FC2ブログ

アメブロに引っ越しました

いろいろ理由がありまして、8年間ブログを書いていたFC2より、アメーバブログに乗り換えました。

今後は以下をご覧いただけますようお願い申し上げます。

おいしい果実ができるまでhttps://ameblo.jp/nishikifruitstore/


理由は主に
1、SSL対策に待たされ続けている(しばらくお待ちくださいのままなんです)
2、企業によってFC2は閲覧できないことになっている(アダルトサイトが多いらしいです)





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オーガニックな人のがん治療

2014Dec29_2.jpg
キムチの味はそのときの素材で変わります。
野菜や唐辛子の収穫時期によってみずみずしさや質が変わり、できあがりの味の違いを生みます。



キムチを作り始めました。

こういう日を迎えられるとは今年の前半はまったく思いませんでした。
今日より体重が9キロ少なかったころ。

なんでそんなにも痩せていたのか。
それは病院にいかなかったから。

たいていのがんには自覚症状がありません。
自覚症状はじょじょにゆっくりと出てきて、途中からスピードをあげていき、生活がしにくくなり、あげく寝ている時間が一日のほとんどという状況になっていく。

ああやばいなあ、と思うものの自分の信念を手放したら、心も体も空中分解してしまいそう。
がんばれわたし。みんなもがんばっている・・・。

この「じょじょに悪くなる」の時期、普通の人は病院にいき、早期に治療を開始します。

再発の場合、初発(原発・最初にみつかるがん)と比べて、大急ぎで治療を開始するかどうかで生存率が変わることはないそうですが、ある臨界点を超えると「遅すぎる」ということになります。

素人にも玄人にも、どこが臨界点だったか、過ぎてみないとわかりません。
がんの治療は、なんにせよ、急ぐにこしたことはない。ゆっくりしている時間はないというのが事実であります。

ところが。
私たち夫婦のように、ねっこがスピリチュアル系で、生活と仕事がオーガニック系だと、ことは面倒になります。

もともと、化学物質を人並みよりうんと少なくしかとってこなかった。
薬はほとんど飲んでこなかった。

ネットを回遊する日々が始まります。
人からの情報もどんどんはいってきます。

断食がいいとか、モリンガがいいとか、重曹がいいとか、米はやめろとか、玄米を食べろとか、びわの葉温灸でがんを治した人がいるとか、心理療法でがんは治るらしいとか・・・・・・・

根っこがスピリチュアル系で、生活と人生がオーガニックに傾斜している人はここで、
人生をかけたチャンレジをしたくなってきます。
これで治ったら私も●●さんのように講演活動をして仕事にできるかもしれないとか。思う。
講演までしなくても、自分の治った経験をいつかだれかに、私の場合は特に農園のお客さんにしてあげたい、と思う。
ここに書かれている「奇跡」な話が自分にも起こればいいなと思う。

わりと簡単にチャレンジの火がつくのは、ネットなどにあふれる「●●でがんが消えた」情報がじつに多彩に、山盛りに、無限とみえるほどたくさんあるから。

この時点で、チャレンジャーたちはまだ知りません。
「●●で治った」人の大部分は、病院で標準治療も受けているのに、病院治療を受けた部分が情報から意図的に削られていることを。

「病院の標準治療を受けたうえで、自分の力でがんを治そう」という啓もう活動をしている杉浦貴之さん(雑誌「メッセンジャー」主宰)のような人もいるのですが、

「病院治療なんてとんでもない。肉食、白米とんでもない。玄米菜食しなければがん患者に未来はない」という「がんの患者学研究会」のようなところもあり、ネット情報の多くはこちらに沿っています。

私も「がんの患者学研究所」におおいに励まされ、無治療の道を突き進む原動力にさせてもらっていましたが、
結果はどんどん悪化していくだけでした。

体重が減り続けて、歩くのが難儀になっていき、寝ている時間が長くなっていく自分。
毎日少しずつ少しずつ死に近づいていく自分をひとりでみつめている時間というのは、つらいものです。

病院にいくのは、負け、のような気がする。
がんは、自然療法で治してこそおもしろい。
おもしろいというのが、どこまでも重要な人がいるのです。私?

