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添加物を食べて救われた話

先日実家に帰ったときのことです。
弟(40代独身)がハウス食品製のポテトチップスを買ってきているのを見た私が、
「食べていい?」と聞きながら袋をベリっと開けましたら、
横にいた母が目をまんまるにして大きな声で言いました。
「あんたはそんなの食べる人じゃなかったのに」
え? ちょっと驚きすぎでは? と怖がりつつ
「いいじゃん、べつに」とポテチを口にいれましたら母ったら、
「ええええ~~」と奇声をあげるのです。
なんですか、この過剰な反応は・・・。

その数時間前、スーパーに母と夕食の買い物にいったとき、最近内布家でブームになっている「歌舞伎揚げ」もどきをかごにいれたときから変なかんじがしていました。
「こんなの食べると?」と母。
「これくらい食べてもいいでしょう」
「食べていいけど、あんたはそんなもの手にする人じゃなかったのに」
「そう? 食べてなかった?」
「ぜっっったいに食べてなかった」

ま、そうかもですね。
小学生のときに初めて食べたマクドナルドのまずさに驚き、以降食べることはほとんどなく、
シェークだのアイスだのも無理。十代のとき、買うだけは時々女子高生に付き合うけど、こっそり捨てている女子もどきでした。

ポテトチップスを本格的に摂取したのは熊本にきてからです。おっとが食べるので付き合いで手を伸ばしました。高校生のときはまずかったけど、それほどまずくもなくて、よく食べた時期もありました。
冷凍食品を買うようになったのも熊本にきてから。買わないで毛嫌いしてはいけない、と買いましたが、やっぱりまずいのでやめました。

そういう人間ですが、インスタント食品や加工食品が体に悪いと思っていたから買わなかったわけじゃなく、
まあすこしはそう思っていたけど、体に悪いものを厚労省が認可するわけないという気持ちもあり、食べなかった理由の大部分は自分で作ったほうがおいしいから。それがほとんどです。
ちなみに母からそういう教育は受けてないです。たまたま母とその方面の趣味があっているだけ。
残りの家族三人は玄米なんかぜったい口に入れない&ポテチ大好き派です。

話はここからです。
最近、何回も書いていますが、病気のため食欲がない時期が続いていました。

マクロビとか玄米菜食とか採用してましたが、食べたいものがなくなり、口にできた固形物は1日「ひとくち」という日もありました。
食材の規制を解除したのちも、おっとが丁寧に作ってくれるさまざまなものも、食べたくない、といってワガママにも拒否。
結局、よろよろとでも台所にたち、自分で食べたいものを探るように、自分の食べたいもの作るようになってから、食欲がすこしずつ復活していきました。

食べる→食べれない→食べる・・・数日おきにそれを繰り返していましたが、

劇的に食べるモードに転換するきっかけになったのは、
お湯で茹でるだけのパスタソースと出会ったことです。
過去に買ったこともない、典型的な添加物だらけ商品。

ところがです。
茹ですぎに限りなく近いパスタを、増粘剤でどろっとさせ、グルタミン酸をくわえてうまみをプラスしたソースで食べたら・・・

え?
最後まで完食したよ。
おっとも私もびっくり。

とてもとても久しぶりでした。
それからパスタソースをしばらく連続して食べているうちに、胃が開門したといいますか、食に対する欲望が復活したのです。
数日のうちに、なんでも食べられるようになっていきました。
一体何が起こったのかわかりませんでした。

ある本を読んで、自分の豹変の理由がやっとわかったので役にたつ人もいるかもしれないと、これを書こうと思いました。

「高齢者QOLの改善におけるうまみ調味料の利用」という研究発表(お茶の水女子大・山本茂教授/当時)がすこし前の日本栄養食糧学会で発表されたそうです。

それによると、病院の入院食におけるグルタミン酸濃度は、通常食の半分だということがわかりました。
グルタミン酸は典型的食品添加物ですから、体に悪いというイメージが強く、病院食に使われないのはわかります。

そこでグルタミン酸の不足分を食事に加える形で入院患者に与えるという実験が行われました。
ビデオ撮影による主観的評価と、血液分析の二方向で報告された結果、なんと

グルタミン酸摂取を増やした老人たちは、
認知スコア、食行動、意欲の表現などで向上がみとめられ、
血液ではリンパ球や血清亜鉛値が有意に上昇したそうです。


患者の家族による評価はもっと具体的で、「食事時間が短くなった」「味がわかるようになった」「退院したがるようになった」「表情がやさしくなった」等のポジティブな変化が続々報告されたのだとか。
なにゆえこれらの変化が起こったのかは、まだ解明されていませんが、現在グルタミン酸はアルツハイマー病の進行を遅くするのに使われているそう。

老人がグルタミン酸の摂取で元気になったように、私の復活もグルタミン酸のおかげだったのか。
グルタミン受容体は中枢神経系のシナプスに多くあり、胃と舌にもあるそうです。
体が弱っているとき、ジャンクフードだけがなぜかおいしいと感じてはいましたが、理由が不可解でした。
私にはジャンクフードに癒された過去はほぼないのですから、ノスタルジーとはいえないのです。
まさかぎりぎりの状態になった体が欲したものが、悪名高き食品添加物だったとは。
まったく思いもかけなかったことで、びっくりしました。


東大の研究者が昆布のうま味成分としてのグルタミン酸を発見したのは1908年のこと。
「うま味」という名称もそのとき誕生しました。
1909年には、グルタミン酸を構成アミノ酸として含む「小麦グルテン」を分解して、グルタミン酸を大量に製造する方法が発明され、商品化されました。それが「味の素」です。

