くなっていることに。
「それが何? いいじゃん、べつに」
と心から言っても、最後まで彼女の顔は晴れやかにならなかった。
自然分娩はマルだけど、病院で産むのはバツだと信じ込んでいるのだと思わせました。


この暗さの原因は、ひょっとしたら吉村医院かなあ、とあとになって気づきました。

2010年、吉村医院と院長・吉村正氏を映したドキュメンタリー映画「玄牝-げんぴん」が公開されました。
河瀬直美さんの監督作品で、私も友人が自主上映をしたときに見ました。
この映画は確実に自然分娩志向の妊婦を増やすのに寄与したと思われます。

自然分娩に対しては、私自身はいいとも悪いとも考えがありません。
高いリスクを無視してするほどのものじゃないから、条件に不安があるならやめたほうが、というくらいのものです。

ところが吉村氏に心酔して自然分娩を選ぶということは、そんな軽いものじゃないらしいです。

以下の出典は「きらきらねっと」だそうですが、現在ではサイトごと削除されており見ることができません。
私がこの引用をみたのは、NATROM氏のウエブサイト


りーべる:今度ってあるかないか分かんない今度ですけど、自宅分娩でもいいかなって思うんですよ。
吉村先生:いいじゃないですか。
りーべる:理解してくれる助産婦さんがいてくれたら…。
吉村先生:だからね、死んだっていいって思やあ、それでいいじゃないですか。
りーべる:ああ、納得。なるほど、そうですね。
吉村先生:子どもが死んでもね。
りーべる:うんうん。
吉村先生:死ぬのはだめ、死ぬのはイカンなんて医者が言っとるでしょ。それは医者が儲けるために言っとる。



上を読んで納得できる人がいるのか、と激しくおどろいたのですが、吉村病院ではそういう人も珍しくなかったようです。
新生児が死んだとき、「死んだっていいって思やあそれでいいじゃないですか」「ああ、納得。なるほど、そうですね」という対話がありえるのか。ところがありえたらしいのです。この病院では。
NATROMさんの著書『「ニセ医学」にだまされないために』(メタモル出版・2014)にも、吉村氏の衝撃的な言葉が引用、紹介されています。これも引用元は「きらきらねっと」で、削除されているため確認ができません。

「自然のものを食べて、自然な心でおって、自然に体を動かしておればツルツルに生まれますよ。みんな、ちゃんと産んだんだ。産むべきじゃない人は死んだんだよね

「人間はね、いらん遺伝子を排除して良い遺伝子だけでね、ずうっと太古以来、続いてきたんだよ。それが西洋医学が入ってきてからそういうのを助ける。助かっちゃいかん命が助かって、また悪い種を蒔いとる



ヒットラーか? と驚く、優性思想ぶりです。
吉村医院では、自然分娩以外で生まれてきた命は、「助かっちゃいかん命」「悪い種」だそうです。悪い種ってなんですか? 吉村氏は2016年になくなっており、もはや訊ねることもできません。


現代医学がこれほど普及する以前のお産は、死と紙一重の、たいへん危険な行為でした。
1899年の10万人あたりの妊婦死亡数は約400人。2016年のそれは4人。
新生児の死亡率は2017年で1000人あたり0.9人で、これは世界最少の数字です。

この数字が達成できたのは言うまでもなく、ほとんどの赤ちゃんが病院で、しっかり管理された中で生まれていることに起因します。もちろん、衛生状態、栄養状態の進歩も無視できない要因です。

私が吉村氏の言葉を読んで思い出したのは、
このブログで以前紹介した安保徹氏のことでした。
かれも放言の医師でした。

安保  そこがみんなわかってない。(中略)がんとの戦いもね、血流をめいっぱい送って、それに伴う発熱、痛みは、出たら甘んじて受けるしかない。すると、熱が下がった後にね、サーッ!てガンが消えるんですよ。(中略)全身転移がある人だと、五~六回繰り返して治ります。
編集 えっ、痛みの後にガンが消えるんですか? 痛みはガンの進行の証拠だと思っていました。何が怖いって痛みの中で死ぬのが・・・・・・。
安保 痛み止めを使わなきゃそうはならないですよ。(中略)痛みがきたらむしろ「ありがとう!」「これで治る、やったー」てなもんですよ。(後略)
編集 痛いと何もやる気にならないし、気分も滅入りますしね。
安保 だからそれは副交感神経の反射で起こるんだから、リラックスの究極なわけ。横になって体を休めなさいということなんですよ。
編集 なんだか、目からうろこが。でも、とても納得できますね。
安保 (前略) がんが治ったという声をあっちこっちで聞くでしょう? もうガンは奇跡でもなんでもなく、当たり前に治る時代です  ガンの患者学研究所発行「いのちの田圃」(2002.10)より



