FC2ブログ

おとなのためのがん教育 11月24日@田町

主治医の押川先生の東京でのセミナーの申し込みが今日までなのでおせっかいにも拡散します。

がんの予防ができるならするにこしたことはありません。
予防できる要因は、全要因の半分以下らしいですが(喫煙よりほかのところにもあるらしいです)
予防のために、聞きにいってみませんか。
二人に一人ががんになる時代。50歳過ぎたら急に増えてきます。
この一週間で私のところにがんによる訃報が二軒も飛び込んできました。
両方男性。40代と50代。
仕事ができない、出費が多い。こんなことがあれば十分人生かわりますからね、がんにはならないにこしたことはありません。
たった一日のセミナーが、ご家族におおいなる実りをもたらすかも。

>>>

11月24日(土)東京 田町で13時~18時に開催されるセミナー祭りの事前申
し込み〆切は本日10月30日まででしたが、明日10月31日まで、もう一日延
長します。
演題名は
「がんの防災・アクティブ緩和ケアが、あなたの人生を守る」
です。
健康に敏感な方はがん予防のために、かなり気をつけていると思われます。
しかし、巷で言われているがん予防のための数々の心がけの本当の意味は、
「予防できるがんの原因」の範囲内で言われているに過ぎないと知ってい
ましたか?
そして発がん要因のうち、予防できる原因の占める割合は半分以下という
ことを知っていますか?
実は発がんの最大の危険因子は〇〇なのです。(注:喫煙ではない)
これを意識せずして、がん予防を頑張ってもむなしいことになります。
予防に熱心な方でも、不幸にしてがんを発症した後どうすれば良いかとい
う事まで、事前準備できている人は、残念ながら少数です。
だれもが自分はがんになるはずがないと思っているためですし、縁起でも
ない話は最初から近づきたくないからです。
しかし日本人の二人に一人ががんになると言うことは、家族4人いたら、
そのうち2人は生涯がんを発症する可能性がかなり高いと言うことでもあ
ります。
それをわかっていながら、対策を取らないことは将来への借金を負ったま
ま過ごす事に等しいでしょう。
よって「がんの防災」という考え方が重要になってきます。
予防だけでなく、被災した後の被害拡大を防ぎ、復興まで含めた「防災」
の考え方が、今までのがん教育になかったことが不思議でしょうがないの
ですが、そこに「緩和ケア」の仕組みを入れ込んだのが「アクティブ緩和
ケア」です。
緩和ケアはがんを発症していなくても有効なことを知っていますか?
金銭よりはるかに重要な将来へ投資としての「大人のがん教育」を受けて
みてください。

さらに講演直後からおこなう一人10分1000円の個別セカンドオピニオンは、
すでに6人予約が入っており、あと2人のみ枠があります。下の方の申し込
みリンクよりご登録ください。
なお申し込みしても、登録完了メールが届かない方は、迷惑メール処理な
どで不達の可能性があります。
090-4517-5403宛にSMS(ショートメール)ください。

>>>
以上押川先生のメルマガより



白菜、キムチ、新米、お茶、紅茶のお申込みはこちらです
錦自然農園フルーツストア
スポンサーサイト

がん治療における統合医療の可能性?

「完全にいっちゃいました」

乳がんになった知人のその後のことを「元気かしら」と聞いたらこの返事。
いっちゃったって、いったいどこへ?
びっくりして体がついつい話し相手のほうにつめ寄ってしまいました。

「代替医療。統合医療? ●●(有名プロレスラー)が来ている・・・・ええーっと、名前忘れたな、けっこう高い金とる」

ああ、そっちか。
えーー?? ほんとに? ほんとにそっちにいっちゃったの???

「『もういい』んだって。『わたしの命はそこに預ける』って言って。抗がん剤、受けるのやめるって。そこの代表者は、医者でも何でもないんだけど。なんかよくわかんない団体なんだけど」

うーーーーー。言葉にならない言葉で頭のなかがいっぱいです。

その方はケトン食療法(糖質制限)で四期のがんを治療しようとしていたのですが、数ヶ月で急激に悪化して関西のあるクリニックから、『病院にいけ』と放り出されてしまいました。
そして、さてどうするか、となったときに相談をうけて、知っていることを伝え、一度は押川勝太郎先生のセカンドオピニオンライブに参加されて質問もしていたのに。
病院やめるのか。いったい、何があったのかなあ。

「会っちゃったらしいですよ。統合医療のそれをやっている人に」

会っちゃった? だったらそれはもう、仕方ないかも。
統合医療の団体は、魅力的な言葉と、気持ちよく言いくるめられる理論でおしてくるところが多い。
「強い副作用の可能性があり、それでも効果が出ない可能性が高く、5年生存率は0%です」
なんて病院がふつうに使う言葉はけして使わない。


先日東京に行ったときにも、友人とごはん食べているときに、「がんになったらどんな治療をするか」話になりました。

「統合医療がいいと思うのよね」

と言い出したのは編集者A。
彼女はお仕事の人脈で、有名ドクターや有名心理学者、有名ホリスティック医学翻訳者などなど、この分野の人たちと交流を深めつつあるようで、その言葉が出てきても驚きませんでした。

「統合医療ってなに?」と聞いたのはライターのB。私の書いているブログをけっこう精読してくれているそうで、がんとお金について、とくに目が開かれたと話してくれました。

「統合医療っていうのは、病院で受ける医療以外の医療すべてと思っていればいいのかな」と私。

がんについてしっかり勉強しているAが、

「最近は病院の医療も否定はしないみたいよ」

「そうそう。否定はしない。抗がん剤をはじめ標準医療を否定しないことで、このクリニックは偏ってない、という安心感を与えることがわかっているのか、そういうとこが増えている」

「問題がある病院もあるけど、ちゃんとしている先生の病院であれば大丈夫よね」

「それがそうでもなくて、本を何冊も出していて、いい人だと思われている医者で、とんでもない悪徳クリニックがあるよ。いいところもあるけど見極めがむずかしい」

「えーそうなの」

「ホームページ見ても、本を読んでも、言葉はきれいなの。抗がん剤は副作用でがんを増やすだけです、とか書いて病院治療を否定しているところでも、そうでないところでも同じ。
問題は治らない療法を、がん患者が最後のよりどころにして駆け込むことをいいことに、とんでもない値段をふっかけること。ふっかけても払う人がいるから、たいていは違法でもなんでもないけど。

なにが悪徳ってもう一ヶ月も余命はなかろうという患者にも、数百万円からひどいのは1500万円とかふっかけるんだって。それを患者は借金して払ったりするんだって。
遺族が訴訟を起こしたりして問題になっていることはNHKも特集してた。多くは免疫治療だけど、普通にどこのがん治療クリニックでもある温熱療法でもサプリメントでも、同じようにあとがない患者におどしをかけて金をふんだくるクリニックがいっぱい。

統合医療のクリニックで問題があるかどうかの見極めはすごく難しいと思う。
温熱療法とか酸素浴とかサプリメントとか食事療法とか、並んでいるもののリストを見て、こういうのがあったら悪徳とか、こういう言葉があったらやばいとかでは見きわめられない。

わかりやすくて明快な言葉を使うし、関係者はみんなすてきな笑顔だし、割烹着のスタッフがなごみのおもてなしをするクリニックもあるし、病院の冷たさとは正反対のイメージをブランディングしている」

Bが言いました。

「だけど、日本の標準医療は世界最高レベルなんだから、そんなとこいくことないでしょ」

「そのとおり。がんになる前はこんなすてきなこと発言しているドクターとともにがん治療をしていきたいと思ったって、実際がんになったら限度額といっても収入によっては十万円とか少なくとも五万円とか毎月病院に支払わないといけない。
長引けば一年で百万近く、運よく延命できれば数年で数百万。十年で家が買える。

これを払い続けて、なおも自由診療のクリニックに温熱療法とかサプリメントとか払える人はそうそういないよ。

基本的にお金持ち以外はクリニックでがん治療なんてできないの。
私たちビンボウ人は支払えない、というリミッターがあるから、ある意味幸せよ。
借金しても、貯金を全部使い果たしてもいいと考える人もいるから、ビンボウ人もいろいろだけど。
本当にかわいそうなのは、お金があるからいくらでも治療法を探せる人たち。
いろんなものを試して探して時間がたって、何も効果を出せないまま、死ぬ時期を迎えてしまう」

A「ああ、あの人やらあの人ね」

B「あの人もそうね」

私「あの人たちだけでなく、お金があればみんなすると思う。だから、あぶないのよ。統合医療とかをかかげているクリニックは。がん患者のそういう心理をくんでいくらでもありますよ、あきらめなくていいですよ、と治療メニューを次々ひろげてくれる」

B「病院治療よりもっといい治療があるっていう幻想をいだくのは、標準治療って言葉が悪いんじゃない? 標準とつけば、私はその上でお願いしますって言いたくなる。鮨みたいに特上お願いしますって」

私「すでに特上なのにね。アメリカではリコメンド(推奨)医療とかスタンダード(標準)医療とか言うらしいけど、日本に入ってくるときにスタンダードのほうが採用されたらしい。リコメンドならちょっと受け取りが違ったかも。

最近標準医療にちょっと偏見がある人が手術を医者から薦められているんだけど、ふんぎりがつかないと私に相談してきたの。
いろいろアドバイスをしたけど、もしもあなたと同じ状態の人が江戸時代に生きていて、手術できますよ、といわれたら大喜びで手術受けるね、って言ったの。私たちは現代の日本に生まれたから医療が受けられる。これってラッキーよね、と。日本に生まれたって70年前なら布団に寝てるほかなかったわけだし」

A「『JIN(仁)』か。あれはおもしろかった」

私「いまの時代に統合医療でも代替医療でも、これを受けることによるいちばんの不幸は、いつまでもあきらめられないことだと思う。まだまだ治る、わたしには可能性がある。そう思い続けることで、運命を受け入れられないまま死ぬのは、私はきついなあ」

A「保険を入院に厚くかけるのはどう?」

私「最近は入院日数がどんどん短くなっていく傾向があるし、入院より通院に厚い保険を探したほうがいいよ。うちのだんなさんはそうした。がん事情を知ってしまうと、保険をかけずにいられないみたい。
抗がん剤はまだ完治させるまではいかないまでも、生きてる時間を長くさせるには十分なくらい薬の開発が進んでいるらしいから、今後も必然的に長期にわたって通院する人が増えていくんじゃないかな」