昭和30年代、食事をおいしくする魔法の調味料として、味の素はNHKの料理番組でびしばし使われたそうです。
途中から一企業の商品名をNHKが出すのはまずいと気づき、「化学調味料」という一般名詞の名称が生まれました。

化学調味料という名前がイメージさせるのか、グルタミン酸は石油から作られていると信じている人もいるそうです。
グルタミン酸は筋肉などを構成しているたんぱく質の一種。
脳の中で1時間に700gも合成され、分解されている重要なアミノ酸のひとつです。

うま味成分としてのグルタミン酸は、サトウキビやとうもろこしの糖分を発酵させて作られています。
その意味では、麦の糖分を発酵させたビール、ぶどうの糖分を発酵させたワイン、ブランデーなどと本質は変わりません。

白い粉末にして見せられると恐ろしい薬剤のようなイメージを与えられますが、それはイメージ操作かもしれません。

おいしいかどうかでいうと、昆布でしっかりだしをとったグルタミン酸の味と、サトウキビ等から抽出したグルタミン酸の味は比べ物になりません。
添加物で味を強くした市販のキムチがおいしくないから、私は自分たちで作ろうと思いたちました。

私たちのキムチをおいしいといってくださる方もいますが、「味が薄い」といわれることもあります。
昆布と煮干しでじっくりとっただしに頼っている味は、添加物でつくる味より弱くなるのはしかたないです。
味を強めるために「いかの塩辛」を入れたいと思うときもありますが、添加物なしでそれを作るのは安全面で不安があります。
添加物なしで「いかの塩辛」の安全性を担保する方法は塩を増やすことですが、塩辛のためにあえて増塩するのはいかがなものか。結局いかの塩辛は今までのところ使っていません。
こうした試行錯誤の果てに私たちのキムチは作られています(今季は来月からですが)。
おいしいかどうかは、人それぞれ。気に入ってくださる方が求めてくださればうれしいです。

話を戻します。
本当に弱っているとき。食べることができるかどうかが生死にかかわるとき。
グルタミン酸をたくさん摂取することで元気になる可能性があるっていい話ではないですか?

ご家族が弱っているとき、認知症の入り口にいるかも、と思われるときに、グルタミン酸をたっぷり摂取できるような調理をしてあげてみてはいかがでしょう。グルタミン酸の入った鶏スープの素をいろいろな調理に使うとか。
メカニズムが未解明だとしても、試してみる価値はあると思います。

かつおのうま味成分はイノシン酸、しいたけのうみ味はグアニル酸というそうです。
カタカナにした瞬間から白い粉をイメージするのは化学に弱い私たちの宿命(?)ですが、あらゆる物質は化学名で表現できます。きゅうりだってリンゴだって化学名に分解できます。米にはヒ素も入ってます。
コンビニのおにぎりに入っているということで毒物扱いされていたグリシンも体内にあるアミノ酸の一種です。

食品の裏側をひっくり返して「アミノ酸と書いてあるならそれは危険」などと書いてあるのを読んだことがありますが、体内にもともとあるものを摂取したところで大きな問題になるのかどうか。
消化された食材は天然素材であれ加工品であれ、分子として存在するとき身分に貴賎はありません(笑)

マウスの実験でグルタミン酸が人体に悪い影響があるという研究発表が耳目を集めましたが、
「化学調味料危険論」は、現在ではWHOもFAO(国際連合食糧農業機関)もFDA(米国食品医薬品局)も否定しています。

もちろん量がすぎればなんだって毒になるのはあたりまえです。

量がすぎれば醤油でも塩でもバターでも水でもどんな物質でも、人を殺せる毒になります。致死量まで飲むことが想定されてないだけで。

グルタミン酸の場合、量が多すぎるとひどい味になってしまい食べられたものではないそうで、悪徳業者がいれすぎたのを食べる人が気づかないということはまずなさそうです。



というわけで、私は最近これまでに食べなかったものに近づいております。

マクドナルドにも「人生で3回目」だという母と一緒にいきまして、新製品のなんとか、というのがおいしかったです。
よりおいしいのはオーヴォンビュータンやピエールエルメにきまっていますが、スーパーで買う150円のクッキーもおいしいです。
母の食の趣味には賛同していますが、安いせんべいを一枚かじるたびに驚きの目を向けるのはやめてほしいです。


※参考文献 『長村教授の正しい添加物講義』(長村洋一著 ウェッジ)



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「治療は医者と患者の共同作業である」 by 押川先生

定期的な「ヤク注入」のために宮崎の病院に行ってきました。
治療後は薬剤の影響で眠くなるので自分で運転ができず、毎回おっとの貴重な(!)一日を奪って運転させ、朝7時出発、夜に近い夕方に帰宅しています。

点滴しながらふたりで食べるためのお弁当を、塗りのお重につめて病院に持参しています。
昨日はおっと作の肉じゃがをメインに卵焼き、きゅうりの和え物、らっきょう、うめぼし、たくわん、おにぎり、柿をいれて。

血液チェックでは過去最高にいい数値でした。

病気になるうーんと前から、強度に貧血でたんぱく質も低いのが私のあたりまえでしたが、今では十分に高い数値。
一生懸命、肉を食べてるせいかな。鉄剤はとっくに止めてます。
白血球も人並み。肝臓系の数値も良好。