それでも痛みさえなければ、死ぬまで、この方法を続けたと思いますが、
私の場合、ラッキーなことに痛みが早い時期から始まった。

耐え難い痛みのおかげで、
病院に行き、緩和治療だけは受けようと思うにいたり、
緩和治療と同時期に、ネットで出会った医者に質問をしては返事をもらう、その繰り返しをしているうちに、

「抗がん剤治療を受けてみよう」

と心がスイッチを入れたのでした。
これが5月のはじめ。
あの、痩せてる有名女優はこんな体形だったのかと初めて知る「164センチ、43キロ」。 

薬の治療をはじめてからの変化は想像を軽く凌駕していました。

日がたつごと、月が変わるごとに、肉がついてきて、体がしっかりしていき、歩ける距離が長くなり、先月の10月に東京へ旅行し、一日じゅう歩いて、友人たちと大笑いする時間を重ね、夜は久しくなかったような「ドカン」と深い睡眠を毎日して、帰ってきた日は20時間くらい熟睡して、目が覚めたとき、「前と同じになった」と感じました。


薬の副作用を消す薬はさまざまに開発、販売されています。

私は強い薬を使わないといけないため、薬の副作用もさまざまに発現し、その副作用のための薬も各種処方され日々服用しています。

しかし、ひとつだけ、どうしても副作用対策ができない副作用がありました。

それは何かというと、便秘。
これのおかげで9月末までは、一か月に数日寝込んでいました。
便秘で寝込むって、いったい何十日ためるのだ? と思うでしょうけど、
私の場合、便秘といってもとっても軽度なのです。
便秘の軽重のレベルは問題ではなく、便秘になるだけでものすごく苦しくなってしまうのでした。

脂汗を流し、夜通しうなりながら苦しむというレベルです。

それがあるとき、主治医が新たに薬を処方してくれまして、服用しはじめますと、苦痛がぴゃーーーっとふっとんでしまいました。
なんでこれを今まで処方しなかった! と最初は怒ったくらいです。

その薬は2017年に販売開始されたもの。
主治医はその薬のことを忘れていたのでしょうか。それとも探してみたら「あった」ということだったのか。
どっちなのかは今度聞いてみますが、いずれにしましても、
この薬の開発よりあとに、私にこの症状がやってきたことが、じつにラッキーでした。

薬の開発が日進月歩というのをリアルに感じる最近です。

私の「持病」は一生治らないのですけれど、悪くならないように薬で抑えておくことができていれば、いつの日か
新しい薬が登場して、私の運命を変えるかもしれません。

そんな病気は、世の中にやまほどあるようです。
去年までなら死ぬはずだった病気が、今年になって販売開始された薬のおかげで生き延びることができる。

老人が薬をやまほど処方されて薬づけになっているとかが、テレビでよく報道されるせいでしょうか。
薬の薬害で致命的な病気になり、製薬会社を訴えるシーンがニュース番組でみられるせいでしょうか。
薬の悪い面ばかりが日本では有名になり、薬嫌いを増やし続けています。

だけど、薬のいい面は悪い面の何百倍もあります。

十年前に、今と同じ病気になっていたら、とっくに私は死んでいました。
今ほど十年前はよい薬が開発されていなかったから。

十年前ならできなかったことが、科学技術が毎日進歩しているおかげで、
その積み上げのおかげで、
私が受けている薬が新薬として認められるにいたり、
私の手元に届けられ、
私はキムチを作れるくらいに元気になりました。


強い薬を受け入れるには、私の体がオーガニックすぎると信じていた私は、
食事療法や体を温めることや心理療法やビワの葉療法や、とにかくいろいろな方法をやっていましたけれど、
薬で得られたほどの効果はどの方法からも得ることができませんでした。