忘れていましたが、私も統合医療の看板を掲げるクリニックのドクターからある療法についての話を聞いたことがあります。

典型的な統合医療のクリニックでした。
東京・銀座にあるそのクリニックのドクターはその分野の本をだしていて、私はその療法の名前を人から聞いたのです。
ネットでききかじっただけのことを、考えもなく、責任もとらず、がん患者に向けて広めている人から。

そのクリニックは地方に支店のようなクリニックをもっており、そこにだったら通える可能性があるかもと思いました。
いやたぶん、通えなかったでしょうが、その頃はほんとうに痛くって、情報に飢えておりました。

「何人の人がこれまで治ったのですか」と病院からかかってきた電話で質問しました。
「数字ははっきりできませんが、そんなにたくさんいません」というへんじでした。
「福岡にクリニックができるという話があるので、ここまできて受けなくてもいいかもしれません」
銀座の大先生ではなく、地方のドクターで、正直な人でした。

結局、福岡に施設ができたかどうか、確かめていません。
だってその一ヵ月後に受け始めた病院の標準治療(抗がん剤治療)で、
副作用がほとんどないのに、治療効果があり、痛みはなくなり、QOLは比べようもなく向上したのですから。


先日、東京でいっしょにごはんを食べたカメラマンのCさんが、
「25年前に悪性リンパ腫の3期だったが、抗がん剤治療を3ヶ月受けたらがんが消えた。それ以降再発もなし」
と教えてくれました。なんでもっと早く、一緒に仕事をしているときに教えてくれなかったかなあと思いました。
「抗がん剤しているときは味覚障害がひどくて何にも味がしなかった。もうそんなことすっかり忘れてラーメンばっか食ってるけど」
私が抗がん剤で苦しい思いをしているとき、「Cさんもがんばったんだから私も」と思えたかもしれないのにな。
がんサバイバーは、もっとその経験を周囲の人に語りましょう。

「副作用で死ぬだけだ」というデタラメだけが拡散されているのは不公平というもの。
正しくは、「副作用で死ぬ人もいれば、副作用の苦しみなんかすっかり忘れて人生を楽しんでいる人もいる」ですもんね。



◆◆統合医療とはなにか◆◆については、厚生労働省がとても親切でリアルに役立つサイトをつくっています。

「情報の見極め方」というタイトルのこのページなんか特にいいですね。

「分母を確かめよう」ですよね。これでがんが治った人がたくさんいます。といわれたら、そのたくさんは何人か? そして、何人の人が試して何人が効かなかったのかを明確にしましょう、ということです。

そんなこと質問したりしたら、先日のスピリチュアルな有名先生のように「そんなこと私に質問するなんて、あなたはレベルが低い。私を信じられないんですか」と怒り出す人もいるでしょう。そういう人の薦める治療法が効くわけないですよね。



キムチとお米とお茶とおいしい野菜たちのお求めは

錦自然農園フルーツストア

スピリチュアルな病気治し

4日間を東京で過ごして帰ってきました。

偶然というには偶然すぎるおもしろいことがいくつかありました。ひとつは、最終日。

おっとは銀座近くで店を開いている友人のとこで焼き鳥を食べたあとに、
わたしは中目黒界隈で昔から大好きな中華料理とバーに友人と行ったあとに、

いくつか電車を乗り換えて宿泊しているホテル最寄の駅で降りたのですが、
なんとおっとも、示し合わせたように同じ車両で帰ってきました。私は驚愕、おっとはぜんぜん驚いてない。
「よくあることだよ、こんなこと」。言われてみれば、そ、そうかもね。

私たちは自由に生きているようでじつは何らかのコントロール下で動いているのかもしれない。知らないだけで。


もひとつ。これは東京初日のこと。有名スピリチュアリストの先生に偶然お会いしました。

この方のことは東京を離れた2010年まではブログの更新を楽しみにしており、ファンといえたと思いますが、
だんだんブログに違和感をおぼえるようになり、ずいぶんお名前にごぶさたしておりました。

お店をお持ちとは存知ませんでした。
たまたまの通りすがりです。びっくりして店に入りました。

店で売っているある「モノ」は、スピリチュアル業界ではこの十年くらいでじょじょに認められているもの。
そのモノが病気治しにも推奨されていることを聞きかじっていました。
一行は私と友人とおっとの三人。
友人は買う気まんまんだったと後でしりました。
店にスタッフしかいなければ、おそらく十分以内で何かを買い、店をあとにしたと思いますが、
そこにオーナーである有名スピリチュアリストが入ってきて、流れが変わりました。

有名スピ先生は、親切にも並んでいる商品を手にして友人の頭に寄せたりしています。あらこれって実演販売?

「ほら、さっきとぜんぜん違うでしょう」
「ほんとだ!」

私も一応お追従したりして。


「これからは●●医学の時代です。そのうち病院行く人はいなくなります」

講演のようなおしゃべりも始まりました。なんとも贅沢です。

「●●医学って、波動の医学とはべつものですか?」

質問魔の私はわかんないことを「へー」と聞き流すことができません。

先生の長い説明が始まりました。

「抗がん剤なんかしていたら副作用でみんな死にます。手術とかしたってがんが治せるわけがない。本当の原因を変えないで表面ばっかりするから・・・・・」

という部分は覚えているけど、あとはちょっとわかりませんでした。質問させてくれないし。

話を早くするために私はいいました。

「わたし、四期のがんなんです」

「ということは、余命も聞いているわけですね。どれくらいですか?」

いきなりそういう質問が投げられるとは私もびっくり。
きょうびの有名スピ先生は、がん患者の相談を相当受けてると見ました。

「●●くらいです」

と答えたものの、うちの主治医は余命なんて意味がないもの言う必要ないと考える人なので、主治医からは聞いてません。

数字を聞いて、有名スピ先生の目がきらーーんと輝いたか、素敵なカモが入ってきたわいと思れたかどうかはわかりません。

「がんは治るときは一瞬にして治る病気なんですよ。胃がんの人が●●を胃にあててがんがなくなったということがあります」

「そうなんですか? これ(●●を手にもって)で、がんが消えたと?」

「そう。がんになった原因があるんだから、その原因をかえれば、結果が変わるんです。
がんを作った生き方を変えればいい」

「そういうふうに言う人いますねえ。
がんを作った生き方を変えればいいと、わたし、これまで何人かにいわれました」

「人のことなんか、どうでもいいんです!(なぜかここでいきなりキレる)」

「生き方を変えるってどういう意味なのかよくわからないんですが」

「死んだっていいと思えばいい。無になれば、がんは治るんです!」

「死んだっていいと思えないわけじゃないですが、それでがんが治るんですか?」

「それがいけない。なんでそういう? だまされたっていいじゃないですか」

「いや、だまされてもいいって・・・・いっぱいだまされたもんですから。これで治るとかいわれて、治らなかったり、時間がたっただけで、悪くなってしまったとか・・・・」

「そこがおかしい。あなたは●●先生(●●=ご自身の名前)のファンなんだから、●●先生にだまされてよかったと思えばいいじゃないですか! ●●先生にだまされてよかったとなんで思えないんですか?」

「それはちょっと・・・・・あの、さきほどの生き方を変えるっていうのをちょっとお聞きしたいんですが、それは自己否定しなさい、ということですかね?
自分のやってきたことをふりかえり、自分をがんにした原因をさぐるってことは、私の生き方の悪いところを探り出すっていう意味でいいんですかね?」

「いいとか悪いとかじゃない! あなたをがんにした原因があるんだからそれを取り払った生き方を今!から始めればいいんです。過去にこだわれっていう意味じゃない!」

「でもそれはやっぱり・・・・・わたしは自分のいきかたが間違っているって思わないといけないって意味ですよね? わたしは、わたしの生き方が好きなんですが

「・・・・・・・それはいいことです。それを続ければいい」

どうやらこのがん患者、カモになる気がないらしい、と悟った有名スピ先生はいいました。

「わたしもこうやって時間とって話すのは仕事だから」

「そうですね。失礼しました。えーっとじゃあ、どれか・・・・(買っていかなくちゃね、と棚を見渡す)」

「あなた、ブログ読んでいるっていったけど読んでないでしょう? 読んでいる人はそんなこというわけない」

「じつは以前は全部読んでましたが、最近はちょっと読まないことが・・・。あ、この本、これを(買おうかな、と手に持ち直す)」

「抗がん剤とかやってないですよね」

「やってますけど」

「あ、だめだ、それは。どっちかにしないと。両方はむりです」

「えー、ダメなんですか?」

「自分が信じるものはどちらなのか? どちらかを選ばないと、何も効きません」

「・・・・・じゃあ(買おうという寸前のものをテーブルに置く)、わたしも圧(アツ)を受けながら買うかどうかを決めるの無理だし」



とこんなかんじが、店を出るまでのてんまつにござります。


そこからしばらく歩いて、もうっじゅううぶんに店から離れたというところで、三人のおしゃべりがバクハツ。

オットが言いました。

典型的な自然療法販売に使われているおどし商法だよなあ。どちらか選びなさい。こっちをとるかあっちを捨てるか!」

友人が言いました。

「エミがこれまでどういうインタビューをしていたのか、今日わかった」


私は言いました。

「いや、全員が全員にこうだったわけじゃないけど、何十年も先生扱いされてきている人は、逆らわないで、ハイハイって聞くだけの人になれているから、ちょっと最初に怒られて最後に『こんなこと初めてしゃべった』って感謝されたことは何度かあったよ。
でも今日の大先生は、すごかったね。最初からキレてたね」

「あんなに簡単にキレていいのお、ってかんじ」

「キミが、私は私のの生き方が好きですって言ったときあの人、すごく驚いてたな」

「ほんとほんと」

「売り込みかたが露骨だった」

「熊本からきたって言ったからかも」


スピ先生のブログの波動がどんどん私とあわなくなっているとかんじて、めったにサイトを見なくなったのですが
たぶん2011年まで読んでいたから、私が軌道をのりかえたかな。
錦自然農園で植物を売るようになり、お客さんと交流するようになり、何かが変わったんでしょう。


でも、センセイのおっしゃること、目の前で話されていたことが、間違っていると思ったのは抗がん剤のところ(笑)だけで、
あとはそんなに違うとは思いませんでした。

「抗がん剤で痛みがとれたのではなく、痛み止めのおかげで痛みがとれたんじゃないですか?」と言われたとき、

「そうじゃないですよ、センセイ、医学の知識がないのに適当なこといってはいけません。私の場合、両肺の腫瘍が消えたし、マーカー値は3ヶ月で9割近く減少したし、先のことはわからないけど今日までのところ、抗がん剤の恩恵で東京までこれました。
抗がん剤やったら副作用で全員死ぬって誰の入れ知恵?」