「あなたより数値がいいんじゃない?」なんてオットにじまんたらしく言いながら診察室をあとにしました。

<診察室での会話>

「心配する理由が何もないです」

私「来週から東京いくんですけど、毎日スケジュールぎっしりで。こんな生活ながらくしてないので、ちょっと心配」
押川先生「(データ見ながら)心配する理由がなにもないですね」
私「そうですね。そうなんだけど・・・」
押「ま、ものすごく悪くなったらとりあえずエチゾラム飲んでみてください」
私「ああ、その手でいけますか」
押「やってみるということですね」
私「(まだ心配)」


「いい思い出作ってください」

押川先生「がん治療というのはいいときもあれば悪いときもある。これまでがんばったから今の調子のよさがあるわけで。
悪いときにいいときのこと思い出して力にするためにも、元気なときにいい思い出をたくさんつくっておいてください」

(診察室を出て)

私「押川先生ったら、そこまで言わなくてもいいじゃんね~」
夫「そういう意味じゃないよ。いいときも悪いときもあるんだから、元気なときは元気なことを一生懸命たのしんで、悪いときはよかったときのことを思い出して、あんなふうになりたい、早く治りたいって思うことで、また養生に力が入るっていう意味だよ」

なるほど! やっぱり私は、ヒガミっぽくなってるんですね。
コミュニケーションの行き違いが医療現場でいっぱい起こっているのは、患者と患者家族ならではの潜在的な負け犬感(私だけかもしれませんが)を加味して医療者が話してくれないからというのもあるかも。望みすぎかしら。

「横ばいですね」

私「あ、腫瘍マーカーはどうですか」
押川先生「ああ(←毎回催促しないと教えてくれない)これですね」
私「(身をのりだして凝視してから)いいじゃないですか~」
押「横ばいですね」
私「横ばいって、こんな底辺で横ばってるならいいってことでしょう」
押「ま、そうともいえますかね」

※あまり知られてないことですが、腫瘍マーカーは腫瘍が小さくなっても数値が高くなったり、腫瘍が大きくなっていても数値が小さくなったり、人によって出方が違うのでおおざっぱな目安にしかなりません。
しかし、CTなどの画像に比べて素人でもわかりやすいため、私のようにマーカー値に一喜一憂する患者が多く、それは場合によっては治癒のさまたげになるので、押川先生はぜったい腫瘍マーカーを自分から教えません。

体調記録グラフ

押「(私の提出した「体調記録グラフ」を見ながら)今回は体調に問題がなかったみたいですね」
私「そうなんです。イリノテカンやめたおかげとスインプロイク飲んだおかげで。でもちょっと最後のほうお通じ悪くなりました」
押「それでもピコサルファートは飲んでない(記録を見ながら)。よっぽど悪い記憶があるんですね」
私「そうなんです~。でも悪いといっても出てないわけじゃないから。ほら見てください(記録をさし示して)」
押「出なくなる前に予兆を感じた段階で飲んでみる、試してみる、というのが大事なんですよ。試してみると、ひとつ結果が出て、次の指針になるじゃないですか。結果がどう出ても、試したことは無駄になりません」
私「次からそうします(毎回言っているがしてない)」
押「それにしても、調子がいいとグラフの書き方が雑になりますね」
私「あらそんなことないです。項目は同じです。特記すべきことがなかっただけです」

※体調記録グラフとは、先生に毎日の日記をつけるようにいわれて、日々の体重、お通じ、痛み、食欲、体調、薬などを記録し、それをグラフ&表化したもの。受診のたびに持参している。


もっと医者に伝えないと

私「ちょっと関係ない話していいですか」
押「どうぞ」
私「友人のPさんのことですが、副作用の吐き気が止まらないらしいんです。先生前に言ってたでしょう。今は吐き気を抑えるいい薬が開発されているから、抗がん剤の副作用で吐き気できついというのはありえないって。どうして彼女のは止まらないんですか?」
押「主治医とちゃんとコミュニケーションしてないんじゃないですかねえ。どれだけ自分がきついか伝わってないんだと思いますよ」
私「そんなことないですよ。点滴で吐き気を抑える薬とか入れてるそうだし、でもだめみたい」
押「つまり伝わってないんです。(彼女にも)口で言うだけじゃなくて、記録をとって医者に伝えるようにとは言ったんですけどね。医者は言うだけじゃ伝わりませんよ。オランザピンを使えばいいんじゃないですかね。これが効かないなら脳の転移を疑ったほうがいいかもしれない」
私「えー。そこまでいってたらいくらなんでも主治医にはわかるでしょ」
押「わかりませんよ。患者がちゃんと伝えることを全部伝えて、それから医者が動くんですから」

※友人Pさんの副作用は抗がん剤のではなく放射線によるものであったとあとでわかりました。その場合、オランザピンは使えないのでした。

<診察室の外で>

もっと医者に伝えるために

押川先生と出会って5ヶ月。「病気治しは医者と患者の共同作業」であることをマンツーマンで教育されております。
とってもラッキーです。

先生がいうには、患者側がすべきことは主に以下の2点。

①患者の状態を正確にあまさず伝える。伝えたつもり、にならないように「文章化」「紙に書く」が大切。
②ネットなどで新薬の販売開始情報などを得ることができるので、自分の薬は自分でみつけるつもりで、正しい情報を取得し、医師に提案する。そのためにも自分の使っている薬剤を正しく把握しておく。


