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吉村医院と安保徹氏の共通点

2年くらい前だったか、友人から妊娠を伝えられて、
「よかったねえ」と祝福していたら、相手は不意に暗い顔になって、
「でも、病院で産むんです」と告げるのでびっくりしました。言葉に驚いたのではなく、暗くなっていることに。
「それが何? いいじゃん、べつに」
と心から言っても、最後まで彼女の顔は晴れやかにならなかった。
自然分娩はマルだけど、病院で産むのはバツだと信じ込んでいるのだと思わせました。


この暗さの原因は、ひょっとしたら吉村医院かなあ、とあとになって気づきました。

2010年、吉村医院と院長・吉村正氏を映したドキュメンタリー映画「玄牝-げんぴん」が公開されました。
河瀬直美さんの監督作品で、私も友人が自主上映をしたときに見ました。
この映画は確実に自然分娩志向の妊婦を増やすのに寄与したと思われます。

自然分娩に対しては、私自身はいいとも悪いとも考えがありません。
高いリスクを無視してするほどのものじゃないから、条件に不安があるならやめたほうが、というくらいのものです。

ところが吉村氏に心酔して自然分娩を選ぶということは、そんな軽いものじゃないらしいです。

以下の出典は「きらきらねっと」だそうですが、現在ではサイトごと削除されており見ることができません。
私がこの引用をみたのは、NATROM氏のウエブサイト


りーべる:今度ってあるかないか分かんない今度ですけど、自宅分娩でもいいかなって思うんですよ。
吉村先生:いいじゃないですか。
りーべる:理解してくれる助産婦さんがいてくれたら…。
吉村先生:だからね、死んだっていいって思やあ、それでいいじゃないですか。
りーべる:ああ、納得。なるほど、そうですね。
吉村先生:子どもが死んでもね。
りーべる:うんうん。
吉村先生:死ぬのはだめ、死ぬのはイカンなんて医者が言っとるでしょ。それは医者が儲けるために言っとる。



上を読んで納得できる人がいるのか、と激しくおどろいたのですが、吉村病院ではそういう人も珍しくなかったようです。
新生児が死んだとき、「死んだっていいって思やあそれでいいじゃないですか」「ああ、納得。なるほど、そうですね」という対話がありえるのか。ところがありえたらしいのです。この病院では。
NATROMさんの著書『「ニセ医学」にだまされないために』(メタモル出版・2014)にも、吉村氏の衝撃的な言葉が引用、紹介されています。これも引用元は「きらきらねっと」で、削除されているため確認ができません。

「自然のものを食べて、自然な心でおって、自然に体を動かしておればツルツルに生まれますよ。みんな、ちゃんと産んだんだ。産むべきじゃない人は死んだんだよね

「人間はね、いらん遺伝子を排除して良い遺伝子だけでね、ずうっと太古以来、続いてきたんだよ。それが西洋医学が入ってきてからそういうのを助ける。助かっちゃいかん命が助かって、また悪い種を蒔いとる



ヒットラーか? と驚く、優性思想ぶりです。
吉村医院では、自然分娩以外で生まれてきた命は、「助かっちゃいかん命」「悪い種」だそうです。悪い種ってなんですか? 吉村氏は2016年になくなっており、もはや訊ねることもできません。


現代医学がこれほど普及する以前のお産は、死と紙一重の、たいへん危険な行為でした。
1899年の10万人あたりの妊婦死亡数は約400人。2016年のそれは4人。
新生児の死亡率は2017年で1000人あたり0.9人で、これは世界最少の数字です。

この数字が達成できたのは言うまでもなく、ほとんどの赤ちゃんが病院で、しっかり管理された中で生まれていることに起因します。もちろん、衛生状態、栄養状態の進歩も無視できない要因です。