などと話したところで意味はないと判断したのは賢いことでした(自分でいう)。

「そうじゃないです」とだけいいました。


でも、最も驚いたのは実はここです。
私は私の生き方が好きです。
そんなこと、言ったことも思ったこともないです。思ったことあるとしたら、すごく深いとこでこっそり思ってたかも。
あのセンセイが目の前にいたから、その言葉が宇宙にはじきだされて、ことだまの波動をが銀河系にひろがっていきました・・・・なんちって☆
やはり私は、センセイのファンなのかもしれないです。


ちなみに私の東京旅で、最後のバーは「東山東京」のラウンジ。
11月になったら「星子」という梅リキュールのヌーボーが出てきますからちょっと行ってみてください。
バーテンダーのデニーさんは、絶滅危惧種の渋い渋いバーテンダー。
錦自然農園のウチヌノさんの紹介で、といったところで何もでませんですが、星子は素敵においしいです。

外苑西通りにあったデニーさんの「HOWL」というバーが五輪騒動でつぶされることになったときは、
うちのイチゴを抱えて東京行きました。
バーの最後の夜に、さんざんお世話になった癒しのカウンターで飲むためだけに。

もっとこういうふうに気楽にトウキョにいこう。これからは。
抗がん剤と同じくらい東京旅はいい治療になりました。

 

キムチ、新米、お茶、紅茶、コチュジャンなどのご注文は以下でうけたまわっております。
錦自然農園フルーツストア

添加物を食べて救われた話

先日実家に帰ったときのことです。
弟(40代独身)がハウス食品製のポテトチップスを買ってきているのを見た私が、
「食べていい?」と聞きながら袋をベリっと開けましたら、
横にいた母が目をまんまるにして大きな声で言いました。
「あんたはそんなの食べる人じゃなかったのに」
え? ちょっと驚きすぎでは? と怖がりつつ
「いいじゃん、べつに」とポテチを口にいれましたら母ったら、
「ええええ~~」と奇声をあげるのです。
なんですか、この過剰な反応は・・・。

その数時間前、スーパーに母と夕食の買い物にいったとき、最近内布家でブームになっている「歌舞伎揚げ」もどきをかごにいれたときから変なかんじがしていました。
「こんなの食べると?」と母。
「これくらい食べてもいいでしょう」
「食べていいけど、あんたはそんなもの手にする人じゃなかったのに」
「そう? 食べてなかった?」
「ぜっっったいに食べてなかった」

ま、そうかもですね。
小学生のときに初めて食べたマクドナルドのまずさに驚き、以降食べることはほとんどなく、
シェークだのアイスだのも無理。十代のとき、買うだけは時々女子高生に付き合うけど、こっそり捨てている女子もどきでした。

ポテトチップスを本格的に摂取したのは熊本にきてからです。おっとが食べるので付き合いで手を伸ばしました。高校生のときはまずかったけど、それほどまずくもなくて、よく食べた時期もありました。
冷凍食品を買うようになったのも熊本にきてから。買わないで毛嫌いしてはいけない、と買いましたが、やっぱりまずいのでやめました。

そういう人間ですが、インスタント食品や加工食品が体に悪いと思っていたから買わなかったわけじゃなく、
まあすこしはそう思っていたけど、体に悪いものを厚労省が認可するわけないという気持ちもあり、食べなかった理由の大部分は自分で作ったほうがおいしいから。それがほとんどです。
ちなみに母からそういう教育は受けてないです。たまたま母とその方面の趣味があっているだけ。
残りの家族三人は玄米なんかぜったい口に入れない&ポテチ大好き派です。

話はここからです。
最近、何回も書いていますが、病気のため食欲がない時期が続いていました。

マクロビとか玄米菜食とか採用してましたが、食べたいものがなくなり、口にできた固形物は1日「ひとくち」という日もありました。
食材の規制を解除したのちも、おっとが丁寧に作ってくれるさまざまなものも、食べたくない、といってワガママにも拒否。
結局、よろよろとでも台所にたち、自分で食べたいものを探るように、自分の食べたいもの作るようになってから、食欲がすこしずつ復活していきました。

食べる→食べれない→食べる・・・数日おきにそれを繰り返していましたが、

劇的に食べるモードに転換するきっかけになったのは、
お湯で茹でるだけのパスタソースと出会ったことです。
過去に買ったこともない、典型的な添加物だらけ商品。

ところがです。
茹ですぎに限りなく近いパスタを、増粘剤でどろっとさせ、グルタミン酸をくわえてうまみをプラスしたソースで食べたら・・・

え?
最後まで完食したよ。
おっとも私もびっくり。

とてもとても久しぶりでした。
それからパスタソースをしばらく連続して食べているうちに、胃が開門したといいますか、食に対する欲望が復活したのです。
数日のうちに、なんでも食べられるようになっていきました。
一体何が起こったのかわかりませんでした。

ある本を読んで、自分の豹変の理由がやっとわかったので役にたつ人もいるかもしれないと、これを書こうと思いました。

「高齢者QOLの改善におけるうまみ調味料の利用」という研究発表(お茶の水女子大・山本茂教授/当時)がすこし前の日本栄養食糧学会で発表されたそうです。

それによると、病院の入院食におけるグルタミン酸濃度は、通常食の半分だということがわかりました。
グルタミン酸は典型的食品添加物ですから、体に悪いというイメージが強く、病院食に使われないのはわかります。

そこでグルタミン酸の不足分を食事に加える形で入院患者に与えるという実験が行われました。
ビデオ撮影による主観的評価と、血液分析の二方向で報告された結果、なんと

グルタミン酸摂取を増やした老人たちは、
認知スコア、食行動、意欲の表現などで向上がみとめられ、
血液ではリンパ球や血清亜鉛値が有意に上昇したそうです。


患者の家族による評価はもっと具体的で、「食事時間が短くなった」「味がわかるようになった」「退院したがるようになった」「表情がやさしくなった」等のポジティブな変化が続々報告されたのだとか。
なにゆえこれらの変化が起こったのかは、まだ解明されていませんが、現在グルタミン酸はアルツハイマー病の進行を遅くするのに使われているそう。

老人がグルタミン酸の摂取で元気になったように、私の復活もグルタミン酸のおかげだったのか。
グルタミン受容体は中枢神経系のシナプスに多くあり、胃と舌にもあるそうです。
体が弱っているとき、ジャンクフードだけがなぜかおいしいと感じてはいましたが、理由が不可解でした。
私にはジャンクフードに癒された過去はほぼないのですから、ノスタルジーとはいえないのです。
まさかぎりぎりの状態になった体が欲したものが、悪名高き食品添加物だったとは。
まったく思いもかけなかったことで、びっくりしました。


東大の研究者が昆布のうま味成分としてのグルタミン酸を発見したのは1908年のこと。
「うま味」という名称もそのとき誕生しました。
1909年には、グルタミン酸を構成アミノ酸として含む「小麦グルテン」を分解して、グルタミン酸を大量に製造する方法が発明され、商品化されました。それが「味の素」です。

昭和30年代、食事をおいしくする魔法の調味料として、味の素はNHKの料理番組でびしばし使われたそうです。
途中から一企業の商品名をNHKが出すのはまずいと気づき、「化学調味料」という一般名詞の名称が生まれました。

化学調味料という名前がイメージさせるのか、グルタミン酸は石油から作られていると信じている人もいるそうです。
グルタミン酸は筋肉などを構成しているたんぱく質の一種。
脳の中で1時間に700gも合成され、分解されている重要なアミノ酸のひとつです。

うま味成分としてのグルタミン酸は、サトウキビやとうもろこしの糖分を発酵させて作られています。
その意味では、麦の糖分を発酵させたビール、ぶどうの糖分を発酵させたワイン、ブランデーなどと本質は変わりません。

白い粉末にして見せられると恐ろしい薬剤のようなイメージを与えられますが、それはイメージ操作かもしれません。

おいしいかどうかでいうと、昆布でしっかりだしをとったグルタミン酸の味と、サトウキビ等から抽出したグルタミン酸の味は比べ物になりません。
添加物で味を強くした市販のキムチがおいしくないから、私は自分たちで作ろうと思いたちました。

私たちのキムチをおいしいといってくださる方もいますが、「味が薄い」といわれることもあります。
昆布と煮干しでじっくりとっただしに頼っている味は、添加物でつくる味より弱くなるのはしかたないです。
味を強めるために「いかの塩辛」を入れたいと思うときもありますが、添加物なしでそれを作るのは安全面で不安があります。
添加物なしで「いかの塩辛」の安全性を担保する方法は塩を増やすことですが、塩辛のためにあえて増塩するのはいかがなものか。結局いかの塩辛は今までのところ使っていません。
こうした試行錯誤の果てに私たちのキムチは作られています(今季は来月からですが)。
おいしいかどうかは、人それぞれ。気に入ってくださる方が求めてくださればうれしいです。

話を戻します。
本当に弱っているとき。食べることができるかどうかが生死にかかわるとき。
グルタミン酸をたくさん摂取することで元気になる可能性があるっていい話ではないですか?