前に書いたことではありますが、安保氏が、疼痛や発熱はがんが治る前兆、「ガンは奇跡でもなんでもなく、当たり前に治る時代」と雑誌の対談で公言するのなら、もうすこし読者の多い雑誌「ネイチャー」か「サイエンス」にでも発表して世界のがん患者を救ってくれたらよかったのに、です。

吉村、安保両氏の共通点は、現代医学に対する徹底した否定と、医師でなければおじいちゃんの戯言ですまされるような根拠のないことを医師の立場を明確にしたうえで、無責任に断言、放言する点です。

オーガニック派にとって、吉村医院の知名度はとても高く、院長の本はこの時期次々に発行されました。
自然療法派にとって、安保徹氏への信頼度は絶大で、監修しただけの本を加えると何十冊という本が発行され、何冊かのベストセラーも生まれました。


こんなにも極端な思想の持ち主である彼らが、多数の人から信頼されているのはなぜなのか。

カギは、こんな言葉のなかにあるような気がします。

自然のものを食べて、自然な心でおって、自然に体を動かしておればツルツルに生まれますよ

この言葉、気持ちいいです。
反論をしたくなりません。

このあとに、

産むべきじゃない人は死んだんだよね

という恐ろしい言葉が続くのですが、それを聞いても「なるほど、納得」と言ってしまう聞き手の気持ちがわからなくはない。なんというか、気持ちよく流されたくなります。

吉村医院で産もうとして産めず、病院に搬送されたのち、子供を出産後三日目に亡くした人のブログがNATROMさんのブログに一部紹介されています。驚くのは、そこに病院や医師へのうらみつらみは一切なく、感謝の言葉しかつづられていないことです。

子供をなくした女性は、肉もたべないバリバリのマクロビオティック実践者で、仕事も夫婦で無農薬野菜などの販売を行っていたそう。
(「吉村医院の哲学」参照)。

NATROMさんも書いていますが、生まれたばかりの子供を自分の哲学(信仰、宗教、このみと言い換えてもいいけれど)で失ってしまった母にとっては、吉村医院を批判することは自分を批判することになり、この厳しすぎる状況でそれは出来なかった、と考えるのが妥当かもしれません。自分を批判しないために、感謝する……。

自然のものを食べて、自然な心でおって、自然に体を動かしておればツルツルに生まれますよ

という言葉の後半をちょっと変えると、がんの自然療法サイトなどで、よくみる言葉になります。

自然のものを食べて、自然な心でおって、自然に体を動かしておればがんは治りますよ

実際、安保氏の主張はほとんどこれと重なります。
彼が掲げた「がんを治す四か条」は、生活パターンを見直す、がんの恐怖心から逃れる、三大医療を受けない、入浴や爪もみで副交感神経を活性させる、です。
いうまでもなくそんなものでがんが治るわけがないですが。

そもそも自然であることが正しく、自然でないものが悪だとする考えの根は何なのでしょうか?

そんなことを考えているとき、読んでいた本のなかにこんな言葉をみつけて、膝を打つ思いがしました。


「日本の場合、自然科学は善だという感覚はないと思うんです。
むしろ科学技術は必要悪とみなされている。
本来、自然はいじってはいけないものだけど、便利でうまくいくのであればそうさせてあげよう。」


森達也氏(作家)との対談(『私たちはどこから来て、どこへ行くのか~科学における「いのち」の根源を問う』/筑摩書房) における、竹内薫氏(サイエンス作家)の言葉です。

自然科学に善悪などあるか、と思う人もいるかもしれませんが、
日本には確実にあります。特に、2011年の東日本大震災以降、この感覚が出てきました。
今たくさんの日本人が「自然はマル、科学(人工的なもの)はバツ」という考えにまとまってきている。