私が吉村氏の言葉を読んで思い出したのは、
このブログで以前紹介した安保徹氏のことでした。
かれも放言の医師でした。

安保  そこがみんなわかってない。(中略)がんとの戦いもね、血流をめいっぱい送って、それに伴う発熱、痛みは、出たら甘んじて受けるしかない。すると、熱が下がった後にね、サーッ!てガンが消えるんですよ。(中略)全身転移がある人だと、五~六回繰り返して治ります。
編集 えっ、痛みの後にガンが消えるんですか? 痛みはガンの進行の証拠だと思っていました。何が怖いって痛みの中で死ぬのが・・・・・・。
安保 痛み止めを使わなきゃそうはならないですよ。(中略)痛みがきたらむしろ「ありがとう!」「これで治る、やったー」てなもんですよ。(後略)
編集 痛いと何もやる気にならないし、気分も滅入りますしね。
安保 だからそれは副交感神経の反射で起こるんだから、リラックスの究極なわけ。横になって体を休めなさいということなんですよ。
編集 なんだか、目からうろこが。でも、とても納得できますね。
安保 (前略) がんが治ったという声をあっちこっちで聞くでしょう? もうガンは奇跡でもなんでもなく、当たり前に治る時代です  ガンの患者学研究所発行「いのちの田圃」(2002.10)より



前に書いたことではありますが、安保氏が、疼痛や発熱はがんが治る前兆、「ガンは奇跡でもなんでもなく、当たり前に治る時代」と雑誌の対談で公言するのなら、もうすこし読者の多い雑誌「ネイチャー」か「サイエンス」にでも発表して世界のがん患者を救ってくれたらよかったのに、です。

吉村、安保両氏の共通点は、現代医学に対する徹底した否定と、医師でなければおじいちゃんの戯言ですまされるような根拠のないことを医師の立場を明確にしたうえで、無責任に断言、放言する点です。

オーガニック派にとって、吉村医院の知名度はとても高く、院長の本はこの時期次々に発行されました。
自然療法派にとって、安保徹氏への信頼度は絶大で、監修しただけの本を加えると何十冊という本が発行され、何冊かのベストセラーも生まれました。


こんなにも極端な思想の持ち主である彼らが、多数の人から信頼されているのはなぜなのか。

カギは、こんな言葉のなかにあるような気がします。

自然のものを食べて、自然な心でおって、自然に体を動かしておればツルツルに生まれますよ

この言葉、気持ちいいです。
反論をしたくなりません。

このあとに、

産むべきじゃない人は死んだんだよね

という恐ろしい言葉が続くのですが、それを聞いても「なるほど、納得」と言ってしまう聞き手の気持ちがわからなくはない。なんというか、気持ちよく流されたくなります。

吉村医院で産もうとして産めず、病院に搬送されたのち、子供を出産後三日目に亡くした人のブログがNATROMさんのブログに一部紹介されています。驚くのは、そこに病院や医師へのうらみつらみは一切なく、感謝の言葉しかつづられていないことです。

子供をなくした女性は、肉もたべないバリバリのマクロビオティック実践者で、仕事も夫婦で無農薬野菜などの販売を行っていたそう。
(「吉村医院の哲学」参照)。

NATROMさんも書いていますが、生まれたばかりの子供を自分の哲学(信仰、宗教、このみと言い換えてもいいけれど)で失ってしまった母にとっては、吉村医院を批判することは自分を批判することになり、この厳しすぎる状況でそれは出来なかった、と考えるのが妥当かもしれません。自分を批判しないために、感謝する……。

自然のものを食べて、自然な心でおって、自然に体を動かしておればツルツルに生まれますよ

という言葉の後半をちょっと変えると、がんの自然療法サイトなどで、よくみる言葉になります。

自然のものを食べて、自然な心でおって、自然に体を動かしておればがんは治りますよ

実際、安保氏の主張はほとんどこれと重なります。
彼が掲げた「がんを治す四か条」は、生活パターンを見直す、がんの恐怖心から逃れる、三大医療を受けない、入浴や爪もみで副交感神経を活性させる、です。
いうまでもなくそんなものでがんが治るわけがないですが。

そもそも自然であることが正しく、自然でないものが悪だとする考えの根は何なのでしょうか?