今になって主治医から「間に合ってよかった」といわれます。
初めて私の状態を示すCT画像を見て、「(こんなになるまで)よく我慢しましたね」と言われました。
もう少し遅かったら、最新の薬であっても効かなかったかもしれないのです。

がんはゆっくりと悪くなる、と信じられていますが、それはがん種によって違います。

手遅れになる前に、病院治療を始めてください。

オーガニックに信を置いている人ほど、
がんで病院治療を受けるのをいやがり、最終的に遅すぎる治療開始となり、
早すぎる終わりを迎えてしまうことが、私の周囲で続いております。


どこにも届かないかもしれないけれど、
届けばいいなと思いまして、今日も書きました。


キムチが作れるまでに元気になった。
病院治療を始める前より9キロも体重が増えた。

私の治療はなにもかも、まだ途上で治ったわけではないし、結論はなにもでていません。
が、
日本の病院では
こんなに最前線の治療を
こんなに安くやってくれる

ラッキーだなあ、ありがたいなという気持ちは、日々増すばかりです。

この気持ちを全部こめて、農園の商品をつくり、発送させていただいております。





キムチ、コチュジャン、新米、お茶、さつまいも、白菜などなどのご注文は
錦自然農園フルーツストア

死のなにが悪いのか?

東京のゆかいな仲間たちレポート、まだ続きます☆

表参道のイタリアンレストランでお食事をしているとき、アートディレクターの友人が言いました。

「えみちゃんって『人生が体験取材』の人だったから、このがんも面白い流れにしてくれるんじゃないかって期待してるのよ」

私も言いました。

「そうなのよ。この際一回死んじゃって臨死体験レポートを書くために戻ってくるとか。生まれかわりは本当にありましたって、転生した二歳児になって書き手交代、とかね。そのとき著者は二人の名前になるのかな」

そこで一同大爆笑。

「あんまり早すぎると書く能力がないから、転生してからもうちょっと時間ほしいかもね」

と編集者の友人。
スピリチュアル方面に事情通のアートディレクターは、こんなことも言ってました。

「最近は生まれ変わりまでの時間が短くなってるんだって。近い場所に生まれ変わる人が増えているって話よ」

「ほう。そりゃいいね。みつけてもらいやすいってことね」と私。

「サンマ●ク出版の編集者が、本はまったく売れないけどスピリチュアルだけは売れてるからスピリチュアル企画があったら声かけてって言ってた」

とイラストレーターの友人。

「じゃ、そのときは企画提案よろしく。イラストも描いてね」

「もちろんよ!」


例のすぐ怒る“スピリチュアル有名人”の名前もここでは通じるので、爆笑につぐ爆笑でした。


こういう話ができる友人がいるのはとてもありがたいです。
そこにいた編集者とアートディレクターは、私のがんの再発がわかったとき、「毎日、定刻に●日間二人で祈るから」と連絡をくれました。何日だったか忘れてごめんなさい。

その時刻には必ず布団に入っているようにして、ふたりの送ってくれているものを受け取るように心がけました。

数か月後に流れを一転させる押川先生との出会いを得られたのも、そこに原因があったかもしれません。
今頃気が付いたけど、お礼を言うの忘れてました。

編集者の友人は6年ほど前に「天使」を送ってくれまして、私はそれを浮遊する丸い三つの光としてみました。
トンデモ話続出ですが、友人たちは出版不況のこのご時世にもいい仕事をしているすご腕さんたち。
離れて住んでいても私の元気の源であります。


でも、ですね。


今年になって、
とてもリアルに死を考えられる立場になってからのわたしは、考え方が少し違ってきたようです。

「臨死体験は睡眠時の夢を語っているだけかもしれない」
「生まれ変わりはないとは言い切れないけど、あるという証拠がない」

10代のときから奇妙な体験の宝庫みたいな私は、寝ているときに天井の木目を間近に見てしまったとか、真夜中に天井から光がさんさんと差し込んでくるのを見たとか、意識がちゃんとあるのに、これは前世の風景かも、と思わせる光景を見てしまったとか、あげればきりがないほどいろいろあるんですが・・・・
ミャンマー人の友人からリアルな生まれ変わり体験を聞いたこともありますが・・・・・