ご家族が弱っているとき、認知症の入り口にいるかも、と思われるときに、グルタミン酸をたっぷり摂取できるような調理をしてあげてみてはいかがでしょう。グルタミン酸の入った鶏スープの素をいろいろな調理に使うとか。
メカニズムが未解明だとしても、試してみる価値はあると思います。

かつおのうま味成分はイノシン酸、しいたけのうみ味はグアニル酸というそうです。
カタカナにした瞬間から白い粉をイメージするのは化学に弱い私たちの宿命(?)ですが、あらゆる物質は化学名で表現できます。きゅうりだってリンゴだって化学名に分解できます。米にはヒ素も入ってます。
コンビニのおにぎりに入っているということで毒物扱いされていたグリシンも体内にあるアミノ酸の一種です。

食品の裏側をひっくり返して「アミノ酸と書いてあるならそれは危険」などと書いてあるのを読んだことがありますが、体内にもともとあるものを摂取したところで大きな問題になるのかどうか。
消化された食材は天然素材であれ加工品であれ、分子として存在するとき身分に貴賎はありません(笑)

マウスの実験でグルタミン酸が人体に悪い影響があるという研究発表が耳目を集めましたが、
「化学調味料危険論」は、現在ではWHOもFAO(国際連合食糧農業機関)もFDA(米国食品医薬品局)も否定しています。

もちろん量がすぎればなんだって毒になるのはあたりまえです。

量がすぎれば醤油でも塩でもバターでも水でもどんな物質でも、人を殺せる毒になります。致死量まで飲むことが想定されてないだけで。

グルタミン酸の場合、量が多すぎるとひどい味になってしまい食べられたものではないそうで、悪徳業者がいれすぎたのを食べる人が気づかないということはまずなさそうです。



というわけで、私は最近これまでに食べなかったものに近づいております。

マクドナルドにも「人生で3回目」だという母と一緒にいきまして、新製品のなんとか、というのがおいしかったです。
よりおいしいのはオーヴォンビュータンやピエールエルメにきまっていますが、スーパーで買う150円のクッキーもおいしいです。
母の食の趣味には賛同していますが、安いせんべいを一枚かじるたびに驚きの目を向けるのはやめてほしいです。


※参考文献 『長村教授の正しい添加物講義』(長村洋一著 ウェッジ)



無添加のキムチ、コチュジャン、新米、お茶は
錦自然農園フルーツストア

「治療は医者と患者の共同作業である」 by 押川先生

定期的な「ヤク注入」のために宮崎の病院に行ってきました。
治療後は薬剤の影響で眠くなるので自分で運転ができず、毎回おっとの貴重な(!)一日を奪って運転させ、朝7時出発、夜に近い夕方に帰宅しています。

点滴しながらふたりで食べるためのお弁当を、塗りのお重につめて病院に持参しています。
昨日はおっと作の肉じゃがをメインに卵焼き、きゅうりの和え物、らっきょう、うめぼし、たくわん、おにぎり、柿をいれて。

血液チェックでは過去最高にいい数値でした。

病気になるうーんと前から、強度に貧血でたんぱく質も低いのが私のあたりまえでしたが、今では十分に高い数値。
一生懸命、肉を食べてるせいかな。鉄剤はとっくに止めてます。
白血球も人並み。肝臓系の数値も良好。

「あなたより数値がいいんじゃない?」なんてオットにじまんたらしく言いながら診察室をあとにしました。

<診察室での会話>

「心配する理由が何もないです」

私「来週から東京いくんですけど、毎日スケジュールぎっしりで。こんな生活ながらくしてないので、ちょっと心配」
押川先生「(データ見ながら)心配する理由がなにもないですね」
私「そうですね。そうなんだけど・・・」
押「ま、ものすごく悪くなったらとりあえずエチゾラム飲んでみてください」
私「ああ、その手でいけますか」
押「やってみるということですね」
私「(まだ心配)」


「いい思い出作ってください」

押川先生「がん治療というのはいいときもあれば悪いときもある。これまでがんばったから今の調子のよさがあるわけで。
悪いときにいいときのこと思い出して力にするためにも、元気なときにいい思い出をたくさんつくっておいてください」

(診察室を出て)

私「押川先生ったら、そこまで言わなくてもいいじゃんね~」
夫「そういう意味じゃないよ。いいときも悪いときもあるんだから、元気なときは元気なことを一生懸命たのしんで、悪いときはよかったときのことを思い出して、あんなふうになりたい、早く治りたいって思うことで、また養生に力が入るっていう意味だよ」

なるほど! やっぱり私は、ヒガミっぽくなってるんですね。
コミュニケーションの行き違いが医療現場でいっぱい起こっているのは、患者と患者家族ならではの潜在的な負け犬感(私だけかもしれませんが)を加味して医療者が話してくれないからというのもあるかも。望みすぎかしら。

「横ばいですね」

私「あ、腫瘍マーカーはどうですか」
押川先生「ああ(←毎回催促しないと教えてくれない)これですね」
私「(身をのりだして凝視してから)いいじゃないですか~」
押「横ばいですね」
私「横ばいって、こんな底辺で横ばってるならいいってことでしょう」
押「ま、そうともいえますかね」

※あまり知られてないことですが、腫瘍マーカーは腫瘍が小さくなっても数値が高くなったり、腫瘍が大きくなっていても数値が小さくなったり、人によって出方が違うのでおおざっぱな目安にしかなりません。
しかし、CTなどの画像に比べて素人でもわかりやすいため、私のようにマーカー値に一喜一憂する患者が多く、それは場合によっては治癒のさまたげになるので、押川先生はぜったい腫瘍マーカーを自分から教えません。

体調記録グラフ

押「(私の提出した「体調記録グラフ」を見ながら)今回は体調に問題がなかったみたいですね」
私「そうなんです。イリノテカンやめたおかげとスインプロイク飲んだおかげで。でもちょっと最後のほうお通じ悪くなりました」
押「それでもピコサルファートは飲んでない(記録を見ながら)。よっぽど悪い記憶があるんですね」
私「そうなんです~。でも悪いといっても出てないわけじゃないから。ほら見てください(記録をさし示して)」
押「出なくなる前に予兆を感じた段階で飲んでみる、試してみる、というのが大事なんですよ。試してみると、ひとつ結果が出て、次の指針になるじゃないですか。結果がどう出ても、試したことは無駄になりません」
私「次からそうします(毎回言っているがしてない)」
押「それにしても、調子がいいとグラフの書き方が雑になりますね」
私「あらそんなことないです。項目は同じです。特記すべきことがなかっただけです」

※体調記録グラフとは、先生に毎日の日記をつけるようにいわれて、日々の体重、お通じ、痛み、食欲、体調、薬などを記録し、それをグラフ&表化したもの。受診のたびに持参している。


もっと医者に伝えないと

私「ちょっと関係ない話していいですか」
押「どうぞ」
私「友人のPさんのことですが、副作用の吐き気が止まらないらしいんです。先生前に言ってたでしょう。今は吐き気を抑えるいい薬が開発されているから、抗がん剤の副作用で吐き気できついというのはありえないって。どうして彼女のは止まらないんですか?」
押「主治医とちゃんとコミュニケーションしてないんじゃないですかねえ。どれだけ自分がきついか伝わってないんだと思いますよ」
私「そんなことないですよ。点滴で吐き気を抑える薬とか入れてるそうだし、でもだめみたい」
押「つまり伝わってないんです。(彼女にも)口で言うだけじゃなくて、記録をとって医者に伝えるようにとは言ったんですけどね。医者は言うだけじゃ伝わりませんよ。オランザピンを使えばいいんじゃないですかね。これが効かないなら脳の転移を疑ったほうがいいかもしれない」
私「えー。そこまでいってたらいくらなんでも主治医にはわかるでしょ」
押「わかりませんよ。患者がちゃんと伝えることを全部伝えて、それから医者が動くんですから」

※友人Pさんの副作用は抗がん剤のではなく放射線によるものであったとあとでわかりました。その場合、オランザピンは使えないのでした。

<診察室の外で>

もっと医者に伝えるために

押川先生と出会って5ヶ月。「病気治しは医者と患者の共同作業」であることをマンツーマンで教育されております。
とってもラッキーです。

先生がいうには、患者側がすべきことは主に以下の2点。

①患者の状態を正確にあまさず伝える。伝えたつもり、にならないように「文章化」「紙に書く」が大切。
②ネットなどで新薬の販売開始情報などを得ることができるので、自分の薬は自分でみつけるつもりで、正しい情報を取得し、医師に提案する。そのためにも自分の使っている薬剤を正しく把握しておく。


①について、まず忘れてはならないのは、口で言ったから医療者に伝わったと考えるのは患者の傲慢である、ということ。

私が何度言っても忘れてる、または誤解されてるまま、ってこと、押川先生にもありました。
こういう病気にはこういう症状っていうのが頭にあり、その前例の中から私の話にあう部分を抽出しようとする聴取のクセが、失礼ですが医者側にあるのではないかと想像します。

そういうことは全医師にあると思ったほうがいいのかもしれない。たぶんそうです。
先生から教わった方法をこのたび、実母にも実行しました。
つまり、母が通っている大病院の主治医にお手紙を出したのです。

母が診察室で主治医に、言うべきことを言ってないことがわかったので、「これをいいなさい」とメモ書きを渡しました。
しかし、待てよ。押川先生は「手紙がいい」と言ってたな。と思い出して母に渡したメモ書きを没収。
母の病院の主治医あてに手紙を書いて、投函しました。

「手紙が送られてくると医者も無視できません。カルテにファイリングされるし、次に診察日までにその情報から医者側に準備できることがあるかもしれません」

手紙なんて書いたら忙しい先生からうざいと思われるかも、と思う必要はないみたいです。

「むしろ、この患者(の家族)はしっかり勉強しているから、こちらもちゃんと対応しなければって対応が変わる効果があります」


病院のPCからメールが発信されることはないようですから(ネット事故を防ぐため)、メールアドレスより携帯電話番号を書いておくとよいかもです。
私は母が以前がんになり、同じ大病院のお世話になったとき、説明を受ける機会にはすべて出席しました。

私の質問が治療法の細部にわたり、おまけにしつこいせいでしょうか。主治医は二回目から「娘さんがこれる日」にアポをいれるようにしてくれました。母からでなく、先生から直接都合を聞く電話をもらったことも。

自分のことだとここまでしつこく質問できないのです。
なぜでしょうね。自分のことだと頭がぼーっとして冷静さに欠けるのかも。論理より感情に支配される気もします。
母のことだと、どこまでも冷静に対処出来るのが不思議です。
「医療関係者ですか」と聞かれました。「医療本の執筆をしていただけです」と答えました。

退院しても定期ちぇっくに母は通っていました。3年後、その主治医が病院を辞めることになり、それを母に伝える際に、
「娘さんによろしくお伝えください」と言ってくださったそう。
コミュニケーションできてたのねと思いました。

ちなみにおっとは私がいくらぼーっとしていても、この2年、いっさい医師に説明を求めたり質問したりしません。
病院とは黙って話をきくところ、黙ってうなずく、受け入れるところ、と思っているのかも。
そもそも誰が相手でもしゃべる言葉数が極少ですけど。
「あんたもしゃべろ!」といっかい私が診察室の外でキレれたので、一言だけ発言したことがありましたっけ。
しゃべらないけど私以上に注意深く後ろで聞いてくれて、解釈の補足をしてくれる役割なんだと、最近気づきました。