そんなことを考えているとき、読んでいた本のなかにこんな言葉をみつけて、膝を打つ思いがしました。


「日本の場合、自然科学は善だという感覚はないと思うんです。
むしろ科学技術は必要悪とみなされている。
本来、自然はいじってはいけないものだけど、便利でうまくいくのであればそうさせてあげよう。」


森達也氏(作家)との対談(『私たちはどこから来て、どこへ行くのか~科学における「いのち」の根源を問う』/筑摩書房) における、竹内薫氏(サイエンス作家)の言葉です。

自然科学に善悪などあるか、と思う人もいるかもしれませんが、
日本には確実にあります。特に、2011年の東日本大震災以降、この感覚が出てきました。
今たくさんの日本人が「自然はマル、科学(人工的なもの)はバツ」という考えにまとまってきている。

少なくとも「アトム(原子の意味)」という名前の漫画のキャラクターが登場した時代には、その思想は大衆的ではありません。
化学調味料という名称はメーカーが自らつけたそうで、「化学」がよいもの、進歩的なもの=よいもの、という思想が時代の空気だったことをうかがわせます。


吉村氏や安保氏がいくら暴言を繰り出しても、批判につながらないのは、
なにもいじらなくていい、そのまま、自然のままでいいという思想が、時代の気分にマッチしているからではないでしょうか。

「自然のまま」という言葉の延長線上に、「治療しなくていい(切開してまで取りあげなくていい)」、「現代医学などいらない」が並んでいます。

1980年代、忌野清志朗のコンサートにはピンクや水色の孔雀のようなカラフルな化粧と衣装で行くのがお約束でしたが、それはその時代とあっていたので、誰も「そんなのへんだ」とは言わなかった。
肩パッドが体型をよいバランスに見せると信じられていたので、どんなごつい肩パッドにも「それは変だ」と思う人はいなかった。

日本人は同調圧力に弱いとよく言われます。一定の数を超えた意見にはくるまれてしまいたい。友人たちと同じ意見をもっていることが快感だし、時代の空気から外れた意見やこのみをもつのはリスクです。

2011年以降の時代の空気は、「自然」礼賛です。
2011年以降、「自然」と同じくらい、「天然」「オーガニック」等の言葉も目にする頻度が急増しました。

普通の言葉だった「自然」という言葉が、豊かで心地よく響くようになったのは、今、多くの人がそれを求めているから。
なぜそれを、今、求めるかといえば、

東日本大震災のあと、
科学の最先鋒である原子力発電に対する処置にごまかしや隠蔽があったこと、
唯一の被爆国でありながら、原発事故の責任も明確にできない国家への絶望やジレンマ、
そうしたものからの反動・・・といえるような気がします。

科学は必要悪、できることなら使わないほうがいい、という考えは、日本人のアニミズムと関連があるのかもと少し思ったのですが、そうではないですね。日本人がこれだけ集団で科学を嫌うようになったのは、歴史上はじめてのことだと思います。
原子力への不信に端を発し、大きく広まっていることは疑いようがありません。
そもそも科学が日本に入ってきたのは明治時代のこと。日本で科学の歴史は浅いのです。
サイエンスの訳語として科学があてられたのは、科目がたくさんあるからという理由だそうです。


かくいう当園も、錦「自然」農園を名乗っております。
2002年にこの名前をつけたオットに、自然農や自然栽培への憧れや尊敬はありませんでした。
そんな言葉を聞いたことがあったかどうかさえ疑わしい。
自然豊かなところで農業しているから、くらいの意味でつけた名前です。
自然栽培で作物を作り、自然農や自然栽培で作ったものを販売しているのと、名前に関連はありません。

自然療法が悪いわけでも、自然栽培が悪いわけでも、自然分娩が悪いわけでもありません。

「自然」というワードが、無条件にヒトをひきつけるパワーワードに成り上がったおかげで、
自然治癒、自然療法をキーワードにする場所では、高い確率でいんちき商法が行われています。
安保氏もそういう商品説明や講演会でずいぶん名前をおみかけした時代がありました。

現代医学を否定し、医療行為を否定しながら医学を語る安保氏と同じことは、誰にでもできます。

安保氏と同じく、医療行為はしないけれど、医療に非常によく似た言葉(病気が治ると示唆したり、それは好転反応であるとなぐさめる)を弄する人がネット上にたくさんいます。

販売者であることを表にださず(出しているけれど目立たせず)、
「標準医療は効果がない」、「病院にいかなくても病気は治る」、「自然のままで」「自然がいちばん」などなどの
心地よい言葉を用いて健康や治療についての情報を流布するSNSで、
信者(=購入者)から「先生」とよばれ、
根拠の薄い健康食品の、または治療法のセールスをする人は本当にたくさんいるのです。



ぶどう、栗、おこめ、コチュジャン、お茶などなどのご注文は
錦自然農園フルーツストア
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