証拠がないことを、あいまいにしたまま、信じることができない、と思うようになりました。


人は自分の死をほんとうにはイメージできない、という説があります。
フロイトだったかな。

ベッドに横たわり死体となった私が、周囲に家族をはべらせている光景。
お葬式に飾られている自分の写真、その写真をみつめる黒いスーツ姿のおっとの顔。

そんなことを思い浮かべることができたとしても、それを見ている視点があるということが、私は自分の死をまだ認めていないことになる。

魂だかなんだか、無限につらなる「私」があると思っている。
というか、思いたがっている?


私の友人は男子中学生だったときに、父親の葬式で、
まだ親族しかいない時間に、葬儀会場で、
「お父さん、ここにいるんだったら、祭壇の右から5番目の菊を動かして」
といったのだとか。
すると、菊がかすかに揺れて、会場は阿鼻叫喚に包まれたそう。
「おじさんたちから、なに馬鹿なこと言うんだって怒られたんだけど、なんで怒るんだって中学生の俺は思ってた」


これをお父さんの魂だか霊だかの存在に結び付けるか、たまたまの偶然というかは、人それぞれですが、私は偶然だと思う。


人は全員死ぬ、ということを生きている人はみな知っているし、疑う余地はない。
だけど、死んだ先の情報は何ひとつ明らかではない。


A 宗教から信条ごとに答えをもらうか
B 物理的な知識から答えを得るか
C 哲学的に自力で答えに迫るか。

みなさんどれかを選んで、なんとなく納得しているから日常を生きている。
死に関してなんらかのイメージを持っているからお葬式にいったりできる。


私はどれを選んでいるのでしょうね。改めて考えるようになりました。
がんが「いい病気」だといわれるゆえんはここですね。
じっくりと、自分の死を迎える準備ができるところ。

誰もがそれをできるのに、リアルに死を感じられないために、先延ばしにし続ける人がほとんどではないかと思います。

言わせてもらうと、ずっと前から死に向き合う練習をしていました。
「二週間後に私の寿命がくることになっている」ときめて毎日を過ごす遊びはよくしました。
安易に人にいうと「うつ病?」って心配されますが、これはとってもおすすめです。
やってみれば、日々の充実度が変わるのがわかります。
私の葬式に私はいないわけですから、「これが最後のお別れなんだ」と思いながら
一人ひとりと会うわけです。そして別れるわけです。
何をされても、何を見ても、これが最後かもしれない思えばすべてがありがたい。


もともとヴィパッサナーをしていたことの影響は大きいと思います。
瞑想中、ここから先に行くのは怖い、とおびえるときがありました。
それはおそらく、死へ向かう怖さ。
自分が消える怖さ。
無限の宇宙に溶け込み消えて「自分」と信じたものがじつは何の実態もなかったと認める怖さ。
死ぬのなんか平気だと思いながら、やっぱり怖がっている自分を知るのはいいものです。
瞑想は死ぬ練習です。


人が死を恐れる理由は、ゼロになる恐怖かも。
これをごまかすために、宗教は物語をこしらえているのかもしれないと最近思います。


死は意識しようがしまいが、万人に訪れ、死にゆく順番も決まってないわけですから、誰もが死の練習または死に向き合う練習をしておくにこしたことはないと思いますが、人それぞれの考え方ですね。


再発がわかってまもなくアマゾンから入手した本は、トルストイの『イワン・イリッチの死』。
買いはしたけど長いこと読めなかった。怖くて。

思い込みで行動を決めるより、自分が思い込みしているのはなにかをわかりながら、『これを思い込むことにしよう』と決めている自分を自覚しながらいきたいですね。




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イチゴのご注文受付は来月からの予定です。
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