①について、まず忘れてはならないのは、口で言ったから医療者に伝わったと考えるのは患者の傲慢である、ということ。

私が何度言っても忘れてる、または誤解されてるまま、ってこと、押川先生にもありました。
こういう病気にはこういう症状っていうのが頭にあり、その前例の中から私の話にあう部分を抽出しようとする聴取のクセが、失礼ですが医者側にあるのではないかと想像します。

そういうことは全医師にあると思ったほうがいいのかもしれない。たぶんそうです。
先生から教わった方法をこのたび、実母にも実行しました。
つまり、母が通っている大病院の主治医にお手紙を出したのです。

母が診察室で主治医に、言うべきことを言ってないことがわかったので、「これをいいなさい」とメモ書きを渡しました。
しかし、待てよ。押川先生は「手紙がいい」と言ってたな。と思い出して母に渡したメモ書きを没収。
母の病院の主治医あてに手紙を書いて、投函しました。

「手紙が送られてくると医者も無視できません。カルテにファイリングされるし、次に診察日までにその情報から医者側に準備できることがあるかもしれません」

手紙なんて書いたら忙しい先生からうざいと思われるかも、と思う必要はないみたいです。

「むしろ、この患者(の家族)はしっかり勉強しているから、こちらもちゃんと対応しなければって対応が変わる効果があります」


病院のPCからメールが発信されることはないようですから(ネット事故を防ぐため)、メールアドレスより携帯電話番号を書いておくとよいかもです。
私は母が以前がんになり、同じ大病院のお世話になったとき、説明を受ける機会にはすべて出席しました。

私の質問が治療法の細部にわたり、おまけにしつこいせいでしょうか。主治医は二回目から「娘さんがこれる日」にアポをいれるようにしてくれました。母からでなく、先生から直接都合を聞く電話をもらったことも。

自分のことだとここまでしつこく質問できないのです。
なぜでしょうね。自分のことだと頭がぼーっとして冷静さに欠けるのかも。論理より感情に支配される気もします。
母のことだと、どこまでも冷静に対処出来るのが不思議です。
「医療関係者ですか」と聞かれました。「医療本の執筆をしていただけです」と答えました。

退院しても定期ちぇっくに母は通っていました。3年後、その主治医が病院を辞めることになり、それを母に伝える際に、
「娘さんによろしくお伝えください」と言ってくださったそう。
コミュニケーションできてたのねと思いました。

ちなみにおっとは私がいくらぼーっとしていても、この2年、いっさい医師に説明を求めたり質問したりしません。
病院とは黙って話をきくところ、黙ってうなずく、受け入れるところ、と思っているのかも。
そもそも誰が相手でもしゃべる言葉数が極少ですけど。
「あんたもしゃべろ!」といっかい私が診察室の外でキレれたので、一言だけ発言したことがありましたっけ。
しゃべらないけど私以上に注意深く後ろで聞いてくれて、解釈の補足をしてくれる役割なんだと、最近気づきました。


ところで。
今日はわたしの手術記念日。がん患者という新しいステイタスで人生を生きるようになってまる2年たちました。
シャンパン抜いてお祝いだ~~~! 嘘です。


押川先生が月に一度東京でやっている公開セカンドオピニオンライブ!
ハイパーサーミア詐欺にあっている奥さんのためにご主人が相談に!
何分からかわかりません
↑をクリック。またはhttps://www.youtube.com/watch?v=Svy1Z6siMmk&feature=youtu.beをコピペ。
みなさんディープに勉強されていて、説明のしかたが知的で、東京のひとは頭がいいなーと感心させられます。

※ハイパーサーミアとはだいぶ前に保険認可されたものの効果を得た患者は少なく、この療法を詐欺まがいのおどし商法でがん治療に用いる医師が多いため、そろそろ保険認可も取り下げられるんじゃないか、と一部でいわれている温熱療法のこと。


小川さんのお米もいよいよ新米に変わりました
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「おかーさん、それは頭わるいんじゃないの」

いきなりなタイトルですが、先日母にこういうことを言ったというおはなしです。

実家に帰った日は福岡の中央区を都会ならではの寄り道をたのしみながら歩き、
翌日は実家ちかくで住宅街ならではの寄り道をたのしみながら歩き、最後によったケーキ屋さんでは思いがけず親切なサービスもしていただき・・・。

この二日間は今年最も長く歩いたうえ、連日おいしいものを食べた幸せもプラスされて、幸せが身からあふれてこぼれて困るくらいでした。

とそこへ母(81歳)が、

「あーたのしかったね。やっぱり歩くのはいいね」と言ったので

「うんそーね。毎日歩けばいいよね」と言いましたら

「うーーん、あんたとしゃべりながら歩くならどんだけ歩いても疲れんけどひとりで歩いてもつまらんもーん」

というのでした。

え? つまらん? そんなこという?

わたしの説教スイッチがしずかにオンされました。


「ちょっと、おかあさん。つまらんてことはないでしょう。つまらんってことは。

お母さんが昨日3時間歩いて、今日も2時間近く歩けるって、これがどれだけ恵まれているかわかる?
世の中には30分でも、いや10分でもいいから外を歩きたいと思いながら寝たきりの人がどれだけおるか。
お母さんはただ運がいいだけで、今日歩くことができたんだから。それはものすごくありがたいことなんだから」

「そうねえ。そういうふうに思ったほうがいいんやろうねえ」

は?
私の説教スイッチ、パワー強へ!