ところで。
今日はわたしの手術記念日。がん患者という新しいステイタスで人生を生きるようになってまる2年たちました。
シャンパン抜いてお祝いだ~~~! 嘘です。


押川先生が月に一度東京でやっている公開セカンドオピニオンライブ!
ハイパーサーミア詐欺にあっている奥さんのためにご主人が相談に!
何分からかわかりません
↑をクリック。またはhttps://www.youtube.com/watch?v=Svy1Z6siMmk&feature=youtu.beをコピペ。
みなさんディープに勉強されていて、説明のしかたが知的で、東京のひとは頭がいいなーと感心させられます。

※ハイパーサーミアとはだいぶ前に保険認可されたものの効果を得た患者は少なく、この療法を詐欺まがいのおどし商法でがん治療に用いる医師が多いため、そろそろ保険認可も取り下げられるんじゃないか、と一部でいわれている温熱療法のこと。


小川さんのお米もいよいよ新米に変わりました
錦自然農園フルーツストア

野菜のもんだい

2018Mar4_4.jpg
里芋は無農薬・有機栽培のものを販売予定です。


野菜セットの販売をやめることで、ご愛顧いただいてきたお客様にはたいへんご迷惑をおかけしましたが、
やめたことで迷惑をこうむっているのは私もおなじです。

野菜セットをやめたせいで自分たちの食べる野菜も、スーパー等で買うことがほとんどになりました。
(すこしは畑で作っているんですけど)
そうすると、おいしい野菜にめったに出会えないということに改めて気づいて、困り果てています。
ご近所なんだからちょっと足をのばして、かつて選び抜いてお客さんにお送りしていた野菜の生産者さんを訪ねて、野菜を売ってもらえばいいのに、と思うものの・・・そのちょっとの手間を日常のスケジュールに組み込むことができなくて、結局スーパーで買うことになっています。

いっちゃなんですが、普通の野菜っておいしくない。
ご近所にお住まいで、うちの野菜セットをご愛顧いただいていた人から
「もーほんとに困ってるんですから!」と抗議されたことがありました(笑)。

「無農薬野菜を買いたいんです。どうすればいいんですか?」
「道の駅とかスーパーでも無農薬の野菜出してる人いるから連絡先と名前を教えるから買いにいくというのはどうですか」
「売ってくれるんですか?」
「それはもう、個人的な関係をつくっていくしかない。面倒くさいことさせてすみません、と思いながらやってたのは私も同じです」

「一ケ所の農家にまとめて送ってくれるように頼む方法はあるけど、それはいやなんですよね」
「無農薬とかってたいてい高いじゃないですか。送料が加わるとまた・・・」

「無農薬じゃないとダメですか? うちのセットも無農薬ではなかったですよ。ご存知でしょうけど」
「うーん、そうですけど、えみこさんのはえみこさんが選んだから大丈夫って思えたけど、自分ではできないから、無農薬のなら大丈夫かなと」

「私は農薬を使うかどうかより、肥料を使いすぎてないかを一番大事にしてましたけどね。
農薬は洗えば落ちる場合がほとんどだし、皮むけばすむ、というものも多いけど、肥料は洗っても落ちないから。
化学肥料がぜったい悪だとも私は思ってないけど、使いすぎは味に出ます。
化学肥料使わないからいいと思って、動物性堆肥を使いすぎの人もいますから。そっちもこわい。
肥料使いすぎの味ってあるから、それを覚えておくといいと思いますよ」

「私にわかるかな」

「なんだか大きすぎるとか、なんだか緑すぎるとか、なんだか苦いとか。おいしい野菜との味くらべをするとわかる。
無農薬だけど堆肥をやりすぎている農家もあるから。無農薬ばっかり気にしていると、だめかも」

「むずかしい~」

「とにかく雨量が多いし台風が多いし、日本みたいな亜熱帯の国で農薬使わないで野菜作るのがそもそもハードル高すぎるんですよ。私、無農薬の大豆でお味噌作ってたけど、今年はいつも頼んでいる農家が二軒とも不作で、大豆売ってもらえなかった。
結局ネットで無農薬のを探して大豆買いましたけど。

温暖化してるというのは陰謀で、風評だと言う人いますけどね、年々温暖化してるって農家は全員思ってるんじゃないかな。
激しく熱帯化していく気候風土で農業するだけでたいへんなのに、虫食いも病気もないきれいなもの作らないと値引きさせられるし、あんまり無農薬無農薬って攻め立ててると、無農薬ならいいんでしょって遺伝子組み換えて無農薬作物つくるようになってしまう。農薬使わなくても虫もつかない、病気にもならない作物ができるようにタネを遺伝子操作すればいいんでしょ?って」

「やあだ~~」

「適度に農薬使ってください、必要ならば使ってください、って姿勢でいいんじゃないのかなって思うんですよ」

「そうはいっても、無駄なこだわりかもしれないけど、こだわりたくなるんですよ」

「有機JASだって無農薬じゃないのは知ってるでしょ?」

「そうなんですか?」

「有機JASでも使っていい化学農薬はたくさんありますよ。だからうちの野菜リストには「無農薬」「有機JAS」「低農薬」という区分けで野菜送るときにつけるリストに書いてましたよ」

「そうか・・・」

「有機JASは農薬使ってない場合もあるし、農薬使っている場合もあります」

「うーーん」

「よくネットなんかでアメリカは無農薬が進んでいるのに、日本は無農薬が進まないからダメだ、とかあおっているサイトがあるけど」

「はい」

「アメリカのオーガニック認証だって、使っていい農薬があってそれを使いながらオーガニックしてるわけで、みんながみんな無農薬って意味じゃないですよ」

「そうなんだ」

「去年アメリカのセドナに行ったときに、オーガニック農家ばかり出店している週末のマルシェにいって、一軒を選んで畑見学させてもらいに行ったんです。
新規就農した若い男性で、ひとりでオーガニックにこだわって野菜を作っているんだけど、やはり彼も、無農薬では作ってないって言ってました。オーガニックの認証のとるのに使っていい農薬を選んで使っていると」

「無農薬とオーガニックは同じじゃないってことですか?」

「もちろん同じじゃないですよ。オーガニックってなんなのか、その答えは人によって団体によって違いますよ。
オーガニックコットンは無農薬綿花の割合がたったの5%でもオーガニックコットンっていえるのは知ってますよね」

「しりません」

「農薬使わないで生活なりたつ農業をすることが比較的しやすいのは稲作ですけど、それは稲作が日本の風土にあっているからで、野菜はそうじゃないですもんね。品種改良をかさねて研究室で作られている作物の多くは、つまり市販されているほとんどの野菜は、農薬使うことを前提にしているんですよ。

そうじゃない日本で古くから作られている野菜をよく若い農家が作ってますね。それを買った人が「おいしくない」って言うことが多いそうですよ。品種改良のベクトルは、虫害や病気に強いようにとかもあるけど、より食味がよいように進化していきますからね。食べなれてないものをおいしくないという人多いですよね。そんなこと言わなくてもいいのにね。せっかく苦労して作ってるのに」

「けっきょく・・・・自分で食の基準つくったほうがいいですね」

「そうですそうです。農薬だけじゃなく。

添加物がダメとか砂糖がダメとかいったって、そんな生活無理でしょ。添加物があるおかげで食べられる、普及している食品はいっぱいありますし、砂糖は調味料とかお菓子以外にも、いろんなものに入ってる。

無農薬の砂糖を使ってますか、とお客さんに聞かれたことありますけど、無農薬の砂糖は高価だから商品の価格をうんと高い値段にしないとウチは使えない。無農薬の砂糖なんて高すぎて日常に使い続けるの無理だし、わたしは自分の日常に使わないものを農園の加工品に使わないですね。

そういう質問をするひとに、パンもお菓子もビールも日本酒もみりんもワインも無農薬の素材オンリーですか?っておたずねして、もっとお話聞かせてもらいたくなるけど、そういう取材モードは最近控えてるんで(笑) 」

「てんさい糖ならいいんでしょ?」

「農薬使ってないって? なんでそう思うのかわからないんですけど。てんさいは北海道で作っているし、ホクレンだし、農薬使って作っていると考えるのが普通だと思いますけど。電話して聞いてみたらどうですか? 最近は北海道も温暖化してるし、寒いわ暑いわで農薬使う量は全体に増えているんじゃないかと想像しますけど。

さとうきびも農薬使ってないと思っている人多いけど、普通は使ってると思います。電話して聞いたわけじゃないですけど」

「えみこさんはどういう野菜がいいんですか」

「おいしい野菜です。私の場合、農薬も肥料も使わないで作ったものをおいしいと感じることが多いから、そういう野菜が欲しいです。でも結局作るしかないかあと思い始めているところです」

「作って売ってください」

「いや、それは無理です。うちが大根つくるから、そっちはにんじんつくって、とかみんなで違うものつくって提供しあうのがいいんじゃないですかね」

「アイデアはいいけど、わたし作れない」

「わたしもです。実母が庭に作っているピーマンや南高梅は農薬使わなくてもとってもきれいにできるんですけど、うちは全然ダメ。カメムシにピーマンはやられるし、梅はきれいじゃない。たぶん場所が向いている、いないがあるんですね。カメムシのたまり場が近くにあるとか、湿気のたまり場に梅の木があるとか」


無農薬にこだわって、失敗しても、なんとかできた小量を、無農薬が好きな人に買っていただくという方法もありだけど・・・すこしだけ農薬使えばもっとたくさんの人に食べてもらえるなら使ったほうがいいと思うのが錦自然農園の考え方です。

だってそのほうが楽しいから。太秋柿は無農薬・無肥料に挑むことが楽しかった。でもこれをウチが続けても意味ないな、と確信できたので来年から農薬と肥料を復活させます。

うちの桃はすこしだけ農薬を使っているけど、周囲の人から果樹だから農薬使ってもしょうがないといわれます。果樹は特別だと。でも、そうかなあと思います。野菜だって米だって、難しいし、苦労してるし、すこし農薬使ったからといってどういう問題があるわけじゃないのもいっしょ。苦労もいっしょ。おいしいも一緒。なんにせよ問題は「使いすぎること」。
欲でふくらんだ作物がもつ肥料の味っていうのがあります。

まごころを注いで、おいしい野菜を作ってくれる人にはそれ相応のリスペクトを価格に反映させていかないと、ほんとに食べるものがなくなってしまったときに慌てても遅いですよね。

わかっているんですが・・・・・・。


参考にしてください

★有機JASで使っていい農薬や肥料を掲載
www.maff.go.jp/j/jas/jas_kikaku/pdf/hajimete-2601.pdf

★地球は温暖化してないというひとを論破できます、というひとのお話を書いてくれている「ほんもののたべもの日記」
https://hontabe.blog.fc2.com/blog-entry-637.html



でも最後に↓をくりっく。無農薬の米も、低農薬の米も販売中。両方おいしいお米です
錦自然農園フルーツストア

「おかーさん、それは頭わるいんじゃないの」

いきなりなタイトルですが、先日母にこういうことを言ったというおはなしです。

実家に帰った日は福岡の中央区を都会ならではの寄り道をたのしみながら歩き、
翌日は実家ちかくで住宅街ならではの寄り道をたのしみながら歩き、最後によったケーキ屋さんでは思いがけず親切なサービスもしていただき・・・。

この二日間は今年最も長く歩いたうえ、連日おいしいものを食べた幸せもプラスされて、幸せが身からあふれてこぼれて困るくらいでした。

とそこへ母(81歳)が、

「あーたのしかったね。やっぱり歩くのはいいね」と言ったので

「うんそーね。毎日歩けばいいよね」と言いましたら

「うーーん、あんたとしゃべりながら歩くならどんだけ歩いても疲れんけどひとりで歩いてもつまらんもーん」

というのでした。

え? つまらん? そんなこという?