少なくとも「アトム(原子の意味)」という名前の漫画のキャラクターが登場した時代には、その思想は大衆的ではありません。
化学調味料という名称はメーカーが自らつけたそうで、「化学」がよいもの、進歩的なもの=よいもの、という思想が時代の空気だったことをうかがわせます。


吉村氏や安保氏がいくら暴言を繰り出しても、批判につながらないのは、
なにもいじらなくていい、そのまま、自然のままでいいという思想が、時代の気分にマッチしているからではないでしょうか。

「自然のまま」という言葉の延長線上に、「治療しなくていい(切開してまで取りあげなくていい)」、「現代医学などいらない」が並んでいます。

1980年代、忌野清志朗のコンサートにはピンクや水色の孔雀のようなカラフルな化粧と衣装で行くのがお約束でしたが、それはその時代とあっていたので、誰も「そんなのへんだ」とは言わなかった。
肩パッドが体型をよいバランスに見せると信じられていたので、どんなごつい肩パッドにも「それは変だ」と思う人はいなかった。

日本人は同調圧力に弱いとよく言われます。一定の数を超えた意見にはくるまれてしまいたい。友人たちと同じ意見をもっていることが快感だし、時代の空気から外れた意見やこのみをもつのはリスクです。

2011年以降の時代の空気は、「自然」礼賛です。
2011年以降、「自然」と同じくらい、「天然」「オーガニック」等の言葉も目にする頻度が急増しました。

普通の言葉だった「自然」という言葉が、豊かで心地よく響くようになったのは、今、多くの人がそれを求めているから。
なぜそれを、今、求めるかといえば、

東日本大震災のあと、
科学の最先鋒である原子力発電に対する処置にごまかしや隠蔽があったこと、
唯一の被爆国でありながら、原発事故の責任も明確にできない国家への絶望やジレンマ、
そうしたものからの反動・・・といえるような気がします。

科学は必要悪、できることなら使わないほうがいい、という考えは、日本人のアニミズムと関連があるのかもと少し思ったのですが、そうではないですね。日本人がこれだけ集団で科学を嫌うようになったのは、歴史上はじめてのことだと思います。
原子力への不信に端を発し、大きく広まっていることは疑いようがありません。
そもそも科学が日本に入ってきたのは明治時代のこと。日本で科学の歴史は浅いのです。
サイエンスの訳語として科学があてられたのは、科目がたくさんあるからという理由だそうです。


かくいう当園も、錦「自然」農園を名乗っております。
2002年にこの名前をつけたオットに、自然農や自然栽培への憧れや尊敬はありませんでした。
そんな言葉を聞いたことがあったかどうかさえ疑わしい。
自然豊かなところで農業しているから、くらいの意味でつけた名前です。
自然栽培で作物を作り、自然農や自然栽培で作ったものを販売しているのと、名前に関連はありません。

自然療法が悪いわけでも、自然栽培が悪いわけでも、自然分娩が悪いわけでもありません。

「自然」というワードが、無条件にヒトをひきつけるパワーワードに成り上がったおかげで、
自然治癒、自然療法をキーワードにする場所では、高い確率でいんちき商法が行われています。
安保氏もそういう商品説明や講演会でずいぶん名前をおみかけした時代がありました。

現代医学を否定し、医療行為を否定しながら医学を語る安保氏と同じことは、誰にでもできます。

安保氏と同じく、医療行為はしないけれど、医療に非常によく似た言葉(病気が治ると示唆したり、それは好転反応であるとなぐさめる)を弄する人がネット上にたくさんいます。

販売者であることを表にださず(出しているけれど目立たせず)、
「標準医療は効果がない」、「病院にいかなくても病気は治る」、「自然のままで」「自然がいちばん」などなどの
心地よい言葉を用いて健康や治療についての情報を流布するSNSで、
信者(=購入者)から「先生」とよばれ、
根拠の薄い健康食品の、または治療法のセールスをする人は本当にたくさんいるのです。



ぶどう、栗、おこめ、コチュジャン、お茶などなどのご注文は
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2018年の桃の収穫が今週で終わりそうです