「思ったほうがいいって、それはつまり思ってないってことよね?
思ってないっていうか、わかってないってことよね?
それはお母さん、めちゃ頭悪いんじゃないの?

●●さん(83歳)は朝の散歩してただけで近所の犬にとびかかられて腰から転んで、以降の人生、ずーっと腰が痛くて長く歩けなくて、犬と犬の飼い主をうらんでるんだから。
お母さんがそんな目にあわなかったのは、運がよかっただけよ。

バスに乗ってただけで、窓から火炎瓶放り込まれて死んでしまう人とか、
隣近所にヘンタイが住んでいただけで切り殺された人とか、
運ひとつでどんなことも起こるのに、お母さんは自分がひとりで歩けること、1時間でも2時間でもお散歩できることがどれだけ恵まれているかわかってないってこと?

がんになるのは天からやりが降って来た場所に、たまたまそこにいたからあたってしまったようなものだ、という人がいるけどね、わたしはたまたまそこを歩いていた人だからね。

ちょっとのずれで人生にはなんだって起こるのに、今日お母さんが元気なのは、誰かがお母さんを守ってくれてるからなのに、ものすごくありがたいことなのに、それをまあ、なんと、お母さんは、ありがたいと思ったほうがいいんやろうねえと言うわけ?
それってお母さんはものすごくバカってことじゃないの?」

ちょっとだけ黙っていた母が言いました。

「坂道をねえ、このあいだ自転車のブレーキがこわれてそのままいって、壁にぶつかって止まったのに怪我ひとつせんかった・・・」

「ほら。そういうことの繰り返しでお母さんの今日はあるわけよ。天神まで歩いてデパ地下でアイスクリーム食べて帰ってこれるわけよ。自分がどれだけありがたいものをいっぱいもらってるか。わかる?」

「わかりました」

「わかった? ほんとに? お母さんは恵まれてるんだからね」

「そうかねえ・・・・恵まれとるとは思ったことないけど」

「まだ言うか。・・・・だいたいねえ、わたしのお父さんはガミガミうるさい面倒なお父さんだけど、あなたのお父さんは穏やかでみんなに好かれるいいお父さんだったでしょうが。それだけで人生がどれだけ違うか」

「それはそうね」

そこで納得するな!


がんになると幸せになる、とは多くの人が言うところですが、こういうことなんだと思います。
とくに私の場合は、すんごくつらい時期を経由して、今日こんなふうにQOL(生活の質)高く暮らせているので、散歩するのも掃除するのもおっとの横に座ってテレビを見られることも、

うおおお、しあわせだあああああ

と思ったりしてます。
べつにつらい時期が過去のものになったわけではなく、いつそれがまたやってくるか、明日の保障はない世界です。
それは病気をもっていようがいまいが、誰でも同じはずなのですが、わたしの場合は保障なき世界で事なきを得ているしあわせに敏感、いえ過敏になっておりますゆえ、1日の終わりに日記をつけるとき、ありがたさに打ちのめされることがあります。


がん患者でしあわせを感じている人って多いのですが、嘘でも無理してるのでもなくこういうこと。
人のことは知らないですが。



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ただいまの食事療法

周囲から「元気になった」と目を丸くされることが続いています。

抗がん剤の中でも副作用がちょっときついイリノテカンを今回は抜いてもらったせいでしょうか。
はたまたオキシコンチンの副作用の便秘対応の薬をはじめて使ったせいか。
その薬は、2017年から販売開始されたそう。
新薬は副作用が強くでる可能性もあるそうで、ちょっと心配でしたが大丈夫でした。
もともと薬に対する嫌悪感が強く、ほとんど信頼感をもったことがない人でしたが、最近は薬に助けられることが続き、嫌悪感なんてとんでもない。薬に救われる経験をしないと感覚は変わりませんですね。

というわけで2018年になって一番元気な今日このごろです。
おとといは福岡の実家に帰りまして、大濠公園から天神まで歩きました。
ん? 意味不明ですか。代官山から渋谷まで歩くより長い距離歩いたってことですよ。もっと意味不明ですかね。
81歳の母とふたり、水炊きの名店でおいしい鶏料理にまんぷくし、テーラーメイドの帽子屋さんでお買い物し、親戚の事務所にお邪魔して、ゆっくりゆらゆらお散歩を楽しみました。
こんなに長時間歩いたのはセドナ以来でした。
二人とも熟睡できないほうなんですが、その日は朝まで完全熟睡した!
「歩くってすごいね」と朝ふたりで感心してました。

まず歩く→おなかがすくから食べる→動きたくなるからもっと歩く→眠れる

このサイクル重要ですね。

5分も歩けないとか、そもそも外に出る体力がないとか、そういうどん底の時期が今年の前半。
5月半ばすぎにはじめた薬のおかげでついにここまで!