わたしの説教スイッチがしずかにオンされました。


「ちょっと、おかあさん。つまらんてことはないでしょう。つまらんってことは。

お母さんが昨日3時間歩いて、今日も2時間近く歩けるって、これがどれだけ恵まれているかわかる?
世の中には30分でも、いや10分でもいいから外を歩きたいと思いながら寝たきりの人がどれだけおるか。
お母さんはただ運がいいだけで、今日歩くことができたんだから。それはものすごくありがたいことなんだから」

「そうねえ。そういうふうに思ったほうがいいんやろうねえ」

は?
私の説教スイッチ、パワー強へ!


「思ったほうがいいって、それはつまり思ってないってことよね?
思ってないっていうか、わかってないってことよね?
それはお母さん、めちゃ頭悪いんじゃないの?

●●さん(83歳)は朝の散歩してただけで近所の犬にとびかかられて腰から転んで、以降の人生、ずーっと腰が痛くて長く歩けなくて、犬と犬の飼い主をうらんでるんだから。
お母さんがそんな目にあわなかったのは、運がよかっただけよ。

バスに乗ってただけで、窓から火炎瓶放り込まれて死んでしまう人とか、
隣近所にヘンタイが住んでいただけで切り殺された人とか、
運ひとつでどんなことも起こるのに、お母さんは自分がひとりで歩けること、1時間でも2時間でもお散歩できることがどれだけ恵まれているかわかってないってこと?

がんになるのは天からやりが降って来た場所に、たまたまそこにいたからあたってしまったようなものだ、という人がいるけどね、わたしはたまたまそこを歩いていた人だからね。

ちょっとのずれで人生にはなんだって起こるのに、今日お母さんが元気なのは、誰かがお母さんを守ってくれてるからなのに、ものすごくありがたいことなのに、それをまあ、なんと、お母さんは、ありがたいと思ったほうがいいんやろうねえと言うわけ?
それってお母さんはものすごくバカってことじゃないの?」

ちょっとだけ黙っていた母が言いました。

「坂道をねえ、このあいだ自転車のブレーキがこわれてそのままいって、壁にぶつかって止まったのに怪我ひとつせんかった・・・」

「ほら。そういうことの繰り返しでお母さんの今日はあるわけよ。天神まで歩いてデパ地下でアイスクリーム食べて帰ってこれるわけよ。自分がどれだけありがたいものをいっぱいもらってるか。わかる?」

「わかりました」

「わかった? ほんとに? お母さんは恵まれてるんだからね」

「そうかねえ・・・・恵まれとるとは思ったことないけど」

「まだ言うか。・・・・だいたいねえ、わたしのお父さんはガミガミうるさい面倒なお父さんだけど、あなたのお父さんは穏やかでみんなに好かれるいいお父さんだったでしょうが。それだけで人生がどれだけ違うか」

「それはそうね」

そこで納得するな!


がんになると幸せになる、とは多くの人が言うところですが、こういうことなんだと思います。
とくに私の場合は、すんごくつらい時期を経由して、今日こんなふうにQOL(生活の質)高く暮らせているので、散歩するのも掃除するのもおっとの横に座ってテレビを見られることも、

うおおお、しあわせだあああああ

と思ったりしてます。
べつにつらい時期が過去のものになったわけではなく、いつそれがまたやってくるか、明日の保障はない世界です。
それは病気をもっていようがいまいが、誰でも同じはずなのですが、わたしの場合は保障なき世界で事なきを得ているしあわせに敏感、いえ過敏になっておりますゆえ、1日の終わりに日記をつけるとき、ありがたさに打ちのめされることがあります。


がん患者でしあわせを感じている人って多いのですが、嘘でも無理してるのでもなくこういうこと。
人のことは知らないですが。



無農薬の新米、お茶、紅茶、キムチなどのご注文うけたまわり中!
錦自然農園フルーツストア

ただいまの食事療法

周囲から「元気になった」と目を丸くされることが続いています。

抗がん剤の中でも副作用がちょっときついイリノテカンを今回は抜いてもらったせいでしょうか。
はたまたオキシコンチンの副作用の便秘対応の薬をはじめて使ったせいか。
その薬は、2017年から販売開始されたそう。
新薬は副作用が強くでる可能性もあるそうで、ちょっと心配でしたが大丈夫でした。
もともと薬に対する嫌悪感が強く、ほとんど信頼感をもったことがない人でしたが、最近は薬に助けられることが続き、嫌悪感なんてとんでもない。薬に救われる経験をしないと感覚は変わりませんですね。

というわけで2018年になって一番元気な今日このごろです。
おとといは福岡の実家に帰りまして、大濠公園から天神まで歩きました。
ん? 意味不明ですか。代官山から渋谷まで歩くより長い距離歩いたってことですよ。もっと意味不明ですかね。
81歳の母とふたり、水炊きの名店でおいしい鶏料理にまんぷくし、テーラーメイドの帽子屋さんでお買い物し、親戚の事務所にお邪魔して、ゆっくりゆらゆらお散歩を楽しみました。
こんなに長時間歩いたのはセドナ以来でした。
二人とも熟睡できないほうなんですが、その日は朝まで完全熟睡した!
「歩くってすごいね」と朝ふたりで感心してました。

まず歩く→おなかがすくから食べる→動きたくなるからもっと歩く→眠れる

このサイクル重要ですね。

5分も歩けないとか、そもそも外に出る体力がないとか、そういうどん底の時期が今年の前半。
5月半ばすぎにはじめた薬のおかげでついにここまで!

薬に全面依存してますので、薬をやめたらひょろろんと元通りに弱ってしまう可能性は大ですが、
薬のおかげで食事ができるようになり、食事のおかげで筋肉がついてきたおかげで得られた今日のげんきです。

主治医の押川先生は、「油でもいいからカロリーの高いものをとれ」という考え。
そうやって栄養状態をよくすれば、薬のききがよくなり、副作用が弱くなるそうです。
たんぱく質もヘモグロビンも白血球も健康な人なみなのは、油のんでるわけじゃないですが、「とにかくカロリー」主義で食に必死で
くらいついた(どういう表現だ)成果かもしれません。

何も食べたくない、食べれない、という時期に、マクロビオティックだの玄米菜食だのをしたのは無謀でした。
食べれないのに食事制限していると、一日に「ひとくち」しか食べられない、という悲惨な日々になってしまいます。
食べれない自分でごめんなさい、と暗くなりながらおっとが用意してくれるものを全部のこす・・・・


こんなのまちがっとる!!
と気づいていろいろな制限をはずしました

まず

チーズなら食べられる

と気づいて乳製品OKに

玄米も白米もダメだけどパスタは食べられる

と気づいて小麦粉ざんまいへ

パンも全粒粉とかダメ、くるみ入りとかダメでした

白くてふわふわした食パンが食べられる

何にも入らないときに胃が受け付けてくれるのは
オレンジジュースだったので
最初は「なんだこの天然もどきのまずさは」と拒絶したけど、一日たったら、やっぱりこれしか胃がいれてくれないわ、とオレンジジュースを毎日飲むように。
大腸ダメな人はジュース厳禁、ってセツもあるんですけどね

オレンジジュースが開いてくれた胃が受け付けるのはプリンだけだったりする日も多かった。
あと森永のクッキーだけが入る、という日も。
そうして、もともと甘いものへの愛着が薄いのですが毎日お菓子を(駄菓子系を)食べるように。
食べられるのはクッキーだけ、って日もけっこうありました。

パスタソースはこの人生、百%自分でつくっていましたが、今回の食欲不振に際しては手作りよりもすでに加工された、温めるだけになっているソースじゃないと食べたくない! ってこともありました。
パッケージされた、お湯にいれたら食べられるソースを何食も食べました
せっかくオットが作ってくれるトマトから作ったソースなのに、「食べたくない」と拒否したことも。

そういうふうにして、食べたいものは何かと一つずつさぐっていって、
食べたくない、食事はいらない、となりがちな自分を、食にむかわせていったんでした。

3日間オレンジジュースだけでもおなかすかないって自分でも不気味でした。ふらふらしながらトイレいくんです。
いやですよね。体は食べないとすぐ弱る。

それでもチーズが入るようになったらすこし違う。
パンに雪印のプロセスチーズを厚切りに切ってはさんで、フライパンにバターをおとして上下を焼くチーズサンドは、幼いときに母がよく作ってくれた「健康によいと母が信じているおやつ」でしたが、40年ぶりくらいにそれを自分でつくって食べて・・・

「これなら食べられる」と何日も連続で食べてました。

がん患者に推奨される食事の本をよむと、なるべく無農薬の野菜、とか書いてありますが、そういう「左脳」で考える食事は私の弱った食欲が跳ね返すのです。

「添加物を食べないように」とかも跳ね返しますね。頭で食事するの無理でした。

もともと添加物を嫌悪するとか、無農薬へのこだわりとかはまったくないのですが。

でも牛乳は飲まないようにしてから数年たっていました。
いまは飲みます。
牛乳は体に悪いという考えに不信感を抱くにいたっております。


今、ようやく何でも食べられるようになったので、
ただいまの食事療法の方針は、
おいしいものしか食べないようにしよう、です。


もうオレンジジュースもプリンも温めるだけのパスタソースもいらないですが、弱りきったときに助けてもらった恩は忘れません!


