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尿療法は効かない

これをしていたことを今日まですっかり忘れていました。
去年の9月に希望をゼロにさせられる宣告を受け、そのときから二ヶ月間したのです。
このことはオットには言いませんでした。
パートナーがそんなもの飲んでいると知ると、気分よろしくないかもしれない。
私だったら知らせて欲しくないと思いまして、伏せておりました。

そもそも飲尿の世界を知ったのは今から十年以上前のこと。
友人がミャンマーの寺に出家するにあたり、「これから医療を受けられない世界に行くのだから飲尿の習慣をつけておきたい」と始めたことを話してくれて、その関連書籍を貸してたのがその世界に触れた最初でした。

本はおもしろくよみました。
本で知ったことをそのまま別の友人に話したら、その人は素直にやりはじめ、今15年たっていますが、いまだに続いているらしいです。

私のほうは、やってみればと勧められたときに、偏見だけでやらないと決めない、と決めているので、ものすごい心の葛藤を抱えながら2回だけトライしました。あまりにも精神的嫌悪感のあることをやってしまったせいなのか、飲んだ瞬間背中の骨をお尻のほうから上に向かって電流のようなものが走ったことを覚えています。

で、2回やったきりやめました。
私の友人にオーガニック系が多いせいだと思いますが、その道の経験者や実践者がその後の人生に次々と現われました。
その多くはなんらかの病気や不調を抱えている人で、やむにやまれず手を出した、という人ばかりです。
実践者はハンで押したように同じことを言うのです。
「慣れたらお湯を飲むのと同じ。自分の体調の変化が飲むことでわかるし、やめる理由がない」

はあ、、、、、です。もうそんなの、聞くだけでうんざり。
がんになったことを伝えたとき、実践者の友人たちは全員、「やればいい」と勧めてきました。
「いやあ、ちょっと無理でしょ」と私は答えました。
「こんな局面になっても、やれないもんかねえ」とひとりはつぶやいてましたけど、無理なものは無理です。

考え方が一転したのは、腹部に大きな腫瘍が発見された9月でした。
化学療法をしないのなら1年もたない。半年かも、という話になってましたが、術後の化学療法でゼロックス療法というキツイのに耐えられず敵前逃亡してしまいまして、もう化学療法にもどる選択肢はないと思っていました。
結論としてゼロックスよりはるかに副作用のない薬で効果を上げている今日この頃ですが、少なくとも当時は「化学療法二度と無理!」と確信していました。

死刑宣告(!)を受けて病院を出た私たち夫婦がしたことは、自由診療のお医者さんを訪ねること。
なぜそこに行ったかというと、勧める友人がいたからです。
前からその人物を知ってはいましたが、はっきりいうとうさんくさいと思っていました。
その医師はマクロビの食事療法の指導とびわの葉温灸といくつかの健康食品を売っていました。
相談料2万円。
でもその時の私たちにそれがうさんくさいとか高いとか考えるゆとりはありませんでした。
病院に頼れない。でも誰かに希望のありかを指し示してもらいたい。望んでいるのはそれだけでした。

その医師から某病院の放射線は私にも適応される新技術のものだというガセネタを教えていただき、教えられた病院を訪ねましたが、絶望を深めるだけの結果に。
病院からの帰途、絶望の車中で、「とにかく笑おう」というオットの進言でユーチューブから探し出した漫才を聞いてみましたが、ひとつも笑いどころがわからないうちに終わってしまった。「あれ?おわり?」と言ったおっとのことばで初めてうすく笑いました。
漫才と落語と漫談と、とにかく笑えそうなものを片っ端から探していましたけれど、笑えないのでありました。

オットはネットで、私は本で情報をさがしはじめました。
そして私の足のつま先にコツンと触れたのが尿療法。
それについて書かれている本を絶版になっているものも含めて6冊くらい読みました。
代替医療の情報は、ネタが何であってもだいたいそうですが、成功事例集になります。
治った例を集めている。その方法が失敗した事例についてはまず書かれていない。