薬に全面依存してますので、薬をやめたらひょろろんと元通りに弱ってしまう可能性は大ですが、
薬のおかげで食事ができるようになり、食事のおかげで筋肉がついてきたおかげで得られた今日のげんきです。

主治医の押川先生は、「油でもいいからカロリーの高いものをとれ」という考え。
そうやって栄養状態をよくすれば、薬のききがよくなり、副作用が弱くなるそうです。
たんぱく質もヘモグロビンも白血球も健康な人なみなのは、油のんでるわけじゃないですが、「とにかくカロリー」主義で食に必死で
くらいついた(どういう表現だ)成果かもしれません。

何も食べたくない、食べれない、という時期に、マクロビオティックだの玄米菜食だのをしたのは無謀でした。
食べれないのに食事制限していると、一日に「ひとくち」しか食べられない、という悲惨な日々になってしまいます。
食べれない自分でごめんなさい、と暗くなりながらおっとが用意してくれるものを全部のこす・・・・


こんなのまちがっとる!!
と気づいていろいろな制限をはずしました

まず

チーズなら食べられる

と気づいて乳製品OKに

玄米も白米もダメだけどパスタは食べられる

と気づいて小麦粉ざんまいへ

パンも全粒粉とかダメ、くるみ入りとかダメでした

白くてふわふわした食パンが食べられる

何にも入らないときに胃が受け付けてくれるのは
オレンジジュースだったので
最初は「なんだこの天然もどきのまずさは」と拒絶したけど、一日たったら、やっぱりこれしか胃がいれてくれないわ、とオレンジジュースを毎日飲むように。
大腸ダメな人はジュース厳禁、ってセツもあるんですけどね

オレンジジュースが開いてくれた胃が受け付けるのはプリンだけだったりする日も多かった。
あと森永のクッキーだけが入る、という日も。
そうして、もともと甘いものへの愛着が薄いのですが毎日お菓子を(駄菓子系を)食べるように。
食べられるのはクッキーだけ、って日もけっこうありました。

パスタソースはこの人生、百%自分でつくっていましたが、今回の食欲不振に際しては手作りよりもすでに加工された、温めるだけになっているソースじゃないと食べたくない! ってこともありました。
パッケージされた、お湯にいれたら食べられるソースを何食も食べました
せっかくオットが作ってくれるトマトから作ったソースなのに、「食べたくない」と拒否したことも。

そういうふうにして、食べたいものは何かと一つずつさぐっていって、
食べたくない、食事はいらない、となりがちな自分を、食にむかわせていったんでした。

3日間オレンジジュースだけでもおなかすかないって自分でも不気味でした。ふらふらしながらトイレいくんです。
いやですよね。体は食べないとすぐ弱る。

それでもチーズが入るようになったらすこし違う。
パンに雪印のプロセスチーズを厚切りに切ってはさんで、フライパンにバターをおとして上下を焼くチーズサンドは、幼いときに母がよく作ってくれた「健康によいと母が信じているおやつ」でしたが、40年ぶりくらいにそれを自分でつくって食べて・・・

「これなら食べられる」と何日も連続で食べてました。

がん患者に推奨される食事の本をよむと、なるべく無農薬の野菜、とか書いてありますが、そういう「左脳」で考える食事は私の弱った食欲が跳ね返すのです。

「添加物を食べないように」とかも跳ね返しますね。頭で食事するの無理でした。

もともと添加物を嫌悪するとか、無農薬へのこだわりとかはまったくないのですが。

でも牛乳は飲まないようにしてから数年たっていました。
いまは飲みます。
牛乳は体に悪いという考えに不信感を抱くにいたっております。


今、ようやく何でも食べられるようになったので、
ただいまの食事療法の方針は、
おいしいものしか食べないようにしよう、です。


もうオレンジジュースもプリンも温めるだけのパスタソースもいらないですが、弱りきったときに助けてもらった恩は忘れません!


それにしても私はついてます。
薬たって抗がん剤は何百もあるのに、いくつかの選択肢からワタシにはこれだ、と選んでいただき、それが功を奏しているのは、とてもラッキーです。やってみないと効くか効かないかわからないんだから。

ラッキーといえば、今日は福岡からの帰り道、美術館で長谷川利行展を見たあと、最寄の高速バスのバス停でバスを待ったのですが、予約もせず時刻表もみずタクシーでかけつけたのに、二時間に一本しかないバスが15分遅延したおかげでワタシの到着の3分後にやってきた。
そして予約もしてないのに最後の一席があいてたおかげで乗せてもらえた。

それに気がついたとき、ラッキーすぎる自分に気づいたとき、心臓がしばらくドキドキして止まりませんでした。

こんなことで運を使うのは運の無駄遣いというのだろうか。。。
私はいつも運がよいのだぞってふんぞり返っていていいのかな、とか考えてしまった



新堀さんのお米、新米にきりかわってます。小川さんのお米は来週からの予定。
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断食でがんが治る?

がんになったら断食で治そう。そう思っているヒトはけっこういるような気がします。
主に「抗がん剤なんかぜったい使わない」と思っている人に多いのではないでしょうか。

自然療法の中でも手が出しやすい療法のひとつ。
施設で医師のもとで行わないと危険で、ときに死に至ることもありますが、注意事項さえわかっていればできそうな気がするし。
デトックスやダイエットという人気の概念にもつながって、昔ほどいかがわしいイメージはないよう。

私自身が断食に初めて触れたのは、20年前、新潮社の「シンラ」という雑誌で取材したとき。
自分では断食をしませんでした。仕事が忙しかったのでとても一週間も施設にこもるなんて考えられなかった。もったいないことでした。
その後ニューヨークに住んでいる時期にコロラドあたりだったかホリスティック医療を標榜する施設に予約をいれたことがありましたが、やはり仕事の都合でドタキャンしたのでした。興味津々なのに、縁がありそうでないのはどこかで逃げているのかな。

私が断食に興味をもった理由は単純で、肉体を限界まで弱らせたときに出てくる神秘的な何かに期待したからです。

そのアイデアはどこから来たかというと、20年以上前、越智啓子先生が吉祥寺の井の頭公園の近くに精神科のクリニックを構えていたころ、雑誌の連載で定期的にクリニックにお邪魔していたのですが、私はそこで先生の非常に神秘的な断食経験を直接うかがい、断食への興味が突如ひらかれたのでした。