それにしても私はついてます。
薬たって抗がん剤は何百もあるのに、いくつかの選択肢からワタシにはこれだ、と選んでいただき、それが功を奏しているのは、とてもラッキーです。やってみないと効くか効かないかわからないんだから。

ラッキーといえば、今日は福岡からの帰り道、美術館で長谷川利行展を見たあと、最寄の高速バスのバス停でバスを待ったのですが、予約もせず時刻表もみずタクシーでかけつけたのに、二時間に一本しかないバスが15分遅延したおかげでワタシの到着の3分後にやってきた。
そして予約もしてないのに最後の一席があいてたおかげで乗せてもらえた。

それに気がついたとき、ラッキーすぎる自分に気づいたとき、心臓がしばらくドキドキして止まりませんでした。

こんなことで運を使うのは運の無駄遣いというのだろうか。。。
私はいつも運がよいのだぞってふんぞり返っていていいのかな、とか考えてしまった



新堀さんのお米、新米にきりかわってます。小川さんのお米は来週からの予定。
錦自然農園フルーツストア

断食でがんが治る?

がんになったら断食で治そう。そう思っているヒトはけっこういるような気がします。
主に「抗がん剤なんかぜったい使わない」と思っている人に多いのではないでしょうか。

自然療法の中でも手が出しやすい療法のひとつ。
施設で医師のもとで行わないと危険で、ときに死に至ることもありますが、注意事項さえわかっていればできそうな気がするし。
デトックスやダイエットという人気の概念にもつながって、昔ほどいかがわしいイメージはないよう。

私自身が断食に初めて触れたのは、20年前、新潮社の「シンラ」という雑誌で取材したとき。
自分では断食をしませんでした。仕事が忙しかったのでとても一週間も施設にこもるなんて考えられなかった。もったいないことでした。
その後ニューヨークに住んでいる時期にコロラドあたりだったかホリスティック医療を標榜する施設に予約をいれたことがありましたが、やはり仕事の都合でドタキャンしたのでした。興味津々なのに、縁がありそうでないのはどこかで逃げているのかな。

私が断食に興味をもった理由は単純で、肉体を限界まで弱らせたときに出てくる神秘的な何かに期待したからです。

そのアイデアはどこから来たかというと、20年以上前、越智啓子先生が吉祥寺の井の頭公園の近くに精神科のクリニックを構えていたころ、雑誌の連載で定期的にクリニックにお邪魔していたのですが、私はそこで先生の非常に神秘的な断食経験を直接うかがい、断食への興味が突如ひらかれたのでした。

とはいっても、施設での断食経験は今もってないままです。
がん治療のために断食をやってみようと思ったのは昨年9月でした。
抗がん剤以外にできることはないと病院にいわれ、抗がん剤は副作用の強さに負けて逃亡した経緯から自分には無理だと決めてかかっていた時期です。実際には病院を変え、抗がん剤を変えたら、副作用は格段に楽になり、腫瘍マーカーは3ヶ月で8割以上激減したのですが。

当時の私にとって、できるることが他にないと病院に言われれば残るは自然療法しかなく、手が出しやすい順にいろいろやっていくなかででてきたメニューのひとつでした。まずは3日断食にチャレンジ。結果次第ではアップグレイドもありだとと思いながら。

で、結果はというと大失敗。
すでに十分弱っている、貧血も進んでいるからだで断食をすると、空腹はそれほど感じないのですが、体の弱り方がいちじるしい。こんなにだるいのはおかしいと、怖さを感じてやめました。
やめたあと、体が復調するのに4、5日かかりました。だるい、きつい、寝てるしかない。馬鹿なことをしたものです。
断食に思いいれが強すぎなくてよかったけれど、これを1週間や10日続けていたらどれだけからだにダメージを与えたか。
断食は健康なうちにするものです。

がんが悪化すると、食事がとれなくなるだけでなく、食事がとれていても痩せていく人がいます。疼痛があれば(私はありました)寝ている時間がおのずと長くなり、寝ている時間が増えると3日もあれば筋肉が落ちていくのがわかります。 
栄養状態が悪くなるのががんの悪化のプロセスです。栄養状態の悪さにどこまで対処できるかが、がん治療のポイントになるくらいなのに(対処できる病院は多くありません)、断食であえて栄養状態を悪くしてしまうのは、非常に危険な賭けになります。 

そうしたことが知られてないせいともいえますが、断食でがんを治すという考え方は、世間でけっこう人気があります。
いったいなぜなのでしょう。

病院の治療と正反対の場所に位置するから?
つまり、体ひとつで道具も費用もいらず、いつでも誰でもはじめることができるから? 
理論、理屈がシンプルだから? 

「断食は体が本来持っている自然治癒力を引き出す」
自然療法のほとんどのものは、「自然治癒力を引き出す」という説明がされます。

自然治癒力とはなにか? 転んですりむいても、ツバつけとけば治る、というやつです。
あ、違う? 現代医学の力を使わなくても病気が治るって話でしたか?

でも、おかしいですよね。
1950年より前には飢えて死ぬ人が日本を含め世界中に大勢いました。
断食を勇断しなくても、飢えて病気を悪化させ、死に至る人は珍しくありませんでした。
人類は発生以来、ずっと飢え続けていたのです。
しかし飢えは病気に立ち向かう方法になりえなかった。

断食は、飽食の時代だからこそ人の耳目を集めることができる、おもしろい物語にすぎません。
もし断食が療法として有効なら、飢える人の多いアフリカで医療の代わりに推進すればいいのにと思いませんか。

同じことで、菜食や自然塩の大量摂取や運動、都市的生活のストレスを取ることで病気が治るなら、20世紀より前に病気など存在できないことになってしまいます。


「断食」と「がん治療」で検索してみましたら、トップページにいち早くでてきたのがこのウエブサイトでした。

たいへん読みにくい文章ですが、書かれていることは「マウスを対象にして各種研究が行われている」「絶食は抗がん剤の副作用を軽減する可能性がある」というだけのようです。
にもかかわらずタイトルが「絶食は抗がん剤よりも効果的である」とは。
読解力がないのか? いえ、そうではないでしょう。こういうのを「つり」というのですね。

こうしたあからさまなショウバイ気は、「治癒よりビジネス」に重きをおくクリニックであることを露見していますが、それによるデメリットが問題視されていないのが不思議です。


断食ががん治療に有効だと多くの人が信じはじめたのは、ここ十年くらいのことだと思います。

酵素がちまたで有名になったことと関連がありそうです。
断食中に酵素を飲むことを勧める医師が複数いるのです。
酵素ったって家庭で作るアレじゃないですよ。メーカーが作った商品の購入を勧めているのですね。

酵素を有名にするの貢献した医師のひとり、鶴見隆史という医師には、『断食でがんは治る』 (双葉新書)という著書もあります。
がんに関する本にしばしば見られることですが、
非常にまれな治癒例を出して「治る」と言い切る本です
鶴見氏のクリニックはこちらです。

もう一方、 「断食でがんが治る」を推進して大きなムーブメントをつくったと思われるのは、ムラキテルミ氏。

こちらの場合は医師でないため、彼女が使っている有名断食医師の名前は、石原結實氏。
石原氏の断食施設のウエブサイトは最近刷新されたようですが、すこし前まで「ジュース断食でがんは治りません」という文言が躍っていました。「がんはがんの治療で治してください」というような言葉も。

ムラキ氏の自著『ガンは自宅で治す』(KKロングセラーズ)は不思議な本です。
私にとって不思議なのは以下のような箇所です。

●腫瘍マーカーが60を超え、「がんに間違いない」といわれた

そんな医師がいるのだろうか?
腫瘍マーカーをがんではない人が検査するとがんではないのに破格の数値が出ることはしばしば報告されるそうです。

●CTでゴルフボール大の腫瘍がみつかった。三ヶ月前はなかったのに。「このスピードだと間違いなくほかの部位に転移する。手術をしたら95%の確率で肝硬変になる。もし抗がん剤治療をしても3ヶ月から半年の命だ」といわれた。

いちいち乱暴な医師です。CTでみつかっただけで腫瘍ががんであるという確定を出すだけでなく、余命まで伝えるなんて。

●石原氏のクリニックに電話をかけると受診まで「三年半待ちになる」といわれた。

いかに医院長が著名でも、自由診療のクリニックを受診するのに3年半は盛りすぎでは? 


本には石原氏の話がずいぶん出てきますが、その石原氏が「がんは断食では治りません」と書いていたのです。
以前のホームページでは。

ムラキ氏の経験談としてつづられているのは、11日間の石原氏の施設で断食(人参りんごジュースを飲みながら)をするうちに、便が出るようになり、目やに等が出て、11日後には、腫瘍マーカーが施設に入る直前に3000を超えていたが60を切るまでになっていた、と言う話なのです。
今度は3000ですか? どこで計るかでも大きな差がでるそうですが、そこまで腫瘍マーカーってイイカゲンな数字なのだったら私の数値もたいした意味ないのかなあと思えてきますね。実際、私の主治医はマーカー値に一喜一憂しても意味なし、と数字の意味のなさを言っていますが。

私はこの本をじつは母ががんになったときに購入して読んでいました。
まゆつばなところだらけなので母に断食を勧めることはありませんでしたが、自分のことになるとすっかりだまされました。

頼るものがないときは、治った人がひとりでもいるなら、やってみる価値があるような気がしてくるのです。
その奇跡が自分にも起きてもおかしくないと思ってしまうタイプの人がいるのです(わたし)。

ムラキ氏の話がかんちがいに基づく「なんちゃってがん」であったかどうかは知るよしもありませんが、本につづられている大量の便が出る風景のカラフルさはたいへん印象的です。
自然療法で病気を治した人のウエブ記事にはこの描写に影響されているように思うのですが、「大量の排泄物=治癒」という文脈の文章に出会うことがあります。

便はただの便。汗はただの汗です。下剤で大量の排泄物を出すのと、断食中に出すものと違いがありますか?