フランスのもの、アメリカのもの、日本のもの、いろいろ事例集は集められますが、どれも根っこは一緒。
尿でがんが治せる理屈はわからないけれど、治った人がいる。本当に治ったかどうか、最後まで追跡されてはいないので不明だけれど、少なくとも一時的には回復した例がある。それも複数。

複数というだけです。
その方法をためした患者数はどれだけあったか、それに対して成功数はどれだけあったのか、実績を正しく紹介し、比率を教えてくれる本はひとつもないのです。


だけど、無料でやれて、試すだけなら損はない、と考えるチャレンジ好きな患者はそれだけで試してしまうのです。


これだけエビデンスのない療法なのに、タダなものですから、おっとに内緒で初めてしまいました。
最初は50ccくらいからはじめて、じょじょに量を増やし、ある医師が推奨する量の一日800ccまで飲んだ。
これはもう狂気といっても過言ではないでしょう。

がんを自然療法で治そうとしている人たちが読む月刊誌にも、ときどきそれをやっている人が出てきます。
患者だけでなく、おおまじめで推奨する医師もひとりや二人ではないのでした。
医者が言っているのならそれもあるのかもしれない。
メカニズムがわかってないからといって否定してはいけないのかもしれない。

このころ、朝起きると朝いちばんで「それ」を飲まないといけないという規則を自分に課していました。
飲みなれてきたとはいえ、好んで飲んでいるわけではない。飲みたくないなあと思う。
それでも「飲まないと死んでしまう」という気持ちだけで、飲むために起き上がるのでした。

こういう行動を始めてみて、初めて、「死にたくない、生きる」と思っている自分に気がつきました。

「今しんだら、農家にとついで苦労したあげくに死んでしまった」というストーリーに自分がくくられてしまう。
それはいやだ、と思いました。

5歳のときから、肉体はただの肉体だと認識していました。
肉体にはいった魂だかなんだかわかりませんがその「何か」が私と合致するものであり、「肉」は私ではない。
そういう意識があったせいかどうか、死ぬことを日常的に受け入れながらその年齢になっていました。
がんの宣告も再発の宣告も淡々と受け入れられたのは、そこに関係があるような気がします。

しかし、そのうち死にますではなく半年後といわれるとそれはどうしてもいやなのでした。
まあとにかく、イヤでしょうがないことをするのも、何かの縁だからやってみる。
ネットを見てみれば、「飲尿をしていたに違いないあの有名人もがんで亡くなったから、がんに飲尿が効くというのは間違いである」などと書き込まれていました。そういう文言にはいちいち心がぐらつきました。
効かない人もいれば効く人もいる。
効かない人の話を頭に入れてはいけない。
今は効いた人の話だけを信じることにしよう。

とにかく、やり始めたことは少なくとも3ヶ月はやらないと結果がわからない。


そう思っていたのですが、2ヶ月で終了しました。
やめた理由は簡単です。

がんの代替治療を行うサロン的な場所で、正確な名前はわかりませんが、指から出る何かの電気的な信号で健康診断した結果が、二ヶ月前よりひどく悪くなっていたからです。

「何かしました?」

ときかれて、素直に「飲尿を」と答えました。
おっとも横にいました。

「あれはねえ、効きませんね」

とその人が言いました。

「うちの息子がひどいアトピーで、何をやってもよくならない。これをしたら治るから、と嫌がるのを無理やりやらせたんですよ。でも、ぜんぜん効きませんでした。息子にはいまだに無理やりやらされたことを恨まれています」


尿療法をしている人は周囲に多いけれど、「効かなかった」と断言されたことは初めてでした。
すぐにやめるかどうか迷った気がしますが、おっとが「やめるよね」と言ったとき、「はい」とうなずいていました。


この方はいってみれば、何の免許もなく、がんで行き詰まっている人に、こんな方法があるよ、と代替療法を教えたり、じっさいに施したりすることでお金を得ている人。
私はこの方には一度もお金を払っていませんが、情報をいただいたり、よくわからない方法で健康チェックをしてもらったりしました。
この方に連絡をとったのは、「プラズマ療法」というのができる場所だったからです。
プラズマ? わかんないですよね。
がんの代替療法についての話は続きます。




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