とはいっても、施設での断食経験は今もってないままです。
がん治療のために断食をやってみようと思ったのは昨年9月でした。
抗がん剤以外にできることはないと病院にいわれ、抗がん剤は副作用の強さに負けて逃亡した経緯から自分には無理だと決めてかかっていた時期です。実際には病院を変え、抗がん剤を変えたら、副作用は格段に楽になり、腫瘍マーカーは3ヶ月で8割以上激減したのですが。

当時の私にとって、できるることが他にないと病院に言われれば残るは自然療法しかなく、手が出しやすい順にいろいろやっていくなかででてきたメニューのひとつでした。まずは3日断食にチャレンジ。結果次第ではアップグレイドもありだとと思いながら。

で、結果はというと大失敗。
すでに十分弱っている、貧血も進んでいるからだで断食をすると、空腹はそれほど感じないのですが、体の弱り方がいちじるしい。こんなにだるいのはおかしいと、怖さを感じてやめました。
やめたあと、体が復調するのに4、5日かかりました。だるい、きつい、寝てるしかない。馬鹿なことをしたものです。
断食に思いいれが強すぎなくてよかったけれど、これを1週間や10日続けていたらどれだけからだにダメージを与えたか。
断食は健康なうちにするものです。

がんが悪化すると、食事がとれなくなるだけでなく、食事がとれていても痩せていく人がいます。疼痛があれば(私はありました)寝ている時間がおのずと長くなり、寝ている時間が増えると3日もあれば筋肉が落ちていくのがわかります。 
栄養状態が悪くなるのががんの悪化のプロセスです。栄養状態の悪さにどこまで対処できるかが、がん治療のポイントになるくらいなのに(対処できる病院は多くありません)、断食であえて栄養状態を悪くしてしまうのは、非常に危険な賭けになります。 

そうしたことが知られてないせいともいえますが、断食でがんを治すという考え方は、世間でけっこう人気があります。
いったいなぜなのでしょう。

病院の治療と正反対の場所に位置するから?
つまり、体ひとつで道具も費用もいらず、いつでも誰でもはじめることができるから? 
理論、理屈がシンプルだから? 

「断食は体が本来持っている自然治癒力を引き出す」
自然療法のほとんどのものは、「自然治癒力を引き出す」という説明がされます。

自然治癒力とはなにか? 転んですりむいても、ツバつけとけば治る、というやつです。
あ、違う? 現代医学の力を使わなくても病気が治るって話でしたか?

でも、おかしいですよね。
1950年より前には飢えて死ぬ人が日本を含め世界中に大勢いました。
断食を勇断しなくても、飢えて病気を悪化させ、死に至る人は珍しくありませんでした。
人類は発生以来、ずっと飢え続けていたのです。
しかし飢えは病気に立ち向かう方法になりえなかった。

断食は、飽食の時代だからこそ人の耳目を集めることができる、おもしろい物語にすぎません。
もし断食が療法として有効なら、飢える人の多いアフリカで医療の代わりに推進すればいいのにと思いませんか。

同じことで、菜食や自然塩の大量摂取や運動、都市的生活のストレスを取ることで病気が治るなら、20世紀より前に病気など存在できないことになってしまいます。


「断食」と「がん治療」で検索してみましたら、トップページにいち早くでてきたのがこのウエブサイトでした。

たいへん読みにくい文章ですが、書かれていることは「マウスを対象にして各種研究が行われている」「絶食は抗がん剤の副作用を軽減する可能性がある」というだけのようです。
にもかかわらずタイトルが「絶食は抗がん剤よりも効果的である」とは。
読解力がないのか? いえ、そうではないでしょう。こういうのを「つり」というのですね。

こうしたあからさまなショウバイ気は、「治癒よりビジネス」に重きをおくクリニックであることを露見していますが、それによるデメリットが問題視されていないのが不思議です。


断食ががん治療に有効だと多くの人が信じはじめたのは、ここ十年くらいのことだと思います。

酵素がちまたで有名になったことと関連がありそうです。
断食中に酵素を飲むことを勧める医師が複数いるのです。
酵素ったって家庭で作るアレじゃないですよ。メーカーが作った商品の購入を勧めているのですね。

酵素を有名にするの貢献した医師のひとり、鶴見隆史という医師には、『断食でがんは治る』 (双葉新書)という著書もあります。
がんに関する本にしばしば見られることですが、
非常にまれな治癒例を出して「治る」と言い切る本です
鶴見氏のクリニックはこちらです。

もう一方、 「断食でがんが治る」を推進して大きなムーブメントをつくったと思われるのは、ムラキテルミ氏。

こちらの場合は医師でないため、彼女が使っている有名断食医師の名前は、石原結實氏。
石原氏の断食施設のウエブサイトは最近刷新されたようですが、すこし前まで「ジュース断食でがんは治りません」という文言が躍っていました。「がんはがんの治療で治してください」というような言葉も。

ムラキ氏の自著『ガンは自宅で治す』(KKロングセラーズ)は不思議な本です。
私にとって不思議なのは以下のような箇所です。

●腫瘍マーカーが60を超え、「がんに間違いない」といわれた

そんな医師がいるのだろうか?
腫瘍マーカーをがんではない人が検査するとがんではないのに破格の数値が出ることはしばしば報告されるそうです。

●CTでゴルフボール大の腫瘍がみつかった。三ヶ月前はなかったのに。「このスピードだと間違いなくほかの部位に転移する。手術をしたら95%の確率で肝硬変になる。もし抗がん剤治療をしても3ヶ月から半年の命だ」といわれた。

いちいち乱暴な医師です。CTでみつかっただけで腫瘍ががんであるという確定を出すだけでなく、余命まで伝えるなんて。

●石原氏のクリニックに電話をかけると受診まで「三年半待ちになる」といわれた。

いかに医院長が著名でも、自由診療のクリニックを受診するのに3年半は盛りすぎでは? 