排毒という言葉は、私自身は20年前に前出の雑誌で扱ったのが最初で最後。毒ということばに何の成分が含まれているかも明らかにできないのに、簡単に毒なんてよく使える、と取材した施設に対して思っていましたが、今ではあまりに多くの人が疑いももたず「デトックス」「排毒」という言葉を使います。
毒は肝臓で中和されており、汗から出ることはありませんが、「デトックス」や「排毒」の文脈で使われる「毒」の意味を問う人は、まずいません。

話がずれますが、この本に出てくる不思議情報のひとつに体温の話があります。
がん患者は体温が36℃以下で、39.5℃以上に体温を上げればがん細胞は死滅するというもの。
手術の直後から今にいたるまで私の体温はほぼ36.5℃以上です。
39.5℃で治るのなら莫大な費用をかけて抗がん剤の開発などしないで熱を上げるようにすればいいだけ。
実際病気のために高熱を出す人はいくらでもいますが、それでがんを治した人の話は聞いたことがありません。

がん患者35℃説、39.5℃以上でがん死滅説を信じている人はたいへん多く、本が売れていることと内容の正確さには何の相関もないことを明らかにしているいい例です。

なぜムラキ氏がこういうヘンなこと・・・失礼、不思議なことを書いているのかといえば、さっくり言うとビジネスになるからです。
講演会に人がおしよせ、本が売れるからです。

自分の体験からよくわかりますが、

少なからぬがん患者は、
高すぎない金額で提示される治療方法を
「実例をだして」
「治ると断言して」販売されると

じつに簡単に、お金を出してしまうのです。


鶴見氏のクリニックのウエブサイトに並ぶ療法はどれも、それでがんが完治した人が何人いるのかと思われる、根拠の薄い方法ばかり。
ほどのよい、支払えなくはない料金設定が、がん患者のココロをくすぐります。

「断食をすればあなたのがんなんかすぐ治る」
私自身、このせりふをある食養生の先生に言われましたが、「治らなかったら?」とは頭には浮かんだけれどいえませんでした。
すでに断食が自分を弱らせることを知っているので、お勧めには従いませんでしたが。
「なぜ、そんなに簡単に断言するのですか」
とくらい言えばよかったけれど、とりあえずすがるワラをキープしておきたいときに、敵を作るようなせりふはいえません。


自然療法でうまくいった人が何人いても、それが誰のがんにも効くことの証明にはなりません。
百人のがん患者がいたら、がんのタイプは百通りあります。
治し方が病態によって違うのは当然のことなのに、なぜがんだけが、「これでがんが治る」という言い方がされ続けているのか。

答えは簡単。

「あなたのがんを治せる」とシンプルに言い切ると、すがってくる患者が大勢いるから。ビジネスが成り立つから。

がんを幼稚に理解している医師免許を持ったビジネスマンが、
または医師の言葉を引用しながら体験談をかたる販売業者が、

「これでがんが治る」と明言します。

「これ」が断食であっても、保険がきかない免疫療法であっても、温熱療法や高濃度ビタミンC療法、音響療法、放射線ホルミシス療法、ケトン食療法などなどであっても、どうぞどうぞご注意を。




新米は今月半ば過ぎからお届けできます
錦自然農園

プラズマ療法って何? 

プラズマ療法のことを教えてくれたのは東京の友人。
心ねのきれいさも人生や仕事への誠実さも、とても信用している。
この友人からの情報でなかったら無視したかもしれないけれど、彼女の推薦だったからちゃんと推薦書籍を読みました。
がん治療に関してやまほど入ってくる情報のなかでどう取捨選択するかは、誰からもたらされた情報によるかが私の場合大でした。このヒトがいうのなら検討しないわけにはいかない。そう考えました。

友人はこれについて詳しいわけではなく、情報として自分で検討してみてくれというスタンスでしたので、そのままにしておくこともできましたが、彼女がこれを教えてくれたのは、抗がん剤以外に手の打ちようがないと病院にいわれ、抗がん剤だけはしたくないと思っている時期。何かしらの手は講じないといけないと真剣に模索している時期でもありました。

というわけで読んでみましたプラズマ療法について。

農家が昔から言っていた「稲妻(かみなり)がなると植物の成長がいい」ということを裏付けるような、
「稲妻に生命力を活性化する力がある」という仮説に基づく研究が進んでいるらしいです。

名古屋大学の教授が「国際論文」を発表、熊本大学では「プラズマを人体に直接照射してがんを治そうとしている」、東北大学でもその研究をしている。こうやって国立大学の名前が畳み込まれるだけで、なんかよさそうと思ってしまうのは、かなりやばいと最近は思うようになりました。しかしこの頃はそうでなかった。東京大学でもなんでも、大学名をヒラヒラさせて人の警戒心を解こうとするビジネスの定石があることを知らなかった。

日本プラズマ療法研究所の田丸理事長はインタビューにこたえてこういいます。
「日本のがん医療はアメリカより数十年遅れている。世界の最先端をいくのはプラズマ」であると。

彼自身も「余命三ヶ月」と医者がいう胃がんになったが、それを自身で完成させたプラズマパルサーという機械で照射することによって、たった五ヶ月で消失させたそう。

それだけ効果があるのなら、学会発表して大きく世間に拡げ、世界中のがん患者を救ってくれ、と思うところですが、
田丸氏は「邪心のある人には販売していない」のでほとんど普及していないのだとか。

ちなみに田丸氏は某インク会社に勤務ののち、帝京大学医学部の研究員になり、その後、フリーランスの基礎研究者として企業の依頼に応え、がんになって5年目のときには東京大学で研究員をしていたそう。
プラズマパルサーを作ったのは東京大学の研究員時代です。

その時期に500万円あるから新たながん治療器を開発して欲しいと言われたそう。
がん治療の研究助成金に500万円はあまりにしょぼい金額ですが、
そのお金を使って田丸さんが完成させたのがプラズマパルサー。

「340人のがん患者のうち、なくなった人は33人」と田丸氏が言います。
「33人の半数はすでに余命1ヶ月という状態。余命が三ヶ月あれば治った」のだそうです。
その他の亡くなった人は、「途中でプラズマをやめて三大療法(手術、抗がん剤、放射線)に戻った人」だったそう。

この三行、どこかで同じことを聞いたことあると今思い出しました。
陶板浴の経営者がそれと同じことを言っていました。
「だからうちは抗がん剤をやっている人を受け付けないんです」と。

三大医療を否定している田丸氏は、陰謀論の人がいうようなことを言います。
「アメリカでは抗がん剤は使われていない」
「アメリカのがん治療の主流はミトコンドリア活性が主流だ」


プラズマ療法の説明をしてみましたが、どうですか。魅力的に聞こえますか。
それともなんという「うそ臭いハンパ研究者」か、と思いますか。


つかむワラもない、というときには、これで治った人がいるということと、熊本でも受けられるということが目に入るすべての情報になってしまいます。
とにかく話を聞いてから受けるかどうか決めよう。

失敗に対する恐れが少ないのを共通項とする私たち夫婦は、うさん臭いかどうかより実行して決めることに簡単に一致します。
それはけっこう夫婦として短所であることを、最近になってつくづく思うようになりました。

失敗してもいいというのは、未来が茫洋と開けているときにいえることで、あと半年とか1年もないとかいわれている身はもう少し慎重に考えようよ、と今だから思いますが、そのときは思わなかった。

前回のブログに書いた「放射線の可能性はやっぱりぜんぜんないこと」を改めて確認しにいった病院の帰り道にプラズマが受けられるというサロンに電話して、そのままそのサロンに直行しました。常にスピーディなのが私たち夫婦の得意技なんです。このさい得意技ということにしておきましょう。


行った結果、プラズマ治療は受けないことにしました。

1時間足らずの照射で6千円。それも毎日通わないといけない。
毎日できないなら週に何回かでもいいという提案もありましたが、オットにつれてきてもらわないといけない身ではそれも無理。

無理でよかった。

もし私たちが都会に住んでいたら、これくらいのお金なら出せると思ったでしょう。
出せないと思う金額でも、出してしまうのががん治療の恐ろしいところです。


しかし、プラズマ療法が本当にがんを治す効果があるなら、田丸氏はしかるべき著名な科学雑誌に論文を提出するでしょう。
それをしていないということは、効果がハンパだということです。
東北大学だの熊本大学だのの名前が並んでいるだけで、わけわからないけど、ひょっとしたらここに書かれていない、まだ解明されていない効果の理由があるのかもしれないという気がしてくるのです。


私にすすめてくれた友人がいうところによると、友人の知人がそれを積極的に推薦しているらしいのですが、その人の周囲で5人のがん患者が試し、みんなよくなったのだとか。

よくなったというのが、どのレベルの「よくなった」かを聞いていないし、
「よくなった」が一時的なことで、あとで悪くなったかどうかの追跡できる時間はたっていないし、
5人は病院の標準治療を受けていたかいなかったかということ聞いていないし、

私の友人からの情報収集はとてもとても不十分だったのですが、そんなことは「行って」「見て」自分で判断すればよろしい、と私は思いました。


そのリッチなインテリアのサロンに行きまして、3時間以上の長い時間話を聞き、健康診断的なもの(指から出る電波的なものを計測する)をやってもらって帰りました。

プラズマの話はほとんどしなかった。ま、受けないということがすぐに決められたというのもあります。
そのサロン自体が推しているのは、プラズマより別の機械だったのです。


それはAWGというがんを治したい人にはすこし名の知れた器具でした。
もちろん私たちはそれを知りませんでした


がんの治療方法を探し出すと、次々にころころと転がり出てきます。

どれも「高すぎない」「続けられる」「続けるとけっこうな金額になる」「効果のほどは不透明」

代替治療放浪記、おばかでかわいそうな夫婦だと思われるのはけっこうです。
こういうことにならないように、お使いくださいませ。

最低限の暮らしをしている無職の一人暮らしの女性で年間50万円をこえる病院治療費を8年間も出し続けた人を知っているし、余裕ない暮らしをしながらがんの免疫治療というこれまた効かないけど、わらをもつかむ人には光輝いて見える方法に1000万円以上の借金をした人もテレビで報道されていました。

すがるものをなくしたがん患者にとって、お金はあまり大事じゃなくなるのです。もっとだいじなものが目の前にリアルに見えているから。いのちのほうが、お金よりリアルでより大事。お金なんか生きていればどうにでもなる、という感じがしてくるのです。そんな気になったのはほんの一瞬でしたけど。

ちなみに昨日も病院にいきまして、抗がん剤をいれてきました。
腫瘍マーカーは3ヶ月で80%以上の減少となりひと安心していましたが、昨日とったCTでは肺への転移が見えなくなっていました。他の場所にはありましたけどね。




無農薬の栗、お米、お茶、紅茶と、無添加コチュジャンはこちら
錦自然農園フルーツストア