昨日メルマガでもお知らせさせていただきましたが、
今季の桃の収穫が今週で終わりそうです。
日曜までするかもしれませんが、数は一日数箱レベルだと思います。


今年は収穫にも発送にも、ツマはまったく関与しなかった初めての夏でした。
最多忙期はスタッフに手伝ってもらったけれど、ほとんどはおっとがひとりでやりました。

受注メールを出すのも、発送メールを出すのも、お問い合わせにお返事を出すのも彼が。
すごいなあ、よくできるなあ、といいながら、見ているだけのツマでした。

「今年はどれくらい送れない人が出た?」とおっとに聞きましたら

「うん? ほとんどおらん」

「うそ! ほんとに?」

「ま、5人くらいかな」

「すごいじゃん・・・・(感動している)」

毎年桃のご注文は6月末に打ち切っているにも関わらず、
ものすごくたくさんの「ご注文を受けながら、お送りできない」人がでてしまいます。
今年はご注文を止めるのを忘れてしまい、7月の数日受けてしまいましたが。


それがたったの5人とは。
ほんとにすごいなあと、私はその後しばらく黙り込んでしまうくらい感動していました。


ご注文を受けながら、お送りできない、というのは、
こちらにとってはものすごいストレスです。
だってすごく長くお待たせして、あげく送れないと聞かされるのがどんなに不愉快かは、十分に想像できますから。

だから私は自分があとで、「おくれませんでした、ごめんなさあい!!」とメールを送るのがいやさに、
「早く注文を止めようよ」と6月の半ばくらいから、そわそわしぱなしです。

こういうときに性格の違いが出ますね。
オットは必ず、「まだ大丈夫!」と言い張ります。
これは男女差かもしれません。

その時期(6月)というのは、収穫が絶好調の時期。
今年はいけるぞ、高温障害や台風通過など、悪いことなんかこの先起こるかあ!
っていうイケイケのメンタリティが
「早めに注文とめましょう」という弱気なツマの声を吹き飛ばすのです。

だがしかし、結果はつねにやっぱりどうしても、ツマの不吉な予告どおり

受けた注文数>実際に送った数


だけど今年は5人なのね・・・・畑の好調さはほんものだったのだわ
おっとは私のいうとおり、少しだけ送る桃のセレクトのしばりを弱めてくれたのだわ


ところがです。
話を聞いたあと、家に帰ってみたら、5人なんてとんでもない。
その何倍もの人に、やっぱり例年どおり、たっくさんの人にメールを出さないといけないことが判明。


いいようにしか考えない
悪い想像はしない
というおっとによって
私は午後の数時間、いい気持ちでいられたので感謝したほうがいいのかもです。


毎年そうなのですが山育ちの桃(ワケアリ品のこと)は、
7月を最後に、どんどん数が少なくなり、
8月に入ると一日に1箱がやっとできる、という少なさになります。

なぜワケアリ品が一日1箱しかでないのか?

驚かれるかもしれませんが、ワケアリ品といっても、
発送するものを決める際の選別で、「おいしくない」とわかるものは入れない

というおっとの中に強力な線引きがあります。
それと、「今はいいけれど、二日後には中の茶色がもっとひどくなる」
というのもはずします。
このふたつのおかげで、
収穫までこぎつけても、発送するのはその半数しかなく、
ほとんどすべてが捨てるか自家消費になってしまうわけです。

中が茶色くなるのも、この時期の桃にとっては、完全にゼロにすることはできないものですから
ある程度のものはお送りしています。
茶色くても味は損なわないという考えからそうしています。

山育ちの桃をご注文された方が、もっともたくさんお送りできない結果になりました。
申し訳ないです。

うちの桃は、6月がいちばん量も味も安定していますので、
ご注文はどうぞ、5月にしていただければありがたく存じます。

来年もどうぞよろしくお願いします!!