本には石原氏の話がずいぶん出てきますが、その石原氏が「がんは断食では治りません」と書いていたのです。
以前のホームページでは。

ムラキ氏の経験談としてつづられているのは、11日間の石原氏の施設で断食(人参りんごジュースを飲みながら)をするうちに、便が出るようになり、目やに等が出て、11日後には、腫瘍マーカーが施設に入る直前に3000を超えていたが60を切るまでになっていた、と言う話なのです。
今度は3000ですか? どこで計るかでも大きな差がでるそうですが、そこまで腫瘍マーカーってイイカゲンな数字なのだったら私の数値もたいした意味ないのかなあと思えてきますね。実際、私の主治医はマーカー値に一喜一憂しても意味なし、と数字の意味のなさを言っていますが。

私はこの本をじつは母ががんになったときに購入して読んでいました。
まゆつばなところだらけなので母に断食を勧めることはありませんでしたが、自分のことになるとすっかりだまされました。

頼るものがないときは、治った人がひとりでもいるなら、やってみる価値があるような気がしてくるのです。
その奇跡が自分にも起きてもおかしくないと思ってしまうタイプの人がいるのです(わたし)。

ムラキ氏の話がかんちがいに基づく「なんちゃってがん」であったかどうかは知るよしもありませんが、本につづられている大量の便が出る風景のカラフルさはたいへん印象的です。
自然療法で病気を治した人のウエブ記事にはこの描写に影響されているように思うのですが、「大量の排泄物=治癒」という文脈の文章に出会うことがあります。

便はただの便。汗はただの汗です。下剤で大量の排泄物を出すのと、断食中に出すものと違いがありますか?

排毒という言葉は、私自身は20年前に前出の雑誌で扱ったのが最初で最後。毒ということばに何の成分が含まれているかも明らかにできないのに、簡単に毒なんてよく使える、と取材した施設に対して思っていましたが、今ではあまりに多くの人が疑いももたず「デトックス」「排毒」という言葉を使います。
毒は肝臓で中和されており、汗から出ることはありませんが、「デトックス」や「排毒」の文脈で使われる「毒」の意味を問う人は、まずいません。

話がずれますが、この本に出てくる不思議情報のひとつに体温の話があります。
がん患者は体温が36℃以下で、39.5℃以上に体温を上げればがん細胞は死滅するというもの。
手術の直後から今にいたるまで私の体温はほぼ36.5℃以上です。
39.5℃で治るのなら莫大な費用をかけて抗がん剤の開発などしないで熱を上げるようにすればいいだけ。
実際病気のために高熱を出す人はいくらでもいますが、それでがんを治した人の話は聞いたことがありません。

がん患者35℃説、39.5℃以上でがん死滅説を信じている人はたいへん多く、本が売れていることと内容の正確さには何の相関もないことを明らかにしているいい例です。

なぜムラキ氏がこういうヘンなこと・・・失礼、不思議なことを書いているのかといえば、さっくり言うとビジネスになるからです。
講演会に人がおしよせ、本が売れるからです。

自分の体験からよくわかりますが、

少なからぬがん患者は、
高すぎない金額で提示される治療方法を
「実例をだして」
「治ると断言して」販売されると

じつに簡単に、お金を出してしまうのです。


鶴見氏のクリニックのウエブサイトに並ぶ療法はどれも、それでがんが完治した人が何人いるのかと思われる、根拠の薄い方法ばかり。
ほどのよい、支払えなくはない料金設定が、がん患者のココロをくすぐります。

「断食をすればあなたのがんなんかすぐ治る」
私自身、このせりふをある食養生の先生に言われましたが、「治らなかったら?」とは頭には浮かんだけれどいえませんでした。
すでに断食が自分を弱らせることを知っているので、お勧めには従いませんでしたが。
「なぜ、そんなに簡単に断言するのですか」
とくらい言えばよかったけれど、とりあえずすがるワラをキープしておきたいときに、敵を作るようなせりふはいえません。


自然療法でうまくいった人が何人いても、それが誰のがんにも効くことの証明にはなりません。
百人のがん患者がいたら、がんのタイプは百通りあります。
治し方が病態によって違うのは当然のことなのに、なぜがんだけが、「これでがんが治る」という言い方がされ続けているのか。

答えは簡単。

「あなたのがんを治せる」とシンプルに言い切ると、すがってくる患者が大勢いるから。ビジネスが成り立つから。

がんを幼稚に理解している医師免許を持ったビジネスマンが、
または医師の言葉を引用しながら体験談をかたる販売業者が、

「これでがんが治る」と明言します。

「これ」が断食であっても、保険がきかない免疫療法であっても、温熱療法や高濃度ビタミンC療法、音響療法、放射線ホルミシス療法、ケトン食療法などなどであっても、どうぞどうぞご注意を。




新米は今月半ば過ぎからお届けできます
錦自然農園