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ラフティング初体験☆飛び込み初体験

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ここにわたしはいるのですが、見えませんね~


球磨川でラフティングをしてきました。

去年の暮れにセドナからグランドキャニオンにまわったとき、
コロラド川のラフティングの映像を劇場の大画面で見まして
そのときからなんとな~~く、ラフティングにココロが惹かれていたのです


ラフティングとは激流を川下るスリルを楽しむものだと思いますが、
コロラド川の映像をみて惹かれたのも、もちろんそれだったのですが、
実際にやってみれば、激流のスリルの楽しさは私にとっては「つけたし」みたいなもので、
ほんとうにおもしろかったのはそれ以外のことでした。


なにがおもしろかったかといいますと、
川岸の岩を登って、そこから5m位下の川面に向かって飛び込むこと。

はあ? ってかんじですね

ラフティングツアーに参加して(8~9名のボート3台で川をくだります)
「この上から飛び込みたい人、のぼってくださーい」
といわれ、よく考えもせず岩をよじ登ってしまったら、
あとは船に帰る選択肢は飛び降りるしかなかったということです。


岩の上にいる人が多すぎて視界がさえぎられ、私が川面とようやく対面できたのは(川面を初めて見下ろしたのは)、
いよいよ飛び込む順番がわたしにまわってくる1分前くらいのこと。

見てびっくり。

なんと! 高いじゃないですか!


高いところから飛び降りるっていう行為、小学校低学年までは率先してやるほうだったのですが、
10歳以降、そういうことをまったくしてない。
こういうときは思考を停止させるしかありません。考え出したら手も足も動かなくなりそう。


飛び込んだ勢いで全身が一度は水没しますが、ライフジャケットを着ているのですぐに浮かび上がります。
沈むとき少しだけ鼻に水が入りました。
とてもしあわせでした。
怖がる自分をふりきって宙に足を飛ばせた、その瞬間、
いってみれば日常のじぶんを超えたっていうか。

たぶん、水中から頭が川面に浮き上がったときから、
顔が勝手に笑ってしまって、ツアーが終わるまで幸福感120%だった理由って、それかなあ。

わたしのすぐあとに、オットが飛び込みました。

結婚から8年。
アウトドアにおいて、何をやっても、これまでヒョイヒョイとこなしていると
私に見せてきたオットがなんと、
飛び降りることができず、岩の上でじとっと時間をすごしています。

あらあ、びびってますなあ♪

なんて、川面を漂いながら余裕で見ている私でありました。
私だってめちゃ怖かったのですけど。
こんなに怖い気持ちを味わうこと自体がひさしぶりで新鮮でした。

思えば、怖がる経験を最近してなかった。
なぜかって、基本が「注意してくらしなさい、お病気なんですから」というモードでここ2年ちかくやってきたから。
「おだいじに、おだいじに」でやってきたから。
知らないうちに一歩じぶんを引かせる習慣が身についておりました。

怖い、って未来への信頼がおけない状況ででてくる感情。
岩から飛び降りるのがそんなに怖かったのなら、
急流下りそのものも怖がってもよさそうですが、これまでうまくいってるから大丈夫、
と未来への信頼百%。いやここは、ガイドさんへの信頼百%というべきか、全然こわがれません。

怖がる気持ちがないと、水しぶきが涼しくていいなあ、くらいのもので、
自然をなめてしまうというか、ディズニーランドで遊んでる気分になってしまいます。
よくできてるなあ、と球磨川の自然に対して感心してしまいそうになりました。

川下りの時間はトータルで2時間くらい。
時間の半分くらいは、ボートをおりて、川の中で自由にしていられました。

オットがラフティングでいちばんよかったと言っているのは、この時間でした。

ツアー客の8割は20代と見える人たちで、きゃーきゃーと楽しそうに水遊びをしていましたが、

私と友人とオットのラフティング初体験・中年3人組は、

なんだこの気持ちよさは・・・・・・

と内心うなりながら、川面をラッコのポーズで、ゆるゆると流されておりました。

水量と水深のある川をこうやって泳ぐことは、オットと二人ではできません。
水難事故にまっしぐらです。

でもガイド付きのツアーだから、
安心して流されていられる。
川を流れる木の葉になれるわけです。

あまり熱心に木の葉になりすぎて、気がつけばツアーのボートと遠く離れてしまってあせる
というシーンもありましたが、
ガイドさんがすぐ拾ってくれるので、怖がるに及びません。

年に一回くらい参加してラッコになるのはいいかもなあと
思いながら川から帰りました。
お世話になったのは友人が主宰するコンパスという会社。
また、よろしくお願いしま~す。


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